四ノ十 不安の種

 玉尾たまおがいつもどおり、朱天の家へと飯炊きと洗濯におとずれると、ふと見慣れぬ女がいることに気がついた。


 思わず見入ってしまうほどの美人であった。


 女は、書物を読む朱天にしなだれかかり、朱天がおしのけてもまたしなだれかかる。


 はて、どこの女だろう、と土間に立ってふたりのようすを不思議に思ってみていると、


「お、玉尾じゃないか、いつもありがとうな」朱天が気がつき声をかけてきた。「飯はいつもよりちょっと多めに炊いてくれ。このあつかましい女が増えたからな」


「はあ、それはかまいませんが……」


 玉尾の怪訝な眼差しに気がついたのだろう、朱天が、


「ああ、この女な。昔のただの知り合いだ。別に変な仲じゃあないからな、村人たちに言いふらしたりせんでくれよ」


「はあ」


 いささか納得できない心持ちをかかえながらも、玉尾は飯を作り終えると、川へと洗濯へと向かった。




 玉尾は十八歳。

 京のそれなりの家格の公家の生まれであったが、貴族たちのそらぞらしいつきあいに辟易していたのと、好きでもない男と結婚させられそうになったのをきっかけに、家を飛び出した。


 飛び出したのはいいが、行く当てなどどこにもなく、町のならずものにつかまり、手籠めにされかけていたところを、京に買い出しに来ていた熊八に助けられた。


 熊八には家へ帰るように諭されたが、玉尾はきかずにこの村までついてきた。

 そうして二年、今は熊八と暮らしてるが、朱天の飯や洗濯などもしているのだった。




 その晩、夕飯をとりながら、


「ねえ熊さん」


 玉尾は、飯を食っている夫のももを叩いた。


「なんだい」


「今日ね、朱天さんの家にお世話に行ったら、知らない女の人がいたのよ。あれはきっと、朱天さんのいい人に違いないんだわ。とんでもない美人だったわ」


「ああ、あやめさんのことだろう。あやめさんのほうはずいぶん朱天の兄貴にご執心だが、兄貴のほうはさほどでもないようだなあ」


「どういう人なの?」


「まあ、隠しておいてもすぐにわかってしまうことだろうから、言っちまうが、あのあやめという人は、京で土蜘蛛という盗賊団を率いていた女首領だ」


「ま、そんなおっかない人だったの」


「まあ、そうとうおっかない人ではあるがな、土蜘蛛は壊滅したらしいし、もう足を洗ってここで静かに暮らすつもりのようだよ」


「本当かしら。このまま朱天さんと夫婦になって、いつの間にか私たちもアゴでこき使われるようになって、いつの間にか盗賊の一味にさせられるんじゃないかしら」


「考えすぎだ」


 飯を食い終わった熊八は、そのまま寝っ転がって、すぐにうつらうつらしはじめるのだった。


「あやめ……。土蜘蛛ねえ……」


 玉尾は、その、本物の熊にしか見えない夫の寝姿を眺めながら、不安がむくむくと、胸のうちに湧きあがってくるのを感じていた。




 なにせ、三百人ほどの小さな村である。

 噂が広がるのは、風ようにはやい。

 今日も、村人が数人、畑のわきに集まって、額を寄せ合って、こそこそと話しているのだった。


「おい、聞いたか。朱天の家に転がり込んできた女」


「ああ、聞いた。なんでも土蜘蛛って群盗のかしらだったらしいな」


「その前にやってきた、茨木という赤い髪の片腕の男も、盗賊だったらしいよ」


「見たまんま、怖い男だなあ。ありゃきっと鬼の化身にちげえねえ」


「もうひとり、小さい男もいたな。あれも盗賊らしいぜ」


「以前何をやってたかってのは、べつにいいんだよ。俺達だって、人に胸張っていばれる人生を送ってきたわけじゃあねえ。けど土蜘蛛って言やあ、京の検非違使連中が血眼ちまなこになって追っかけてるっていう、札付きのワルだぜ」


「そんなのがここに逃げ込んできたら、京の連中が兵を率いてやってこないともかぎらないな」


「そのことだよ。俺は、京の四条河原で焼け出されてこっち、合わせて二度も同じように住みかを奪われている。もうそんな目にはあいたくねえ」


「一度、誰か朱天さんの所に行って、話をつけてきてくれねえかな」


「話をつけるって、どんな」


「あのヤバそうな三人を追い出してくれって」


「そううまくいくかな、三人とも、朱天さんとは昵懇らしいからな」


「とにかく、話してみなくちゃはじまらねえ。誰か言って話してきてくれ」


「お前がいけよ」


 そんなわけで、村人代表として喜造という男が(一部の)村人代表として、朱天のもとへと談判にいくハメにおちいったのであった。

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