四ノ七 宇治橋の激戦
天子の御輿は目につく。
屋根に鳳凰の彫刻を飾るこの御輿は、
十人ほどの
百五十メートルほどの橋を渡るのに、どれほど時間がかかるのか。
茨木の、汗ばんでいた手もいつか冷えて、緊張の糸すらほぐれかけたころ、鳳輦が橋を渡りきった。
「ピィッ!」
茨木が指笛を鳴らし、太刀を抜き、道に飛びだし、脇目も振らずに鳳輦めがけてひた走る。
藪、雑木林などからも土蜘蛛一党百人以上が一斉に飛びだした。
同時に、虎丸が指揮する川の土手の草むらに潜んでいた一部隊が起き上がり、手にした火矢を橋桁に打ち込む。
行列はたちまち大混乱をきたした。
橋上の者達は右往左往しだし、鳳輦をかついでいた者たちも一斉に逃散。
道をずっと先に進んでしまっている綱たち武官は、これでは引き返そうにも引き返せぬ。
道に置き去りにされた鳳輦に茨木がとりついた。
紫綾帳(紫に染められた綾絹のとばり)を裂き、
「いない!?」
そこにいるはずの天子の姿が見えぬ。
茨木は頭のなかで状況を整理した。
何故いないのか。
どこにいったのか。
いや、はじめからいなかったのではないか。
これは……、
「罠だ!」
茨木は叫んだ。
叫んだと同時に、矢が数本空気を裂いて飛びきたる。
「馬鹿なっ!?」
どこに兵がひそんでいたというのか。
見まわせば、天皇のお供と思われていた公家たちが、手に手に弓矢をもち、太刀をもち、土蜘蛛たちを取り囲んでいて、前衛はすでに斬り合いがはじまっている。
「公家ではなく、武士の変装だったのか!?」
しかも、行列を分断するための橋の火が、まるでまわっていない。
すでに火は消されていて、灰色の煙がそこかしこからわずかに立ちのぼっているにすぎない。
さらに、追い打ちをかけるように馬蹄の響きが地響きとなって轟いた。
あやめたちの偵察の範囲外、つまり一キロ以上も南にある山のなかにでも隠れていたのだろう。
それが、ここでの襲撃を予想して、数分はやく出撃していたのだ。
行列のほうが混乱していると思っていたのに、気がつけば土蜘蛛一党のほうが大混乱をきたしていた。
「逃げよッ、おのおの死力を尽くして逃げよッ!」
どこかで、あやめの金切り声がした。
「女だ、女をとらえよッ、土蜘蛛の首領であるッ!」
綱の命令が、叫声と怒号と剣戟の響きに紛れて聞こえてきた。
だが、茨木も、敵と切り結び、囲みを突破するのに必死だった。
――ともかく、河原にでるか。
川の土手へと足を踏み出した瞬間、そのつま先の地面に弓が刺さった。
荷運びや漁師だと思っていた舟人も、武士たちの変装であって、舟上から弓を射かけてくるのだった。
橋の上、街道、川の舟、どこも武士であふれかえっている。
土蜘蛛一党の数倍におよぶ人数であった。
「突破しろッ、突破しろッ!」
叫び、右腕で太刀を振り回しながら、茨木は街道を南へと前進した。
もうどこを目指して進めばいいかすらわからない。
ただ、前へ、前へと進むしかない。
が、敵の数に押され、気がつけば橋の上。
逃げ場などどこにもない。
川に飛び込もうとしても、欄干までが遠い。
完全なる八方ふさがりであった。
――万事窮す。
ことここにいたっては、もはや斬り死にを覚悟するよりほかにせんかたなし。
覚悟を決めれば簡単だった。
死ぬために、そしてひとりでも冥土への道連れを増やすために、太刀を振るい続けた。
血しぶきがあがり、血煙が茨木の視界を覆った。
すると、火矢が茨木の頬をかすめ、敵のひとりの胸を射抜いた。
続けてもう一本、今度は、敵の額につきささった。
振り返れば、橋の欄干の上を、器用に駆けながら、虎丸が弓を乱射している。
いや、乱射にみえて、正確に敵を次次に射ていた。
橋上は敵であふれかえっている。
これがかえって幸いした。
敵は身動きが思うようにとれず、刀をふるえば味方にあたる、弓を射ようにも空間を確保できぬ。
欄干上を走る虎丸の弓矢は、面白いように敵を倒していった。
茨木も駈けた。
駈けて欄干に飛び乗った。
そして、走っていく虎丸の後を追う。
ふたりはもといた場所とは反対側、つまり北東のたもとを目指した。
駆け抜けた。
橋のたもとにいた騎馬の一団は、いるはずのない敵が突如あらわれて、ぎょっとして、一瞬対応が遅れた。
その隙に、馬の間を走り、走りながら、茨木は馬の尻を太刀でちょっとだけ傷つけていく。
馬は突然の激痛で、次次にいななき、棹立ちになり、たちまち大混乱となった。
大混乱となる騎馬武者の間をすりぬけて、虎丸と茨木は森のなかへと姿を消した。
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