四ノ六 行幸

 京からまっすぐ南下すると、巨椋池おぐらいけという千年後には消滅している湖のように大きな池にぶつかる。

 そのまま池を渡って南岸へと到達するルートもあったろうが、たいていは無理をせず街道沿いに東へと池を迂回し、宇治へといたる。


 宇治は、保養地のような場所で、ここには平安貴族たちの別荘が多く建てられていた。


「おそらく、天子様は、道長の別荘であるところの宇治殿(のちの平等院)で一泊されることであろう。そこで宇治川を渡るのに、宇治橋を通るであろうことは容易に想像がつく。橋を渡るときに襲えば、敵は兵の展開がしづらい」


 あやめが街道の道端にはえた楢の木の下で、茨木と最後の打ち合わせをしていた。


 すでに、土蜘蛛配下の配置はすんでいる。

 宇治川は南東から北西へと流れていて、つまり宇治橋は北東から南西へとかかっている。

 その南西側の街道沿いに点在する、草むらや藪、雑木林のなかに、百数十人もの盗賊たちが息をひそめて、天皇の行列を待ちかまえているのである。


「まったく姐さんも思いきったものだ。百人以上も手下をこの作戦に投入するんだからな。京の隠れ家はみんなからっぽになっちまったんじゃねえの」


「やるときは遠慮も躊躇もなく、全兵力を投入する。中途半端な人数で戦いを挑んでは、勝利の確率が激減するでのう」


「いや、作戦の成否もあるが、今度の行幸自体が、敵の罠なんじゃないか、という危惧を、俺は捨てきれないんだ」


「安心せい。この行幸は出発直前までひた隠しに隠されておった。それを、うちの諜者が苦心のすえ探り出したものじゃ。われらを罠にはめるつもりなら、もっと大大的に喧伝するはずだからの」


「俺達は一度、罠にはめられて痛い目にあっているからな。あの時だって、罠であるとは、これぽっちも思いはしなかった」


「そう案ずるな。罠なら罠で、粉砕すればいいだけのことよ。偵察も抜かりなし。この辺り一帯に兵を潜ませている形跡すらない。道長の別荘までほど近いこの場所で、まさか行列を襲うなどとは、誰も予想だにしていまい」


「天子の御輿が橋を渡ったことろで、俺達が飛びだして取り囲む。同時に橋杭や橋桁に巻き付けてある藁に火矢を打ち込む。橋を燃やして行列を分断し、天子をかっさらう。これでいいんだな。単純すぎやしないか」


「作戦は単純なほうが柔軟に対処しやすい」


 川には、ひっきりなしに荷船や漁舟が行き来していて、街道にはちらほらと京へ向かって行く人、奈良へと向かう人が往来している。


 空は綺麗に晴れているし、小鳥のさえずりもやむことがない。


 のんきな風景である。


 これから起こる大騒動を、誰も予想だにしていないだろう。


 と、人の姿がぱたりと途切れた。


「そろそろ来るようじゃ。では、よろしゅうにな」


 あやめが雑木林の奥へと姿を消していく。


 茨木も楢の木陰に身をひそめる。


 ここから橋のたもとまでは、五十メートル。


 その橋をじっと見つめる。


 しんと静まり返る。


 不思議と鳥の鳴き声すらやんだ。


 橋板を鳴らしながら、先頭の馬が数騎歩いてくる。


 まっさきに見えるは、にっくき渡辺綱。


 綱は橋をわたると、馬首を南へと向かわせた。


 予想通り、道長の別荘へと向かうようだ。


 茨木のいる林の前からは、遠ざかって、林に隠れてすぐに姿がみえなくなった。


 続いてものものしい武官、きらびやかな衣装を身にまとった貴人たちが続く。


 まるで雲の上の人人の姿。


 見続けていると、めまいがしそうなほどのまばゆい光景。


 ――ふざけやがって。


 茨木はつぶやいた。


 庶民が食うや食わずの生活を送っているというのに、こいつら雲上人は下界の暮らしなどおかまいなしに、湯水のごとく金銭をつかい、無駄に瀟洒な着物を着、食いきれず捨てるほどの食事を毎日食う。


 茨木の目の前にあるのは、そんな吐き気をもよおすような光景であった。

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