三ノ十二 土蜘蛛見参

「おぬしら、なんだかんだ言いつつ、毎度毎度、結局は私を頼ってくるのう」


 新しい隠れ家にやってきた朱天組の一同をながめながら、あやめ・・・があきれたようにつぶやいた。

 あきれつつも、内心ではおかしくてしかたがない。


 この隠れ家は、北野天満宮の北にあって、はたからみると閑静な風景のなかにある、どこかの小金持ち商人の別邸のようにみえる。


「そう言わないでくれ」茨木がガラにもなく困惑しつつ、頭をさげた。「どうか、朱天を助けて出してくれ」


「助け出してくれ、と言われても、あそこはその辺の木っ端貴族の屋敷とはわけが違う。あの武辺並ぶものなき源頼光邸の、牢屋に閉じ込められている男を助けるのは、生半なことではかなわぬぞえ」


「そこを押して、なにとぞ」といつも冷静な星までが頭をさげる。


 虎丸も熊八も金時すらも頭をさげる。


 ここまでされて、あやめ、よい気分にならないわけがない。


「そうか」としぶしぶという態であやめは言った。「そこまでいうなら、いたしかたないのう」


「乗り込むんだったら、案内するぞ」金時が身を乗り出した。


「部屋の配置だけ教えておくれ」


「では?」いぶかしげに星が訊く。


「ふふふ、まあ、みておれ。ひとつだけ、確実な手段があるでのう」




 その夜のことであった。


 源頼光は、あまりの寝苦しさに身を起こした。

 よわい五十にして武術の鍛錬をかかさず、身体はすこぶる壮健。

 その男が、今夜にかぎって、まるでおこり(マラリア)にでもかかったように体が震え、悪夢から目覚めたのであった。


 喉がひどく渇く。


 水を飲みにいくかと、立ちあがりかけた、その時。


「どうぞそのままお聞きくださいませ」


 背後に身を寄せた女が、耳もとで息をかけるように声をかけてきた。


 さすがの頼光も背筋にぞっと寒気が走るほどの妖しい女の声である。


「なにものか」


 それでも気丈に、そして平然とした声音で問うた。


「土蜘蛛」


 女はなまめかしい抑揚でそういうのだった。


「ふふふ、女だてらにわしの寝所に忍び込むなぞ、見上げたものよ」


 頼光が言いながら部屋の隅の刀掛けに手を伸ばそうとするのへ、


「どうぞ、お動きなさらないで。あなたさまが刀掛けの太刀に飛びつくよりも、私の短刀があなた様の喉を斬るほうがはようございます」


「さもありなん」


「では、用件をのべさせていただきます」


「うむ」


「先夜来、この屋敷に捕らわれております、朱天という男。この男を解き放ちいただきとうございます」


「あのものは、人を集め、人心をたぶらかし、扇動し、やがて朝廷に反旗をひるがえす男と我らはみている。返せんな」


「では、私のもつ宝物と交換ということではいかがでしょう」


「みくびられたものよ、わしが宝物ごときにつられると思うのか?」


「中納言藤原実資ふじわらの さねすけ卿の釈迦如来像の掛け軸、でございますが」


「そのような掛け軸にいかほどの価値がある」


「その掛け軸には、朝廷を転覆させるほどの価値を持つ秘密が隠されております」


「どのような?」


「今上帝ご出生の秘密にございます」


「む?」


「そのご反応、秘密についてうすうすご存じでございますな。ならば話がはやい。中納言様がその秘事を克明に記録した手記が、掛け軸には隠されております。それが表に出れば、藤原道長公の権勢はその時点で終焉をむかえることでしょう」


「わかった。で、いかがする」


「掛け軸は、私のふところにございます。今すぐ、朱天をお解き放ちください。さすれば、掛け軸をお渡しします」


「よかろう」


「では、一条戻橋もどりばしでお待ちしております」


 と、あやめが言い終わるやいなや頼光がふりかえる。

 同時に人影が霧散して闇に溶けていった。


 頼光は刀掛けの太刀膝丸ひざまるを手に取り引き抜くや、


「おのれ幽鬼め」


 闇を斬るように虚空に、ひらりひらり、数回太刀をはしらせた。


 そうして気持ちを落ち着けるように舌打ちをひとつすると、夜気を引き裂く大音声、


「誰かあるっ!誰かあるっ!綱、季武、貞光を呼べ!」

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