三ノ十三 一条戻橋の戦い

 一条戻橋いちじょうもどりばし


 一条通を南北に横ぎる堀川にかかる小橋。

 源頼光邸の北西のほんの指呼の距離にある。

 古来、幽界と現世との境にあるとされ、あまたの怪談が伝わる怪異なる橋である。


 その十五メートルほどの橋の中ほどに、女がひとり立っていた。

 冴え冴えとした月影のなかにたたずむ姿は、妖しく幽鬼としか思えぬ姿であった。


 そして橋の西たもとには、茨木、虎丸、熊八、星、金時が待機し、ことが起きた時にいつでも飛びだす構えであった。


 一時間もすぎたころ、東のたもとに三十人あまりの人影があらわれた。

 源頼光を中心に、渡辺綱、卜部季武、碓井貞光、そのほかの郎党たち。

 そして縄でぐるぐる巻きにされた朱天。


 松明たいまつ煌煌と居並び、妖艶なる女の姿に視線をそそぐ。


 あやめが、頼光一党に向け、手にした掛け軸を高高とかかげる。


 縄で巻かれた朱天を綱が引き連れ、橋へと押し出した。


 そろり、そろり。


 朱天が橋を渡る。


 あやめに近づく。


 朱天が、あやめとすれ違う。


 あやめが、掛け軸を橋板の上に置く。


 刹那、だっと、朱天が駈ける。


 朱天とあやめが橋を渡りきると、朱天組はいっせいに西へと走り出す。


「おのれ、のがしてなるものか!」


 東の端のたもとから渡辺綱が走り出す。


 西の端のたもとでは、茨木が立ちどまりふりかえる。


 その目にうつる綱の影。


「綱、お前だけはゆるせねえ!」


 茨木が走り出す。


 綱が太刀を抜く。

 茨木が太刀を抜く。


 ダダダダダダダッ!


 東西から、ふたりの足音が近づいていく。


 橋の真ん中、掛け軸の上。


 ふたりがすれ違う。


 ひらり。

 ひらり。


 ふたつのやいばが月光うつし、きらめいた。


 すとん。


 渇いた音をたてて落ちた、一本の左腕。


「く、くっそおおおおお」


 とどろく叫声。

 撒き散る血しぶき。


 二の腕から切り落とされた左腕をおさえ、苦悶の表情で膝をつく茨木。


 それを見おろす綱の、冷酷なる両眼。


「とどめは刺さぬ。自らの罪を悔いて生きろ」


 言って綱は、掛け軸をひろい、きびすをかえす。


 同時に、東のたもとに集う武士たちが、屋敷へとひきかえす。


 と、朱天が橋の上にたつ。


 後を追ってこぬ茨木に不安を感じ、駆け戻ったものであった。


「茨木、茨木よ!」


「ダンナ、朱天のダンナ」


 橋に倒れる茨木の消え入りそうな声。


「やっちまった、やっちまったよ」


「愚か者め」


 叱って朱天は袖を裂き、裂いた布を、茨木の二の腕の真ん中から切断された傷口に巻きつける。


 そうして、茨木を背負い、転がる左腕をひろい歩き出す。

 数十秒前まで血が通っていたとは思えぬ、枯れ枝のような人の腕であった。


「すまねえ、朱天」


「泣くな、泣くな、茨木よ」


 その声が、涙にむせぶ。

 その涙は、悲しみか悔しさか。




 朱天が北野天満宮北の土蜘蛛の隠れ家に戻る。


 と、背中の茨木をみて、あやめがつぶやく。


「ひどくやられたものよの」


 そうして、庭に茨木をおろさせると、部下に持って来させた松明で、あやめは茨木の左肩の傷口を焼いた。


「ぎゃあああああっ!」


 茨木の凄まじい悲鳴が夜の闇にこだました。


 そうしてひとしきりのたうちまわる。


 皆がその姿を見、固唾を呑み、不安にさいなまれ、彼の命を心配する。


 と、茨木がぱたりと動きをとめた。


 朱天が走り寄る。


 その背にあやめが、


「安心せい、気を失っておるだけじゃ」


 続いて、金時が走り寄り、茨木をかかえあげる。


「うむ」あやめがうなずいた。「中で寝かせてやれ。そうしてそのまま天に召されるか、うつつにふみとどまるか。すべてはその男の、生きる気力と天運しだいよ」


 茨木は意識を失ったまま熱にうなされ、時に苦悶にあえぎ、時に苦痛にのたうち、時に悲しみに絶叫し、必死に現世にとどまっていた。


 朱天組の皆は、交代交代で、茨木の冷水に浸した手ぬぐいを額にのせ、汗を拭き、下のかたづけをし、朝となく昼となく夜となく、看病を続けた。


 十三日目のある朝。


 朱天が病室をおとずれると、とこに茨木の姿が消えていた。


 ふと気配を感じてふりかえると、朝日を浴びて、茨木が庭に立って空を見上げていた。

 日の光に、真っ赤な髪が神神こうごうしいまでに輝いている。


「ダンナ」茨木が言った。「俺は決めたぜ。この世の中を、本気でぶっつぶしてやる」

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