三ノ十一 綱、大いに懊悩する

 朱天は、牢屋から引き出されると、取り調べ部屋に連れていかれた。

 部屋といっても、ただの土間の納屋のような小屋で、朱天は乱暴にその柱の一本に縛りつけられた。

 その伸ばした脚のつま先に、今にもふれそうなくらいに綱が近づいてきて、言う。


「飯もちゃんと食ったようだな。肝が太いのか、ずうずうしいだけなのか」


 綱の背後から部屋に光が入ってきて、影で黒ずんだ顔の中心の、両目だけがギラギラと光をやどし、朱天を見おろしている。


「俺はなにも悪いことはしちゃいないからな」


「ふむ、人さらいについては、不問にふそう。人をやって確かめさせたところ、新庄氏は家に帰って、お前たちに助けてもらったと擁護していたそうだからな。問題は、山田大丞の殺害だ」


「だから、俺達は誰も、山田大丞を殺しちゃいない」


「どこかから短刀が飛んできて山田大丞の胸に刺さったのだったな」


「そうだ」


「そんな言い訳が通じると思っているのか」


「通じるも何も、真実を言っているだけだ。刺したのはあんたの手下だろう」


「そんな姑息なマネをしてまで、捕らえるほどの価値がおぬしにあるとは思えんな」


「そうだ、俺に公家ひとりの命とつり合うほどの価値はない。だが、山田大丞は横領をしていた。その証拠を隠滅するために新庄史生に帳簿を改ざんさせていた。そんな男ならば、潔癖なあんたなら、殺してやろうくらいに考えても不思議じゃない」


「そんな人間、殺すほどの価値もないわ。俺ならば、証拠をつかんで公家の身分をはく奪し、一生泥水をすするような生活を送らせてやる。言い逃れのために私に罪をなすりつけるんじゃあない」


「なすりつけてなどいない。俺はやっていない」


「ちっ、埒があかんな。これは俺の主義におおいに反するが、いたしかたない、拷問にかけてやろう」


「拷問にかけたところで、やっていないという真実は曲がらんぞ」


「いつまでその減らず口がきけるか、見ものだな」


 そう言って綱が部屋から出て行くと、入れ替わりに鞭を持った男がひとり入ってきた。




 綱はその足で、卜部季武の執務部屋へと向かった。


「まさかとは思うが」と綱は切り出した。「お前がやらせたわけではなかろうな、季武」


「何をだ」


「とぼけているのか?」


「何もとぼけてなどおらんが?」


 綱は季武の視線を見返した。

 その季武の目の光に隠れた奥底に、真実が存在していると思うのは、自分が疑心暗鬼にとらわれているからなのだろうか、と綱は思う。


「お前の配下の飄に山田大丞を殺させたのか?」綱は冷静に訊いた。


「そんな命令はくだした覚えはないな」季武はいつもどおりの言い様であった。「万が一、俺がやらせたとしてもだ、国の金を横領していた悪人がひとり死んだだけだし、お前の毛嫌いしている朱天を捕らえることもできたのだから、それでいいじゃないか」


「何がよいものか。自分の理想のために真実を藪の中に隠すなど、俺は好かん」


「好くも好かぬも、それで今の世の安定につながるならいいじゃないか」


 綱は頭をかかえたい気分であった。

 じっさいこめかみのあたりが錐で刺したように痛んだ。


 ――わかっているのだ、俺は。


 綱は、目の前にいるこの男が、山田大丞の殺害を命じたことに勘づいている。

 勘づいていながら、どうにも手を出しようがないことが、たまらなく歯がゆいのだ。


 ――朱天を解放し、季武を詰問して罰をうけさせるべきか。それとも、このまま、朱天を下手人として、ことを収めるべきか。


 どちらの道に進んでも、悔恨と慙愧とにさいなまれる気がする。

 悪の手段で作り出した理想の未来が、はたしてこころよいものであろうか。

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