三ノ二 タダの策

 女は去って行く綱たちの後ろ姿を、なかば他人の苦しみに耳をかさない者を恨み、なかばこうなることが当然であったようすで、じっとりと絡みつかせるような視線で、見送った。


 すると、いつのまにそこにいたのであろう。

 どこかの公家の家臣と見える、歳の頃なら二十四、五。

 ちょっと垂れた目に色気のある男がこちらをみて手招きしている。


 女は茫然と、しかし好奇心にあらがいがたい様子で、男の手招きに応じた。


「なんて野郎だ」男は去って行った渡辺綱のほうを見ながら言った。「俺はああいう冷血漢にはなりたくないね」


「あ、あの、もしや今の話をお聞きなさったので?」


「さよう、しっかりとこの耳で聞きおよびました」


「で、では、あなたさまが」


「いやいやいやいや、俺はそんな宮中に顔が利くような身分の人間じゃないよ」


「そうですか」と女は顔を曇らせた。


「そう悲しい顔をしないでくれ。女を悲しませるのは俺の流儀に反するんでね。ひとついいことを教えてあげよう。三条通を東へずっと行って、京を出て、鴨川を渡ってさらに歩いたところに、こんもりとした森がある。そのなかに、昨今、流民があつまって小さな村落をきづいたんだが、その集団の中心にいる朱天しゅてんという男。こいつが困った人をみすてておけないような、ちょっとお節介な性分だ。そこで、だ、あんた、そいつのところに行って話しをしてみなよ」


「そのかたは、宮中に顔がおききになるようなご身分のお人なのですか」


「いんや、ただのはぐれ者だ」


「そ、そんな」


「ただのはぐれ者だが、たよりにはなる。ま、行って話しをするだけならタダだ。だまされたと思って相談してみるんだな」


「さようですか。お教えくださり、まことかたじけのうございました」


 そう言って女は、従者とともに立ち去って行った。


「いやはや、このままお別れするにはおしい美人だねえ」


 女を見送りながら、男がつぶやいた。


「綱よ、お前さんの足りないところを、この季武がおぎなってやったんだ、感謝しろよ。策をめぐらすだけなら、タダなんだ。タダでできることをできないお前さんはやっぱり頭が固いんだよ」




「でだ、金時が引く台の上で皆が演奏して、俺が先導しながら踊って、朱雀大路を北へ北へと進んでいくわけよ。そうして進んでいくうちに、わんさか人が集まってきて、大群衆で踊りを踊って、綱をヘコませて、頼光をたじろがせるわけ。矢が雨のように降ってきても皆の体を避けて地面につきささるし、兵士たちはビビって逃げ出すし」


 家の居間で茨木いばらきが楽し気に話す話を、朱天しゅてんは眉をひそめてきいていた。


「そりゃまた、たいそうな夢をみたもんだ」


「な、おもしれえだろ」


「面白いけど、いささか非現実的すぎやしないか」


「夢が現実的じゃあ面白くもなんともねえ」


「ちげえねえ」金時きんときが同意してうなずく。


「な、金時はわかってる」茨木は同志を得てうれしそうだ。


「音楽で権力者に反抗するなんて、一度やってみたいけどなあ」熊八くまはちが思いをはせた。


「やってみようぜ、朱天のダンナ」


 成功を疑わないような誘い方をする茨木に、朱天は、


「いや、無理だから。雨のように矢を射こまれて、すべてがはずれるとかありえないから。現実は、みんなまとめて綱たちにぶった斬られておしまいだから」


「悲観的だね、意外と」茨木はあきれて首を振った。


 そこへ、


「もうしわけありません。こちら、朱天様のお屋敷で間違いないでしょうか」


 市女笠をかぶった女が、従者をしたがえて、庭に立っていた。


「お屋敷ってほどじゃないですけど、私が朱天です」


 朱天は縁側まで出て、女に挨拶をした。


 女は市女笠を脱ぎながら、深深とお辞儀をして、


「私、大蔵省につとめる新庄宗親しんじょう むねちかの妹、さかえ・・・ともうします」

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