二ノ十五 うたげ

 朱天組の家にやってきた上野孝安の浮かべる笑顔は光を放つようである。


「いやあ、助かりましたよ。昨日、渡辺綱さんから中納言様のほうにしらせがありまして、土蜘蛛一党から釈迦如来の掛け軸を取り返したものの、ふたたび盗まれてしまった、と平謝りに謝っていました」


「そうかそうか、あの綱の野郎もこれでちっとは丸くなるだろうよ」綱を毛嫌いしている茨木にとっては痛快でしかたがないようだ。


「けど、最後に、かならず掛け軸は取り戻すから、しばらくお待ちください、なんて言ってましたよ」


「綱も懲りねえな。掛け軸はもう土蜘蛛のあやめの手に移ってるんだから、もうどうしようもねえってえのに」


「しかし、茨木よ」と朱天がたしなめるように言った。「綱はそのことを知らないのだから、まだ俺達が掛け軸を持っていると考えているんじゃないのかな」


「へへへ、証拠ってもんがねえだろうよ。証拠もないのに俺達を捕まえちゃ、綱自身の沽券にかかわるぜ」


「理屈ではそうなるな。けど、相手は源頼光、ひいては藤原道長という権力者の後ろ盾があるし、感情が先走ってヤケになるってこともあるからな」


「心配性だな、朱天のダンナは」


「で、中納言様からお叱りを受けたんじゃないのか、孝安さん」朱天が訊いた。


「なんか、最初に屋敷から盗み出したのも土蜘蛛ってことになっているし、私はこれでおとがめなし」


「そいつは良かった」


「中納言様は落ち着かないような、不安でたまらないような顔してました。代代伝わる家宝ですからね、あの釈迦如来の絵は」


「秘密が世に出てしまうんじゃないかと危惧しているのだろうな」


「秘密?秘密ってなんです、朱天殿」


「さ、さあてね、それはお前さんの知らなくていいことさ」そうして朱天はごまかすように、「さてさて、天気もいいことだし、久しぶりに三条広場へ行って演奏でもしようじゃないか」


「いや、ちょっと待て」とまっさきにアイデアにのっかりそうな茨木が待ったをかけた。「すべて解決したことでもあり、村のみんなもクサクサしてることでもあり、この庭でいっちょ演奏会でもやって憂さを晴らそうじゃないの、朱天のダンナ」


「そりゃいいな、茨木!」


 そうして皆は、掛け軸を取り返したお礼として、あやめからもらった銭で食料を買い込み、飯屋の無愛想な親父(彼も焼け出されて朱天村に起居している)が食事を用意した。

 そうして朱天組の面面は自分の得意楽器を庭へと持ち出して来た。


「なあ、茨木よ、音楽ってのはいいもんだな」


 琵琶を調律しながら、とつぜん、つぶやくように朱天が言った。


「なんでえ、ダンナ、急にしんみりしちまって」準備運動で体をほぐしながら茨木が答えた。


「俺は今まで、仲間ってものがこんなにいいものだなんて知らなかったし、音楽で人を勇気づけたり楽しませたりできるものだなんてことも知らなかった」


「そりゃ、俺も同じだ。俺はずっと、ただ自分が気持ちいいって理由で踊りを踊っていた。けどよ、こうしてみんなで組を作って、皆の音楽に合わせて踊って、踊りの持つ可能性みたいなものを発見したな」


「ずっと、みんなでこうしていたいな」


「そうだな、ダンナ」


 朱天がすっと何かを振り払うように立ちあがった。


「さあみんな、野外演奏会をはじめるぞ!」


 熊八が客寄せに太鼓を叩き始める。

 太鼓の音につられて、朱天村の皆がどんどん集まってくる。

 いや、村の住人ばかりでなく、どこからともなく、京の人人が百人、二百人と集まってきた。

 とうぜん、庭におさまりきらないものだから朱天村の前の荒れ野へと、場所をうつすことにした。


「んじゃ、いっちょぶちかますぜ!」


 朱天の号令とともに、演奏がはじまる。


 朱天の琵琶が心をふるわす!

 虎丸の横笛がさわやかに響く!

 熊八の太鼓が大地を揺さぶる!

 星の歌が皆を優しくつつむ!

 茨木と金時の踊りが観客の体を躍動させる!


 皆が歌った。

 皆が踊った。

 皆が震えた。


 地べたに這いつくばるような生活。

 泥水をすするような人生。

 権力者に家を焼かれ涙を流した日日。


 すべてを忘れて、皆の心が、体が、声が、シャウトする!


 陽が暮れ、月がのぼっても、宴は終わらない。

 ずっと、ずっと……。

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