二ノ十一 脱出
渡辺綱が、囲んだ屋敷を眺めて言う。
「これほど
「さてさて、慢心は禁物だぜ、綱サンよ」と隣にいた卜部季武は懐疑的である。「相手はなにしおう盗賊土蜘蛛一味だ。そう簡単にはいかんと思うがね」
「そのために、おぬしの手下の忍衆を配置して見張らせてもいるのであろうが」
「まあ、俺自身、忍衆の実力は自慢してはばからんところだが、完璧じゃあないんだな、これが」
「ふん、土蜘蛛も朱天一味も、まとめて成敗してくれる。やれッ!」
綱が手を振った。
隠れ家の四方を取り囲む兵たちが、いっせいに矢を射かけた。
矢が、屋敷の裏庭に次次と突き刺さり、瞬く間に竹林の様相をていした。
「星よ」降りしきる矢の雨を眺めながら、あやめが呼んだ。「朱天殿たちを連れて抜け道から落ちのびよ」
「はい」
星は小さく答えて、朱天達をいざなった。
「あやめ、あんたはどうする?」
「荷物をまとめたら後を追うよ、朱天殿。例の掛け軸は捨てるには惜しかろう?」
「わかった。無事でな」
朱天達は星の後に続く。
星は、納戸と見える部屋の戸をあけると片膝ついて床を手のひらで叩いた。
と、床が跳ね上がり、地下へと続く階段があらわれた。
星が手招きし、朱天達は階段を下りて行った。
あやめは部下たちに必要な物だけ持ってすぐに館をでるように指示し、自分は釈迦如来像の掛け軸を隠し戸のなかから取り出した。
そこへ、どたどたと床板を踏み鳴らす、無数の音がせまる。
「ちっ、思うたより敵も動きがはやい」
掛け軸を抱えて、部屋を飛び出すと、廊下を走ってきた綱とぶつかりそうになって足をとめた。
綱が、じっとこちらを凝視している。
何者か判断つきかねているようにも、あやめの美貌に一瞬見とれたようにも見えた。
「女、何者だ」綱が
「人の家に土足で踏みこんでおいて、何者かもないものよのう、渡辺綱殿」
「むっ!?」
瞬時に自分を渡辺綱と見破った女に、綱は不穏なものを抱き、抱いた瞬間には太刀を抜いて斬りつけていた。
さっとあやめが飛びのいた。
が、着地した拍子に足がちょともつれ、抱えた掛け軸が滑り落ちてしまった。
「ちっ」
と舌打ちしつつ手を伸ばしかけたあやめであったが、綱が太刀を振り上げつつ一歩踏み込んでくるのを見、身をひるがえして脱兎のごとく駈けだした。
それを手下に追わせ、綱自身は掛け軸を拾った。
「こんなものをなぜ、大事そうに抱えて逃げようとしたのか、あの女」
その時、綱の脳裏に、先日頼光邸で季武とかわした会話がよぎった。
「これが、中納言様の家から持ち出された掛け軸かもしれんな。中納言様もお困りであろう。あとで返してさしあげねば」
そうして、手下たちの後を追った。
館の廊下をいくつか曲がると、そこかしこで兵たちが右往左往している。
「いかがした」
「綱様、それが、賊徒の姿がまるで見当たりません」
「そんな馬鹿なことがあるか。じっさい、ついさっき女がひとりおったではないか」
「それが、霧か霞のようにふっと消えていなくなったんです」
「夢でも見ているのではあるまいな。人間が霧や霞に変じるなどあろうか。館のすみずみまで探せ、どこかに抜け穴かなにかあるに違いない」
「はい」
兵たちは、さっと散っていった。
抜け穴のトンネルは百メートルちかくも伸びていて、出口とみえるふさいだ板を持ちあげると、そこは見慣れぬ寺の……。
「くせえな、おい」茨木がそとに飛びだすと途端にぼやいた。
「厠の脇のようだな」朱天が辺りを見回す。「しかし、どこだここは」
「六波羅蜜寺の中」星が答えた。
「まさか、寺のうちに抜け道がつうじているとは、渡辺綱たちも気がつくまいな」
朱天が本堂とみえる巨大な建物を眺めた。
「さて、ここであやめを待つか」
「いえ、逃げるのが先決」
「そうか、星がそういうなら、この場を去ろう。さ、みんな、我が家まで走るぞ」
と、走りかけた朱天に、
「出口はどこだな」
熊八が訊くのだった。
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