二ノ八 坂田金時、あらわる

「やめろーっ、やめてくれーッ!」

「なんてことをするんだ!」

「キャーッ!」


 男の罵倒。

 老人の叫喚。

 空気を引き裂く女の悲鳴。


 四条河原が燃えていた。


 鴨川の河原に形成されていた、掘っ立て小屋の町が、火の海となって天を焦がす。


 放免ほうめんたちが叫ぶ。


「このゴミどもめッ!」

「きれいさっぱりに掃除してやる!」

「燃えろ、燃えろ!」


 ひとりの体格のいい男が放免に立ち向かう。

 が、たちまち数人の放免に取り囲まれ、袋叩きになってしまった。


 女がやめてくれと叫びながら、放免の脚にすがりつく。

 その放免は女の髪をつかむと、鴨川へと連れて行き、女の顔を川面に沈めた。

 苦しさのあまりに顔をあげる女を、さらに水に沈める。

 何度も、何度も。


 白髪の老人が、放免達の前に果敢にたちふさがる。

 余命いくばくもない老人が、無惨に殴り倒される。


 そこに広がるのは、地獄絵図。

 そこに群れるのは、地獄の悪鬼。

 そこに嘆くのは、名もなき亡者。


 ただ生きるためにここに流れつき、住み、商売をほそぼそと営む人人。

 そんな人人の生活が、その糧が、無慈悲な権力の前に灰燼となりはてる。


 横暴。

 冷酷。

 非情。


 幾百人の住人たちが、土手から地獄を茫然とみつめていた。


「すべてを燃やし尽くせ。不浄なものを灰と化せ」


 指揮をとる武士――渡辺綱がまったく無情に命令する。

 放免たちは、そんな命令などなくても、人人の生活を蹂躙しつづけている。


「やめろっ、お前らそれでも人間か!」


 怒髪天を突く勢いで、茨木が土手を駆けおり、皆のもとに駆け寄ろうとする。


 それを、がっと朱天が羽交い絞めにしてとめた。


「よせ、茨木、お前ひとりが行って何になる」


「だけどダンナ、これじゃ、あんまりだ!」


「俺も同じだ。気持ちはわかる!」


 なすすべがない。

 いくら怒りをつのらせようと、朱天達では、この数十人の放免たちに太刀打ちはできはしない。

 泣きながら、罵倒しながら、この屈辱に耐えるしかないのだ。


 その時であった。

 火をつけたり、住人達に暴力を振るっていた放免達の列がどっと乱れた。

 金切り声をあげる者さえいた。


 燃えさかる炎を背にし、巨体が動いた。


 数人の放免達が宙を舞った。

 鴨川に突き落とされる者がいた。

 河原を石のように転がる者がいた。


 綱が、冷酷な視線をその倒れた放免に向け、巨体の男に向けた。


 朱天組の面面も、あぜんとしてその姿をじっと見つめる。


 二、三十人はいる放免達を突き飛ばし、人垣を割りながら、巨体の男が綱の前にたつ。


「あんた、それでも人間か!」


 男は二十歳くらいで、背丈は二メートル近くあるだろう。

 筋骨たくましく、隆隆としているのが着ているほうの上からでもわかるくらい、いわおのような体格だ。

 彫りの深い顔をして、太い眉と意思の強そうなしかしどこか悲しみを帯びた目をしている。


「金時」綱がいまいましげに言った。「貴様、何をしているのかわかっているのか」


「ああ、わかっているさ」金時と呼ばれた男が、重重しい声で答えた。「これが、頼光の親父さんにそむく行為だってことは百も承知だ」


「承知しているのなら、さがっていろ」


「承知していても、体が言うことをきかねえんだ。ここにいる罪もねえ人達を助けろって、勝手に動くんだ。あんたをぶん殴りたくってしょうがねえんだよ!」


「貴様、四天王のひとりに数えられて、図に乗っておるようだな」


 綱が、太刀を引き抜いた。


 白銀の刀身が、ギラリと炎の光を跳ね返した。


 対する金時は素手のまま、ぐっと腰を落として、腕を構える。


 そうしてふたりはしばらく見合った。


 いつ闘いがはじまるものかと、朱天組も放免達も、固唾を飲んで見つめていた。


 やがて、綱が舌打ちして、


「そこまでだ、お前たち」放免に向けて言った。「これ以上やっては死人がでる。こんな出来損ないどもでも人間は人間だ。人はあやめるなと、頼光様より厳命されている。引き上げるぞ」


 渡辺綱はくるりと振り向くと、ひとりさっさと立ち去っていく。

 放免達はあっけにとられた顔をして、その後を追った。


 金時は、歯噛みし、こぶしを握り締め、怒りで真っ赤に充血した目で、去り行く男たちを見ていた。

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