一ノ二 その名は茨木

 晴れた空。

 浮かぶ綿雲。

 その下で踊る、赤い髪の男。


 男は長い赤髪を振り乱し、黄色の直垂ひたたれを胸元まではだけ、裸足で大地を蹴る。


 この赤髪の男の踊りが独特だ。

 公家連中が扇を持って舞う優雅なものとはまるで違う。

 飛び、跳ね、片足でぐるぐる独楽のように回る。


 それを取り囲み見物している者達は、その風変わりな踊りに高揚する。

 いつのまにか、赤髪の男の踊りにあわせ、自分たちも足をふみならし、拍手を打つ。

 三条大橋東のその一角は、異常な熱気と興奮で沸き立っていた。


 赤髪の男は酔っていた。

 もちろん酒にではない。

 この観客達に、それと、こんなに盛り上げる自分に!


 自分の踊りにあわせて手を叩く。

 つられて踊り始める者もいる。

 赤髪の男の両側でいっしょに独楽になって回る者達もいる。


「うぉっ、うぉっ、うぉっ、うぉっ、うぉぉぉぉぉおっ!」


 群衆の歓声ともわめき声ともつかない叫びが、喝采が、赤髪の男を昇天させんばかりの恍惚こうこつへといざなうのだ!


 ――いいぞ、お前ら、もっとだ、もっと俺を盛り上げてくれっ。俺を昇天させるまで喝采してくれっ。ついでに銭もちょうだい。


 だが、そんな群衆たちの盛り上がりを、黙って見過ごしにしない者達がいた。


「お前ら、何をやっとるかっ!」


 群衆をかき分けるようにして、ふたりの男が、のっしのっし、肩をいからせ、人人を威嚇し、赤髪の前に現れた。

 平安京の庶民の嫌われ者、放免であった。


 ふたりの中年の、ヒゲで顔下半分がうもれた男たちが、むやみやたらに大きな声で、わめくように言う。


「誰の許しを得て、ここで見世物をひらいておるかっ?」


 赤髪は踊りをやめた。

 彼を取り囲んでいた群衆が、蜘蛛の子を散らすように散っていく。


「なんでえなんでえ!」


 赤髪の男が、身を乗り出して、放免をにらみつけた。

 今にも食いつきそうな目つきだ。


「天下の往来で、誰が踊ろうと、歌をうたおうと、誰の許しがいるってんだ!?」


 赤髪の男の、ぐっと噛みしめた歯には牙がはえていた。

 いや、ほんとうは、八重歯であろう。

 しかし、その八重歯が恐ろしく長く、とがっているのだ。


 赤髪男の赤い目ににらまれて、放免達は、ちょっとたじろいだ。


「だだだ、だいたい、何だお前はっ?」

「そそそ、そうだ、何だその赤い髪はっ?」


 たじろぎながらも、虚勢を張るのを忘れない。それが放免である。


「髪?この赤い髪のことを言ってんのか、ああん?」


「みぐるしい髪の色をしおってからに。ば、化け物か?」


「ば~け~も~の~だ~と~ぉ?俺は人間だ。茨木いばらきってかっちょいい名前まであるんだぞ。偉そうなことばっか言ってると、いっぱつお見舞いするぞ!」


 赤髪の男、茨木が腕を振り上げた。


 その時であった。


 どこかから飛んできた石礫いしつぶてが、放免の額に、こつりと乾いた音をたてて当たった。


「痛っ、誰だっ!?」


 わめきながら、放免のひとりが周囲を恫喝する。


 放免にはわからなかったが、赤髪の男には見えていた。

 十五メートルほど向こうで、琵琶を弾いていた男が、石を投げたのだ。


 ナイスピッチング!


 そちらに向けて親指を立てたサムズアップ茨木であったが、琵琶の男は向こうを向いて、しらんぷり。

 そりゃないぜ。


「けっ、偉そうに威張り散らしてんなら、小石のひとつぶくらい、よけろってんだ。軽~く、ひょいって」


 からかう茨木に、ついに、ふたりの放免が、ぷちんとキレた。


「「きぃーーーッ!」」


 ふたり同時に、頭のてっぺんから突き抜けるような、変な叫び声をあげた。

 そしてふたり同時に、茨木にむかって飛びかかる。


 茨木はひょいとよけた。

 ひとりの放免がつんのめって倒れる。

 もうひとりが殴りかかる。

 茨木は無造作に右手を突き出した。


 カウンターパンチが思いっきり顔面に命中し、放免が、


「ふにゅぅ」


 奇妙なうめき声とともに腰砕けに倒れ込んだ。


「どんなもんだ、クソ放免どもめ!」


 茨木が左手を腰に、右手を天に向かってのばし、指さした。

 勝利のポーズである。


 そこへ、


「なんの騒ぎじゃ?」

「お、どうした、お前たちっ?」

「誰がやった、お前か、赤いの!」


 十数人の放免が大挙してやってきた。


 ――こいつはまずいぜ。


 さすがの茨木も、この人数あいてに大立ち回りはできやしない。


 放免達が、茨木を半円状に取り囲んだ。


 じっとにらみ据える放免達。

 にらみ返す、茨木。


 大きく息を吸って吐くこと三回、火花が散るのが見えるほど、にらみ合った。


「逃げるぜっ!」


 なんと、くるりときびすを返した茨木は、脱兎のごとく走り出した!


「あ、待て、コラッ!」


 放免達も一斉に追いかける。


 茨木は、逃げる、逃げる、逃げる。

 視界の先には三条大橋。


 その手前で、琵琶を弾いていた、あの石を投げた男がびっくりした顔をして立ちあがった。


 そして、なぜか茨木と並んで走り始めた!

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