第7話
5月9日、夜10時。
もう少しで私たちはツアーに出発する。
10日の午前2時に車で迎えに来てくれるらしい。基本的に頭を使わず、ガイドの人についていけばいいのは気が楽だ。
まぁ、いざという時は禅汰に任せよう。
「もう準備は大丈夫ー?」
禅汰の部屋の戸を開けると、彼は特に普段と変わらない様子でくつろいでいた。
「我は特に準備しなくて良い」
たしかに。
「動きやすい服装、歩きやすい靴・・バッチリだね」
「ちゃんと財布持ってね」
「あいよー」
累ちゃんが気の抜けた返事をした。
いよいよ午前2時。ホテル前に送迎車が停まった。
「今回はツアーのご予約、ありがとうございます。ガイドを担当する藤原と申します」
「よろしくお願いします!」
三人の声が揃った。
「えー・・沢田舞さん、徳村累さん、前田禅汰さんでよろしいですね?」
「はい、あってます!」
「早速ですが、今からパウエル湖という場所に向かいます。これは全米で2番目に大きい人工湖でね・・赤い岩の崖、エメラルドグリーンの水、砂浜で囲まれているんです。実際の景色は圧巻ですよ」
流石プロだな、と思った。
話すスピードも丁度良く、長々と話さないので内容をしっかりと楽しめる。
「ただ、そこに向かう道中で一度星空観察をしますよ。では早速行っちゃいましょうか」
「やったー!!!」
藤原さんの話す豆知識や雑談のお陰で、車内の空気はだんだんとほぐれていった。
一時間ほど走ったところで、彼は車を停めた。
「では、いいスポットに着いたので星空観察・・しちゃいます?」
「したいです!!」
「何!?本当か!?」
突然、禅汰が大きな声を出した。
「どうしました?」
驚いた表情で藤原さんが聞く。
「今、舞が死体ですって・・」
「何言ってるの?」
一発だけ平手打ちをした。
「そっちの死体じゃないから」
「そうか」
変わった妖だ。
車を降り、私たちは仰向けに寝転んだ。
何処を見渡しても満天の星空、私たちは言葉を失っていた。
「すごい・・」
口から出たのは、その一言だけだった。
「この数百年で飽きるほど星空は見てきたんじゃが、何故だろうか・・今ならあの星にも手が届きそうに思える」
「たまにはキザなことも言えんだね」
「右手側に見えるあの星は・・」
私たちの感動も落ち着いてきた頃に藤原さんが解説を始めてくれた。
七分ほど話を聞き、私たちは再出発した。
「次は5時頃にトイレ休憩を取りますんでね、それまではゆっくりお休みください」
車内でも禅汰が寝ることはなかった。
「起きろ」
肩を軽く叩かれ目を覚ますと、ハリケーンという町の中に居た。
ここはガソリンスタンドやファストフード店も多く、ほぼ毎回休憩のために停まる町らしい。
「我はここで待っておる。藤原さんも休憩したほうがいい」
もうちょっと腰を低く出来ないかな。
「では、お言葉に甘えて・・」
トイレを済ませ車に戻ると、大柄な男性が車の近くで悶絶しているのが見えた。
「ちょっと待って何あれ!?」
私も累ちゃんも半ばパニック状態である。
「禅汰!どういう状況!?」
少し離れたところから叫んだ。
すると、禅汰は凛とした顔で車を降りてきた。
「まぁ、少年が車に一人で居たら狙われるのも不思議ではなかろう」
やけに冷静だった。
「え、じゃああの人は・・」
「乱暴をされそうになったんじゃよ。人を傷つけるのは好まないが、自衛のためじゃ」
「だとすると禅汰くん強くない?」
累ちゃんが目を丸くしていた。
まぁ、妖と知っている私はあまり驚かなかったが・・
「とにかく、この男は置いて出発しよう。面倒事はごめんじゃ」
「わかりました・・」
藤原さんも動揺していた。
「余計な心配をかけた。すまない」
藤原さんが車を進めると、禅汰が申し訳無さそうに言った。
「いえいえ、この車を守ってくださってありがとうございます」
曇りのない笑顔で藤原さんが言うと、禅汰は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。
「どうしたの?」
「我の力を人のため、自分以外のために使ったのは初めてだったんじゃ。だから、人に感謝されるというのはこういうことなのかと思ってな」
それ、言っちゃって大丈夫なの?と思った。
「禅汰さんは色んな背景があるんですね」
藤原さんはいい人だ。場の空気を常に平穏に保ってくれる。
「ま、初対面のときから不思議な雰囲気の子だとは思ってたよ!なんか他の男の子とは違うなって・・大人びてるっていうか、何かを悟っているみたいっていうか」
まぁ、私の単なる友達という嘘がバレるのは時間の問題だろうと思っていた。
ただ、想定より少し早かったというだけ。
「禅汰の詳しい話は日本に帰ってからするね」
「わかった!」
車内が静かになって約一時間。最初の目的地パウエル湖にやってきた。
「レイクパウエル展望台、と言いましてね。パウエル湖を一望できるんですよ」
展望台を登りきり、私たちは外に目を向けた。
「うわぁ~!」
実際に見る景色は想像以上の壮大さで、眠気など一気に消し飛んだ。
「SF映画のロケ地にもなっているんですよ。いわゆる聖地ってやつですね」
乾いた大地に水を与える神秘的な人工湖。
一目見ることが出来て良かったと心から思う。
「天国があったら・・こんな感じなのかもね」
累ちゃんが呟いた。
「天国がこれほどの美しさなら、成仏できなかった者は羨ましがるじゃろうな」
禅汰は諦観の目をして言った。
「やり残したこと、あるんでしょ?」
前世に大きな『忘れ物』をした人が妖となる。
それを見つけることができれば、きっと禅汰も成仏できるはずだ。
何枚か記念写真を取り、私たちは次の目的地に向かった。
「どうでした?事前に見た写真よりも迫力があったんじゃないですか?」
「ですね、やっぱり生で見るのが一番です」
「次はホースシューベンドという所に行きますよ。まぁ、難しい説明は必要ありません。見て、そして感じてもらいたい、そんな場所ですからね」
川が馬の蹄のような形に曲がっている。それがホースシューベンドという名前の由来だそうだ。
「水に空が映ってる・・!」
「今日は晴れですからね。この景色を見るには最高のシチュエーションですよ」
その後もアンテロープキャニオン、フォレストガンプポイント、モニュメントバレーとトントン拍子で絶景をこの目に焼き付けていった。
「そしていよいよメインディッシュ、グランドキャニオン国立公園に向かいますよ」
いろいろな場所を回って若干ぐったりし始めていたが、藤原さんの言葉を聞いて一気に体力が戻った。
「なんとグランドキャニオンの岩肌には20億年分もの地層が刻まれているんですよ」
「20億・・?」
私が生きてる年数の大体1億倍・・果てしない。想像もしたくない長さだ。
「そう思うと、我とお主らの歳の差など誤差なのかもしれん」
禅汰がぽつりと呟いた。
確かに、たった数百年・・と思ってしまう。
でも、実際に生きてみると23年でさえも果てしなく長い道のりだった。
酸いも甘いも噛み分ける・・とまでは言えないかもしれないが、それなりに苦楽は味わってきた。
きっと、禅汰との出会いが千載一遇のチャンスだったのだろう。
この、モノクロで面白みのない人生を一変させるための。
その時私が選んだのは「どうせこの人生の記憶も、私の存在も失われてしまうのなら、最後くらいは好きに生きよう」という道だった。それを望んでいたし、最善の選択だと思っていた。
ただ、時々脳裏をよぎる。
まだ行けるんじゃないかって。私、まだまだやれるんじゃないの?って思ってしまうんだよ。
でも、当然不安もある。禅汰と出会ってから、出た博打全て勝っているんだ。
今こうやって楽しんだ分のしわ寄せがいつか来るんじゃないかって・・
そういった不安も関係ないと思えるくらい、生きたいと思えるかと問われると、あまり自信はない。
今の私にできるのは、目の前に広がっている景色を端から端まで味わい尽くすことだけ。
「随分と長い間、物思いにふけておったようじゃな」
車を降りると、禅汰が身なりを整えながら言った。
時折、禅汰は私のことをよく見ているなと思う。
人をすごく気にかけるようなタイプではないように見えるが・・意外と気にしているのだろうか。
しばらく歩き、1つ目のビューポイントにやってきた。
「うわー!!写真で見たことある景色!!」
これぞ『グランドキャニオン』といった景色が360度すべての方向に広がっている。
膨れ上がった期待を軽々と超えるようなその景色に私はただ目を見開くばかりだった。
余計な言葉は、何もいらない。
私の目の前には、顕在化された幸せが広がっている。
言葉を失った私たちを見て、気を使った藤原さんは無言で景色を眺めていた。
「生まれてきて・・よかった」
そう思うと同時に、今死んでも後悔はないと思った。
私の言葉を聞いた禅汰は少し驚いた表情を見せたが、その後すぐに微笑み、頷いた。
「舞ちゃん・・ありがとね」
「ん?」
「舞ちゃんのおかげだよ。この景色を見れたの」
返す言葉が見つからない。
どういたしましてなのか、謙遜すべきなのか・・
「一緒にこの景色を見れてよかった」
今の私に言える一番の言葉はこれだった。
「今の私が幸せなのは、舞ちゃんのせいだからね」
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