明保野舞はいつもこう!!

こむぎこ

明保野舞と冬の夜

 ドンッ!!


 ブレーキなし、全速力の自転車のタックルというのは、想像以上に堪えるものだった。

 人は生まれる瞬間に人生最大の圧力を感じているだなんて話もあるけれど、それを疑ってしまうくらいには大きな衝撃だった。

 事故にあうだなんて運が悪く、それ以上に脛という当たり所が悪かった。


 弁慶でさえ泣いてしまうのだ。労働に痛めつけられた、深夜のひ弱な国語教師だって涙に溺れてしまっても仕方ない。

 膝をかけてうずくまる僕に、追い打ちのような影が重なる。光が、途切れる。

 そちらを向けはしないけれど、息を吸う声が聞こえる。


「これだけ先生を推しているのに!! まったく!! 逃げるだなんてどうしてなんですか!!」


 この状況にそぐわない罵倒だけが、そこにあった。

 そしてなお悪いことに、それは聞きなれた声だった。


「いてぇよ……僕を見る前に標識を見てくれよ」


 うめき声にも似た反論だが、彼女には届いていたようだった。なんなら、標識を見るついでに、己を省みてほしかった。

 自転車道が整備されている道なのに、わざわざ歩道を走ってくるのはいかがなものか。決められた道に背くのが、学生時代の特権とでも言うつもりだろうか。


「そんないかがわしいだなんて」

「言っていないし、軽率に地の文を読むな!?」

「いえ、待ってください。

 地の文を読まなかったら何を読めばいいんですか、

 人間地に足をつけて生きていくのが大事なんです。

 つまりは、私は、先生の地の文を踏みしめて生きていくべきなのです。」

「先生こんな子に育てた覚えはないぞ……」

「ええ、でも、これが先生の好みでしょう?」

「そうだったことは一度たりともねぇよ」

「え、好みでしょう?」

「強制か……? イエスと言わないと終わらないのかこの会話は」

「もし違うというのなら、先生の好みの方を矯正しようかと」

「この国には好みの自由すらないのか!! そしてそこはかとなくいやな変換がされている気がする!! 正しさなんて概念を好みに持ち込んではならない!!」

「なんなら、共生するなんてのもいいかもしれませんね、はい、どうぞ、先生」


 共生だろうとまったくもって良くないけれど。


「なんだこれ」

「私の部屋の合鍵です」

「いるかこんなもん!!」

「なんですって!!これがあればいつでも私の部屋に入り浸れるというのに!!

 私とあえる魔法のチケットですよ? 」

「まずいだろ、なんか多分そのチケットの行き先、社会的な死とかじゃねえの。

 やだよまだ葬式ははええよ」

「その前に結婚式が必要ですもんね、冠婚葬祭!!」

「その順で行くならまずは成人してからな」

「順番が定められた人生、むなしいとは思いませんか?」

「むなしいのか?」

「悔しいことに、こうして話していると楽しくて仕方ありませんね!!

 愛ですか? これが愛でもいいですか?」

「そいつぁ勘違いというやつだ、かえって寝て落ち着け」

 本当に落ち着いた方がいいと思う。

「では、一緒に帰りましょう? 合鍵はわたしましたし」

「あのなあ」

「なにか、問題でも?」

「いらんよ、この鍵」

「……どうして、そんなこというんですか。入り浸らないんですか?」

「なんでもなにも、入り浸るほど暇でも倫理観を手放してもねえの。

 持っていてもマイナスしかない、というか、あれじゃんか。

 そもそもお前の家の鍵がかかってるからあっても仕方ない。」


 彼女ははっとした顔を浮かべた。そして、その顔がさらにくしゃりとゆがむ。


「そう……でしたね……すっかり忘れていました。先生は私の家から出ていったんでしたね……」


 物憂げな表情で語る彼女は、ともすれば映画のCMにでも使われそうな素敵なワンシーンにいた。

 けれど、僕が彼女の家に住んでたことはない。断じてない。


「……まさか、家庭訪問で一回行っただけの出来事をピックアップしているな。」


 この先彼女の家に住むことなど金輪際ないとも言えるのに、なぜか過去に生徒の家から出ていったことを否定できない。


「金輪際ないだなんて酷いじゃあないですか。将来に希望をもたせるのが先を生きるものの役目じゃあないんですか?」

「金輪際ないものはないものだ。さぁ早く家に帰りな…さい…?」


 と、家に帰るよう促して初めて気づく。

 そもそも、ここは彼女の家からだいぶ離れた、深夜の住宅街だ。こんなところに、普通いるはずがない。


「塾帰りかなんかか」

「いいえ、今日は塾はありませんよ。先生を探して自転車で三千里です。」

「母親にでもなった気分だな……なにか、あったのか」


 きっと、真剣に探していたのだろう。彼女の耳は赤く染まっていて、長い間寒い空気に触れていたことをうかがわせる。

 重い話が始まることに身構えて、真剣に彼女に向き直ると。

 彼女はそっと口を開いた。


「私はついに真理を知ったのです。」

「大変な話か。相談があるなら、聞こう」


 こどもの悩みに、耳を傾けるのが先生……どころかまずもって大人としての責務に他ならない。


「ふふ、てきめんですね。今まで散々アタックしてだめだったのに効果があるとは古から残る言葉はさすがです。」


 にっ、と微笑んだ彼女の顔は自信に満ち溢れていた。これからいう言葉が、さも

世界の真理だと深く納得したかのように。


「ほら、推してだめなら、輓いてみろっていうじゃないですか!!」


「だから、それを実証するためにここまで来たんですよ」なんて声は、脛の痛みにかき消されて聞かなかったことになった。




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明保野舞はいつもこう!! こむぎこ @komugikomugira

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