明保野舞はいつもこう!!

こむぎこ

第1話

 どん!!


 ブレーキなし、全速力の自転車のタックルというのは、想像以上に堪えるものだった。人は生まれる瞬間に人生最大の圧力を感じているだなんて話もあるけれど、それを疑ってしまうくらいには大きな衝撃だった。こんな夜中に事故にあうだなんて運が悪く、それ以上脛というに当たり所が悪かった。

 弁慶でさえ泣いてしまうのだ。

 労働に痛めつけられた、深夜のひ弱な国語教師だって涙に溺れてしまっても仕方ない。


 膝をかけてうずくまる僕に、影が重なる。

 そちらを向けはしないけれど、息を吸う声が聞こえる。


「これだけあなたのことしか見ていないというのに!!

まったく!!逃げるだなんてどうしてなんですか!!」


 この状況にそぐわない罵倒だけが、そこにあった。

 そして、なお悪いことに、それは聞きなれた声だった。


「いてぇよ……僕を見る前に標識を見てくれよ」


 うめき声にも似た反論だが、彼女には届いていたようだった。なんから、言葉にはできなかったが、標識を見るついでに、己を省みてほしかった。自転車道が整備されている道なのに、わざわざ歩道を走ってくるのはいかがなものか。


「そんないかがわしいだなんて」


「言っていないし、軽率に地の文を読むな!?」


「いや、待ってください。地の文を読まなかったら何を読めばいいんですか、人間地に足をつけて生きていくのが大事なんです。つまりは、先生の地の文を踏みしめて私は生きていくべきなのです。」


「先生こんな子に育てた覚えはないぞ……」


「ええ、でも、これが先生の好みでしょう?」


 そう語るのは、僕のクラスの生徒、明保野舞であった。

 ずいぶん前に放課後になったというのに彼女は、相も変わらず制服のままだった。塾帰りだろうか。けれど、学校外の動きについて詮索すべきではない。間違っても、触れてはいけない。人の目というものと人のうわさというものは軽率に人を殺してあまりある。


「そうだったことは一度たりともねぇよ」


「え、好みでしょう?」


「強制か……?イエスと言わないと終わらないのかこの会話は」


「先生の好みの方を強制しようかと」


「この国には好みの自由すらないのか!!」


「間違えました、矯正です矯正。ついでに、共生するなんてのもいいかもしれませんね、はい、どうぞ、先生」


 矯正だろうとまったくもって良くないけれど。むしろ正しさなんてものが規定されているようで悪化している気すらするけれど。


「なんだこれ」


「私の部屋の合鍵です」


「いるかこんなもん!!」


「なんですって!!これがあればいつでも私の部屋に入り浸れるというのに!!」


「教師が持ってどうする!!

それに!!お前の!!家に!!鍵がかかってるからこれ一本じゃ意味はない!!」

 

 つい、この鍵を持っていることのうしろめたさの言い訳みたいなものが口からあふれ出た気がした。

 明保野ははっとした顔をしていた。真剣な驚きみたいな顔で、真面目にしていればまともそうに見えるのに、とつい思ってしまう。


「そう、ですね……。

すっかり忘れていました。先生は私の家から出ていったんでしたね……」


 物憂げな表情で語る彼女は、ともすれば映画のCMにでも使われそうな素敵なワンシーンにいた。

 けれど、僕が彼女の家に住んでたことはない。断じてない。金輪際ないとも言える。


「……家庭訪問で一回行っただけの出来事をピックアップするんじゃない」


「金輪際ないだなんて酷いじゃあないですか。将来に希望をもたせるのが先生たるものの、先を生きるものの役目じゃあないんですか?」


「金輪際ないものはないものだ。それに教師は誤りを誤りと指摘することも仕事なんだ。例えばこんな夜中に街を歩くようなこととかな。

さぁ早く家に帰りな…さい…?」


 話してみて、違和感に気づく。よくよく考えればおかしい。ここは、駅前でも繁華街でもなく、有力な塾もほとんどない。彼女の家からだいぶ離れた、家賃の安めな深夜の住宅街だ。こんなところに、彼女が普通いるはずがない。


「ふふふ、今更気づいたんですね、私はついに真理を知ったのです。いてもたってもいられずになってしまったのです。

 だからこうしてはるばる先生を探して自転車で三千里」


「な、なんだと、母親にでもなった気分だ。それで、何の真理を知ったんだ?」

 

 もしかしたら、すぐに伝えるべき内容かもしれないと身構える。こんな深夜に教師を探すシチュエーションなど、相当火急の要件でしかないだろう。


「気になりますか?」


「ああ、気になる。何があったんだ?」


「そうでしょうそうでしょう。効き目があるでしょう。今まで散々アタックしてだめだったのに、こんなにも気になっていただけるとは古から残る言葉はさすがです。」


「な、何があったんだ?」


 にっ、と微笑んだ彼女の顔は自信に満ち溢れていた。これからいう言葉が、さも

世界の真理だと深く納得したかのように。


「ほら、推してだめなら、轢いてみろっていうじゃないですか。

 だから私は、誰かに轢かれる前に、貴方を轢きにここまで来たんですよ」


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