第15話「一緒に帰ろう、な?」

「あなたは私の唯ひとりの人よ……愛してるわ」

 電話に向かって囁きかける母の姿に、期待に満ちた声をかける過去の自分。

「母さん、誰と電話?」

「あら、唯人。……誰でもいいでしょ」

「ねぇ、もしかして、父さん? 父さんでしょ! 父さん、帰ってくるって?」

「お父さんはいいから、勉強しましょうね」

 素っ気ない母の言葉にしょぼくれた後、俺は父に電話をした。

「母さんから電話? 来てないぞ」

「え……」

「父さん、忙しいからもう切るぞ」

「ちょっと待って、父さん! いつ帰って──」

 ぷつ──

 切れた電話。途切れた会話。

 父も母も、ろくすっぽ話をしてくれなかったし、聞いてもくれなかった。

 一人で、寂しかった。そんな俺を見てくれる人はいなかった。側にいても、孤独が増すだけで、泣けば甘えるなと言われた。

 そして、最後には、


「もう二度と俺の前に現れるなぁっ!!」


 断ち切られた家族の絆。

 俺が、トドメを刺した。


「──と、ゆい──唯人!」

「……ぁ」

 目が覚めると、目の前には知実さんの顔があった。

「あれ、知実さん? 俺、いつの間にかえt」

 ぎゅ、と抱きしめられた。つい反射で振り払いかけて、やめる。知実さんが泣いていることに気づいたから。

「唯人……無事でよかった」

「知実、さん」

 本気で心配していたのだということが伝わってきて、悪夢で凍えそうだった心が、すっと楽になる。

「知実さん、俺、いつ帰ってきた?」

 知実さんが落ち着くのを待って、訊いた。

「午後七時過ぎ、五十嵐に背負われて帰ってきた」

「今何時?」

「もうすぐ日が変わるよ」

「知実さん、こんな遅い時間まで……ごめん」

「徹夜ぐらいどうってことないさ。それより、お前が無事でよかったよ」

 知実さんが柔らかく微笑む。その笑みがどこか痛々しくて、なんだか申し訳ない気持ちになる。

「五十嵐は?」

 落ち込みかけた気をそらすために問いかける。

「謝ってすぐ帰ったよ」

「そう……」

 五十嵐にも謝らなくちゃな。

 crown takerがただの中二の設定だとしても、彼女なりに本気なんだ。

 俺はぐ、とシーツを握りしめていた手を見つめた。

「知実さん」

「どうした?」

「俺、久しぶりに父さんと母さんの夢を見たよ」

「──そう、か」

 知実さんが戸惑いの色を見せる。

「やっぱり、嫌だったよ」

「そうか」

 素直に口に出して、少し、涙が出そうになった。あんな夢を見たから、知実さんがさっきまで泣いていたから──心の中であれこれ言い訳を並べながら泣いた。

「俺、強いのかな……?」

「ん?」

 健一朗さんが最後に言った言葉を思い出す。


「キミは強い。だから大丈夫だよ」


 涙が止まらないけれど、俺は強いのかな?

「強いよ、お前は」

 知実さんははっきりと言った。

「素直に泣けるお前は、強いさ」

 知実さんは俺の頭を優しく叩いて撫でた。

 しばらくそうしていた。

 時計の長針が十二を越えた頃、俺は再び眠りについた。


 翌朝。

 五十嵐が迎えにやってきた。いつもより少し早い時間だ。例によって張り合うつもりか、半田も一緒だった。

「今日は早かったな」

「これをやろうと思ってな」

 五十嵐の手には赤いたすきがあった。

「ああ、なるほど」

「な、何がなるほどなんです?」

 会話から置いていかれた半田がささってくるが、俺は淡々と告げる。

「半田、お前は入ってこなくていい」

「ええっ!?」

「我々は時間がかかるからな。ほれ、さっさと行ってしまえ」

 たすきで足をくくる合間に五十嵐がしっしっ、と追い払う仕草をする。

「むむっ、あなたにそう言われると行きたくなk」

「本当に時間かかるから、真面目についてくると遅刻するぞ」

 被せ気味に指摘すると半田は口をへの字に曲げた。

「むぅっ、咲原くんまで!! うわーん!!」

 そう言って、べそかきながら走り去った。

 子供かよ、とつい笑ってしまう。

「半田ってあんなに愉快なやつだったっけ?」

「まあな。ほれ、できたぞ」

「じゃ、行くか」

 俺の右足と五十嵐の左足が赤いたすきでしっかりくくられていた。痛くないけれど、そう簡単には解けない。これなら大丈夫。

 俺と五十嵐は肩を組んで一歩踏み出した。

「おや? 思ったよりスムーズにいくな」

「そうだな」

 自然と出す足が決まっていた。五十嵐が俺にペースを合わせてくれているのかもしれないが、足並みもしっかり揃っている。

「最初の一歩も決めてなかったのにな」

「咲原、同調とかいう反則技は使ってないだろうな?」

「当たり前だろ」

「そう」

 会話が止まり、沈黙が落ちる。一歩一歩、進む足を止めることはないが、なんとなく気まずい空気が満ちていく。

「五十嵐」

 俺は持っている全ての勇気を振り絞るようにして、その沈黙を破った。

「昨日は、ごめん」

「何のことだ?」

「図書室から、送ってもらって」

 心配かけて。

 一番大事な理由の部分が声にならなかったが、言えた。

「ああ、そのことか。気にするな。当然のことをしたまでだ」

 五十嵐が答えると、再び沈黙が舞い戻る。

 周囲から奇異の視線が注がれるのが気になり始めた。二人三脚で登校するなんて高校生は普通はいないのだから、仕方ないだろう。

 二百メートルほど走って、沈黙を破ったのは今度は五十嵐だった。

「こちらこそ、すまなかった」

「え?」

「──一人にして」

 告げられた謝罪の理由に俺は返す言葉を見つけられず、黙った。

「昨日、私が図書室に着くと、お前が倒れていて。どきりとした。──離れている間に本当に誰かに襲われて、殺されたんじゃないか、と。震えが、止まらなかった」

 肩に回された手が、少し震えているのを感じた。

「そこで健一朗とかいう男と会った。やつは焦る私を見て、面白がっていたよ。全く、けしからん男だ」

 確かに、やりそうだな、あの人。情景が目に浮かぶようだ。

「やつが去り際に一言言ったんだ。[大切なことを一つだけ、目を覚ましたら言ってやれよ]と言われた。そう言われたからというわけではないが、一つ、言いたいことがあるのだ」

「なんだよ、改まって」

 五十嵐は前を見つめたまま言った。

「私はこれから忙しいと思う。お前と練習できないかもしれない。でも、だから──帰りもこうして、一緒に帰ろう、な?」

 ちらりと五十嵐を見ると、珍しく恥ずかしげに頬を赤くしていた。

「ああ」

 俺は静かに頷き、前を見た。

「ほら、練習にもなるし」

「ああ」

「私が、守るからな」

「……ああ」

 学校が見えてきた。

 俺と五十嵐はずっと走り続けた。


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