遺世界 Ⅳ

 爆発音に鼓膜がおかしくなりかけるも、衝撃の瞬間まで目蓋を開いたままだった。

 よって、あの業火が生涯最後に映したものにはならない、と直撃前に分かったし、終盤まで来て『何か』に臆した自分を悔やむ時間も与えられてしまう。

 火球は確かに衝突して爆ぜた。しかし、僕も彼女も無事だった。

 理由はただ一つ。勿論、僕はその聖域を深くは理解していないけど、絶体絶命だったあの瞬間にどのようなアプローチが為されたのかくらいは素人目にも明らか。

 カナージェさんが新たな魔法を行使した。

 奇跡の書は透明ながらも色として認識できる光を放ち、魔法癌の大口から飛来した火球をひび割れながらも防ぐことができる同色の巨大な盾を展開。結果、この身を襲ったのは火の熱と、未だ去らない魔法死遺体が蔓延させるものと同じ終焉の予感だけ。巨大な盾に守られた僕と彼女は全くの無傷だった。

 これまで優雅とも取れるくらい堂々と遺世界を闊歩してきたカナージェさんが、咄嗟に僕の前に出たのを知ってバディ失格だと悲観するよりも、すぐに切り替えなければ連携ミスに繋がるような気がして、周囲に漂う火の粉と地面を焦がす煙に構わず標的を睨んだ。

 翼をはためかせる特大の虹色トカゲが空中に座す。その姿、存在感は正しく……。

「ワイバーン」

 推定ワイバーンは、カナージェさんを離す意図で前に出た僕を捕捉、追走してきた。

 火球より突進の方が厄介に思う。これまでの子分たちと違って追撃も早い。大口や爪を躱し続けるとすぐに寝室を半周してしまう機動力と規模。

 カナージェさんは門まで後退済み。敵の瞳には僕しか映っていないようで何よりだが、効くかも分からない幸福の都の防衛手段がこの怪物に通用するのかどうかを試す間合いが……来ないなら作るしかない!

 緩急として大股で数歩下がり、大きく息を吸い、吐く。

 賭けだが、このままスタミナを削られるだけになるよりマシだろう。

 隙を演じる。カナージェさんには勝利後にお叱りを受ければいい。

 空けた距離がすぐに詰められようとも今度は臆さず、厳格な顔面目掛けて電磁弾をお見舞いした。

 今度はこっちの得物が爆発を起こし、爆音を呼ぶ。虹色のワイバーンは仰け反り絶叫した。

 しかし、僕のドッキリはそこまで。リアクションを済ませた敵は『弱い』と気付いた苦痛を払うため長い首を左右に激しく振ると、再度僕を追いかけてきた。

 通用しない。おそらく麻酔も。

 あれこれと試す気も起きない。生者としての格か器のようなものが人類や他の遺法獣たちより破格であるのなら、単純に競うのが下らないと思った。

 これが、魔法癌ワイバーンのスペックか。

 あるいは、護身グッズにも等しい玩具が全く通用していないこと、未だ眉間に皺を寄せている先輩バディの様子から推察できるように……ワイバーンの姿をしたこの魔法癌は、カナージェさんからしても前例のない未知の脅威なのだろうか……?

 考える暇までは与えてもらえず、獰猛な肉食獣の顎が眼前で何度も咬合される。腕を持っていかれそうになるも、寸前で身を退く。

 まだ動ける。しかし、これでは埒が明かない。

 こっちの攻撃は通らず、それでも敵の攻撃は躱し続けられる。この時間に何の価値があるというのか。

 そろそろ違う展開が欲しい。遺世界探検専門家のバディとして、信頼を損なう言動となるけども、このまま何も遺せず命を散らす結果ではあまりにも報いがないため、見栄を捨てて彼女に助けを乞う。

「カナージェさん」

 どう転がっても最後の頼みは彼女、魔法蒐集家・カナージェとなる。

 ドラゴンの時代を抑えつける重責を負うのが彼女で、僕はそれがどうにも気に食わないのに、現状で僕に変えられるものは何もなく歯がゆい。

 彼女を重荷から解放することも、無辜の民間人を守る脳もない自分が情けない。彼女の境遇と運命が好ましくない。

 ……こんな風に怒りを覚えるなんて、いつ以来だろう?

「できればそろそろ助けてほしいんですけど、いかがでしょう?」

 余裕があるのか無いのか、僕自身よく分からないけど、一秒間だけでも視界の中心に据えるものを虹色のワイバーンから麗人へ切り替えただけで心が軽くなった。

 このまま彼女に依存してしまうかもしれない。それを悪いと思っていないのが……神さまみたく偉そうで嫌になる。

「うむ、始末する術は持ち合わせている。ただ、できればもう少し観察したかったのが本音かな」

 僕への失望を含めた物言いと共に、サラッと、赤子の髪を撫でるような優しい手付きで頁をめくった。

 彼女は僕ら対策部隊とは違い、魔法癌を正面から倒す秘策を持つ専門家。正義の味方に相応しい明るいカラーとは対極の、黒く棘々しいエネルギーを漏らす頁を選ぶ。

 それは、きっと人類全員が忌避して然るべき恐怖の証明。

 他の誰より、彼女が持っていてはいけない闇の色彩だった。

「私の様子に違和感を覚えたはずだが、今回の魔法癌は普通ではない。まだ確定ではないけど、まさか、と思うものがある。私も君もこれから忙しくなりそうだよ」

 目の前の脅威を勘定に入れていない。カナージェさんは既に勝利を確信して『先』を見据えていた。

 彼女も変わってしまったのだろうか。その魔法には主人を変貌させる効果があるのか。森の隠れ家で毒鍋をかき混ぜる魔女のように、禍々しく光る頁の上に邪悪な笑みを浮かべているため、どっちが人の時代を終わらせる存在なのか分からなくなる。

 僕はもうワイバーンには目もくれず闇のバディに釘付けで、ワイバーンも同じく僕などを気にしている暇がなくなった。

 どれほどの知性があるのか、ワイバーンは天井スレスレまで飛翔し、入口で仁王立ちするカナージェさんを捕捉して口内に灼熱のエネルギーを蓄え始めた。より強力な火球を発射するつもりだ。

 カナージェさんはそれにも構わず、ここまで出し惜しんできた要点の説明に入る。

「さて、肝心要の魔法死遺体の処理方法だがね、まずは魔法癌を瀕死まで追い詰めてから魔力を吸い取るか、それとも殺してしまうかの二択だ。腐った卵はもう気にしなくていい。今回の魔法癌はあのワイバーンもどきだから」

 ワイバーンもどきは溶岩のような灼熱の欠片をボトボトと床に零しながら尚も魔力を溜めている。おそらく透明色の盾でも耐え切れない火力と分かる。

 カナージェさんはそれを、まずい、とは思っていない。だからこその黒き魔法なのだろう。彼女が平気なら僕も真似しようと、得物を握る握力を弱めた。

「私の台詞、覚えている?やり方次第で全て解決できるって言ったはずだけど」

「はい。現場へ向かう途中で、確かに」

 妖しい光。邪な笑み。嬲る側の貫禄。

 しかし、聖女が魔女のフリをしているだけとも取れる愉快気な相貌に畏怖までは感じられず、人類にとっての害悪に他ならない暗黒の気配が今や遠くの魔法癌よりカナージェさんの方から強烈に香るとしても、僕はもう既に彼女を信頼し切ってしまっている。

「ルナヤ君、魔法癌と魔法殺を犯した魔法使いの命は繋がっているんだ。つまり、瀕死まで追い詰めてから魔法を奪うことで、未だ行方の知れない犯人から魔法を剥奪することができる。奇跡の書に犯人の扱う魔法を収める形でね」

 とてつもないことを語っているも、それは二件目を確実に防ぐ上では最善の判断と言える。特に、正義感の強いカナージェさんが、以降その魔法を管理する形となるのは安心できる。

 だけど、それでは……と勘付くも、それを言葉にするより早くカナージェさんに見抜かれる。それで僕がキレる男だという評価になれば何より。

「しかし、それでは犯人を見つけることが叶わない。特定・逮捕し、然るべき罰を与えるところまで進展させるのが困難となってしまう。だけどね――」

 彼女は正しい人間で、これからより僕らの世界に不可欠な時代の主役となるのだろう。

 それでも、凛とした大きい目蓋の中にあるエメラルドの瞳が、遠くの空に射し、これから降ってくるあの太陽さえ凍り付かせるほど無情なものに思えて寒気がした。

「もう一択ならどうかな?魔法蒐集などせずにこの場で魔法癌を殺してしまえば、犯人の命も同時に奪うことが可能。さて、アイスドッグス隊長の君からして、どっちが国のため、世のためになるのかな?」

 ひたすらに濃密だったけど、時間としても短かった魔法使いの才女と往く二人旅。

 その最後の問いがこれか……。隊長として、もしくはルナヤ個人としての重大な決断を迫られる。

「犯人の正体に繋がるヒントは?このワイバーンや、これまで通ってきた道に犯人の手掛かりはあったと思いますか?」

「悪いけど断言できることは何もない。遺世界とは魔法死した死者の心を模した空間であり、蔓延る遺法獣は犯人の魔法により特徴が決定する。しかしね、今回は私も及ばないほどの特例なんだよ。これまでの巨大トカゲも、あのワイバーンもどきも、本来決してあり得ないデザインなのだからね」

「僕にはまだ分からないことばかりです。でも、そうですか。二件目を防ぐなら後者が賢明でしょうね。……犯人の遺体はどうなりますか?」

「魔法死の扱いにはならないよ。ワケも分からず、何が起こったのかも分からず絶命するだけ。その遺体は並の遺体。終焉の予感ではなく、遺体の放つ腐臭に気付いた民間から連絡を受けて出動すればいいだけさ」

 それは完璧だ。こっちには不利が一つもないほどに。

 いや、僕はずっと有利だった。ただ魔法死と遺世界の詳細を知らなかっただけで、カナージェさんが味方にいる時点であらかじめ勝利は約束されていたんだ。

「さあ、どうする?君が決めなさい」

「僕の一存でいいんですか?」

「上からの指示がないなら自由に選択すればいい。君が隊長なのだから。多分だけど、君の上司も君を育てたい魂胆だろうからね。それに、どっちを選んでも行き着く先は結局同じになる」

 カナージェさんはここまで来てもなお含みのある言い方をする。

 転移の際に見せてくれた慈しみの微笑みはもうなく、それが少しだけ寂しい。

 どちらかといえば犯人を殺害してしまった方が良い。そこまでの命令は出ていないけど、それがスノーレイの平和を再獲得する上で最も妥当な判断だろうし、一応、今回の事件は僕らに一任されているから選択権はある。彼女の推測は全て当たっている。

 それに、前者は魔法を剥奪するというだけで、犯人は五体満足で生存する結果になるんだ。殺人の手段から魔法を選択できなくなるだけで、魔法殺を為すほどの狂人であれば、おそらくまたやるはず。

 それなら、僕が決断すべき最善の道は……。

「カナージェさん」

 真っ直ぐに彼女を見つめた。

 満を持して空から太陽が降ってこようとも僕はカナージェさんを見つめ続け、エメラルドの瞳もその間ずっと僕を見つめ返していた。

 きっと、僕がどちらを選ぶのか分かっていたのだと思う。

「魔法を蒐集してください」

 カナージェさんは目蓋を閉じて、口角を上げて、それからようやく漆黒の魔力を解き放った。

 次の瞬間、狭いとはいえ人類からすれば広いワイバーンの寝室をより窮屈に感じさせる咆哮が轟いた。


 ガアアアアアアアアアアッーー!!!

 

 カナージェさんの前に……いや、そのスケールから、距離のある僕の前とも言えるほど膨大な魔法陣が展開され、そこから漆黒の鱗で身を覆う超特大のワイバーンが顕現。

 それは最早、『それ』以外の何者でもない超越存在だった。


 叫びが薄暗い寝室を揺らす。

 比較して小型の扱いとなる虹色のワイバーンは嘆いている。遺世界全てをも単独で破壊し尽くすことが可能と決まっている『終わらせる者』が目の前にいてしまっている。

「これって、まさか……」

「レプリカだよ。ブラックドラゴンのパクリを召喚できる魔法を行使した。スペックは本物の千分の一程度」

「ブラックドラゴンって、あのブラックドラゴン!?」

「そう。ドラゴンの時代の支配者、神々が最も手を焼いたとされる歴史上最強の生物」

 全長二十メートルを優に超える体躯の大翼を持つトカゲ。

 それはワイバーンの放った火球が顔面に直撃しても何の反応も示さず、しかし不敬への報復として比較にならない炎と雷の混ざるエネルギーを口内に溜めて即座に発射した。

 魔力の質量も、装填時間も、ワイバーンに同情してしまうほど歴然の差があった。

 ホワイトアウトのように寝室が真っ白な光に包まれる。熱線をもろに食らった魔法癌は絶叫し、体を焼き剥がされていった。

 もしかして僕の指示を断る前提で聞いたのかな?……というのは杞憂で、半殺しの時点で強引に頁を閉じ、熱線を放つブラックドラゴンのレプリカを無理やり退去させた。

 そして、麗人は駆けた。

 ミドルブーツにスリット有りとはいえ、ロングのワンピース姿は全力疾走に向かないはずだし、何より彼女の急ぐ姿など想像もしなかったため、僕は立ち尽くした。

 ただ、やっぱり「綺麗だ」という感想は胸から喉へ込み上げてきて、今は彼女が遠くへ離れていく絶好のタイミングだから我慢せず言葉にしてしまった。

 カナージェさんは瀕死の魔法癌目掛けて真っ直ぐに走り、頁を開く。

 表紙から一枚めくった最初の見開きを。魔法蒐集家として、魔法殺事件に実質一人で立ち向かわなければならなくなった元凶を。

 魔法癌は原型を留める程度で全身を溶かされたはずなのに、すぐに肉体の修復を始めていた。

 信じられない生命力だ。レプリカとはいえ、ブラックドラゴンの本気を受けてもまだ生きようとするなんて、僕はあれとやる気でいたのか……。

 だけど、すぐに決着がつく。とにかく相手が悪かった。

 彼女が迷いなく駆け出したということは、それがトドメだということ。

 不真面目な同級生に怒り半分で勉強を教える優等生のように最初の頁を悶える魔法癌に見せつけ、高らかに必殺のお呪いを遺した。


 ――没収するミステリアス・イリュージョン


 虹色のワイバーンの心臓部から虹色の光体が浮き出てきて、虹色の光を放つ頁へ吸い込まれていった。

 これまでの苦痛とは違う。むしろそれでようやく苦痛から解放されたかのように快楽の叫びを上げて、ワイバーンの形をした魔法殺事件の核は消滅していった。


 カナージェさんが本を閉じる。戦いは終わり、目的は達成した。

 ここでやることはもうなくなった。僕やカナージェさんがそれを口にするよりも早く「用が済んだのなら出ていってくれ」と言うように、スイーツ店員の心象世界の終わりが始まり、僕ら二人の体も同じように光の粒子となって遺世界からの退場を余儀なくされた。

「カナージェさん!」

 つい彼女の名前を叫んだ。元の世界へ帰還するのだと分かっていながら、惜しいと感じてしまったから、この時間に縋るように叫んだ。

 カナージェさんは振り向かずに「うん」と応えた。至って冷静な彼女と比べて無駄に慌て出す自分が客観的に見ておかしいと思うも、彼女の「失敗した」という台詞は聞き逃さなかった。

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