遺世界 Ⅲ

 遺法獣を退けて足早に奥へ進む。僕とカナージェさんの連携は即興ながら中々に良かった。

 戦闘は主に僕が担当。とにかく遺法獣の頭部に弾丸を撃ち込んで動きを止め、そのうちに次のフロアへ移り門扉を閉める。カナージェさんは毅然とした態度のまま駆け足にはなってくれなかったけど、それを補う直感力が冴えていて、とにかくスタートが良い。銃口を敵に向けようとする一つ前の段階から先読みして一歩目を開始していた。

 僕は少し大袈裟に、バディというよりボディーガードのように痙攣する敵を睨みながら彼女の傍に張り付いた。過保護ぶりがバレて薄く笑われもしたけど、先の個体よりも早く麻痺状態から回復した敵に疾く電磁弾を追加したりと、邪魔とは言わせない貢献をしてみせた。


 最終地点に到着するまでの間に必須で確かめるべきことは一先ずない。

 バディである以上、いずれかが暇を感じればもう一方も暇になる。そうなってようやくカナージェさんは遺世界について話してくれた。

 僕も勘付いていたことだけど、この遺跡内部だけでなく、外の広大なフィールドも含めて遺世界となるよう。

 ただ、遺法獣なるウイルスの生息や、ライフトラベルは魔法癌から遠い距離に転移しないで済むシステムとなっていることから、基本的には人の脚で進みやすい道を踏破していくのが最善だとカナージェさんは言った。

 彼女に遺体の心へ飛び込む魔法を与えた何者かと、彼女に魔法蒐集本を与えた何者かは、おそらく同一存在か共犯者なのだろう。

 今回の遺世界はそれほど複雑ではなく、遺跡内で完結できるとカナージェさんは推定した。門扉を一つ開くたびに『冒険』の終わりを実感して少し寂しさを感じるも、彼女も、彼女と過ごす時間も待ってはくれない。

 立て続けの戦闘による疲労を自覚し始めながらも、余力はまだ残っている。何よりハンドガンもナイフもまだ機能を半分も消費していない。

 いくつかのフロアを越え、たまに門扉が複数あって行き止まりのフロアを選んでしまっても何気ない。初めての未知なる世界というのに、既にいくらか居心地と呼べるものを獲得していた。

 一方、カナージェさんは段々と口数が減ってきている。元から多くを喋る女性ではないだろうから、説明すべきことがなければ寡黙を貫く性なのかもしれない。そう思うしかない。

 複数の遺法獣を同時に相手取る際は流石に油断できないけど、タイマンとなれば話が変わる。

 必要もないのに、つい対人戦の癖でわざと背後をがら空きにしているように見せかけて敵を誘い、必殺を狙う渾身の一撃を迫る殺気と足音で察して躱し、トドメを刺し返す。

 ……などという、モンスター相手には無用な戦術を取った際は本気で彼女を苛立たせてしまった一幕があった。心臓を鷲掴みにされるような冷たさを感じたので、以降は無情なマシーンとして動くようにしている。

 その後しばらく気まずくなって、時間を置いてカナージェさんに謝罪すると、「もう済んだことだ」とお許しをいただけたけど、苦手な類の沈黙により、ここに来て最大の苦痛を味わった。

 何か話題をと考え、被害者の詳細について問うてみると、カナージェさんは僕が未だ要領を得ていないこの世界を見渡しながら、まるで過去に面識があるかのように知らないはずの被害者の特徴を語り出した。やらなくてもいい推理ごっこだと愚痴り。


 容姿はさっき見たまま。顔は知らないし、知る意味もないけど。

 温厚で実直、爽やかな男。時間を掛けず誰にでも好かれる魅力がある好青年。

 だが、実は一人が好き。あるいは明かしていない闇がある。

 隣人に迷惑をかけないよう、自分の苦悩は自分のみで背負い込むタイプ。こっちに引っ越してきて新たな交友関係をいくつか築けたものの、両親と離れたのは相当堪えていた。


 時に的を射抜き、時に外しながらも遠からず、スノーレイ在住期やそれより過去の経緯さえもいずれは正解に辿り着いてみせた。

 僕も彼の真実までは知らない。僕が知っている被害者の詳細は主に経歴や人間関係ばかりで、その本心までは知る由もない。

 プロファイリングに一体どれだけの心情が反映されるのか。

 被害者にはこういうこだわりがあった?

 具体性を問うカナージェさんに対して、フラットファイルの中にまとめられた資料などでは通用しない。どっちつかずのはっきりとしない返答を繰り返すばかりとなった。

 焦げ茶色の外套は変わらず皺を立てないけど、彼女がどんな表情をしていたのかを考えるのは怖ろしい。

 遺世界は、情報では及ばない死した者の本心を鮮明に物語る。魔法殺事件に限らず、どんな事件を捜査しても決して明かせない心象の具現であり、最も正確な手掛かりそのもの。

 僕たちがこれまでやってきたことがいかに非効率で、真実からかけ離れた曖昧な捜査だったかを思い知らされる。魔法癌というアンサーがあるからこその話ではあるけど、最も正しく被害者を理解して、的確な捜査を行ってきたのはきっと彼女一人だけ。

 僕たちは今朝からでなく、ずっと昔から失敗を繰り返してきた。それは紛れもなく、残酷なまでの真実に違いない。

 彼女の前を歩く時は気丈に、後ろを歩く時は俯いて。

 そんなパターンが不可抗力で出来上がってしまい、おそらくそれも彼女にはバレている。

 推理ごっこも終えて、お互いのブーツや隙間風の鳴らす音に重たい沈黙を誤魔化してもらっていると、新たな遺法獣さえ有り難いと思えてしまう。

 巨大でふくよかな虹色のトカゲは次第に数を増す。次のフロアは今までより倍広く、巨大トカゲも多勢で待機していて、つい苦笑した。

 揃って涎を垂らしながら僕たちの様子を窺っているのが幸いした。一斉に襲い掛かって来られたらひとたまりもないし、開けっ放しの退路には麻痺から回復する見込みの同族が控えているから。

 この数は僕では無理。カナージェさんも目を丸くしているほどだ。脅威度からして、一早くトースト君を召喚、奇跡の書を携えておかなければならない場面だったのだろう。

 しかし、溢れるほどの怪物たちはまるで己が主君の命を待っているように大人しく、つまりはそれだけ隙がある。僕と彼女の間に現れたトースト君の腕から奇跡の書が放られ、受け取ったカナージェさんが間髪入れずに頁をめくる時間があった。

 開けた頁から水色の光が灯ると、次の瞬間には無数の同じ色をした魔法陣が海のようにフロアの天井を染め上げ、そこから氷柱の雨が容赦なく降り注ぎ、死を予感して慌てるも遅すぎた遺法獣たちを次々と刺殺していった。

 氷柱の刺さった部位から冷凍、やがて全身が粉砕される。

 奇跡的に雨雲を逃れてカナージェさんを襲う者もいたけど、そいつは僕が動きを止め、結局は新たに展開された魔法陣の的となった。

 一応の危機であったものの、すぐに決断できるカナージェさんに指示を待つ者たちは出し抜かれた。

 カナージェさんは奇跡の書をトースト君に返さず、今も右手に持って頁をめくっている。最大で荘厳な石造りの門扉がフロアの最奥に聳えていて、中央まで進んだところでカナージェさんがレールガンのように雷魔法を放出してその門扉をこじ開けた。

 その先にいる。

 僕らの目的、ワイバーン誕生の原因。彼らの主君、あるいは親が。

 

 一つ前のフロアを王の間とするなら、こっちは王の寝室のよう。広過ぎず、薄暗い。

 何より世界の一部なのだと信じられる解放感がなく、冒険の最終地点に違いないと思いながらも、誤って足を踏み込めば一巻の終わりとなるトラップに引っ掛かったような不安に駆られる。

 陽射しも無く視界が悪い。いま襲われたら反応できるかと警戒を強めたところ、カナージェさんがまた別の頁をめくった。

 開いた頁から目が眩むほどの光を放つ小鳥が現れ、上空へ飛び立つ。それは部屋の天井に衝突すると姿形を失くし、代わりに一帯を程良く明るくした。

 ここを明るくしてくれたのか、あるいは僕らの目を良くしてくれたのか。そこは不明。カナージェさんも教えてくれなかった。

 とにかくおかげ様で寝室に君臨する大いなる者の正体は嫌でも鮮明になる。

 視認する前より、した後の方がそれの放つ終焉の香りは強烈に思え、五感を狂わされる。

「カナージェさん、これが?」

 分かっていない僕は素朴に問う。奇怪と思いながらも怖れず、率直に。

 そう、これが魔法癌。今から私がこれを破壊する。

 ……そんな返しを期待したのに、カナージェさんは口を閉ざし対象を注視していた。それにより僕もいくらか動揺する。

 何かがおかしいと、慣れているはずのカナージェさんが謎に対して躊躇っているからだ。

 正面に在るのは、さっきの巨大トカゲがそのまま出てきそうなサイズの虹色の卵。

 きっと、僕の危機感と、怪訝な表情で巨大卵を睨んで右手を顎に持っていった彼女の懸念は別のものなんだ。

「ルナヤ君」

 芯のある声音で呼ばれる。

 カナージェさんは臆していない。短い付き合いとはいえ、彼女が僕に伝えたいことは分かるため、今度はそれを言わせてしまう前に握ったままのグリップ二つに力を注いだ。


 キィィィィィィィンッ!!


 今の金属音は、魔法癌なる怪物が発した特有の鳴き声かと思った。

 それは勘違いだった。標的はたった今誕生したか、臨戦態勢に入ったかのいずれかで、今のは虹色の殻を破った音だったのだ。

 中から出てきたトカゲはこれまでの遺法獣より倍の大きさに加え、体色と同じ虹色の翼を生やしていた。

 直接見たことはないのに、それが何なのかは理解できてしまう。知識だけでなく、本能として。

 明らかな別格。それが光る小鳥とは比べ物にならない羽ばたきの音を奏で、咆哮し、僕ら目掛けて口いっぱいの火の玉を放った。

 体躯は意味不明の虹色。役割を終えた卵は既に腐敗。迫る火の玉は確かな生命力を宿して煌めく紅蓮だった。

 避けられる猶予があったろうに、僕は何故か、敵わないと弱気になって一歩も動けなかった。

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