遺世界 Ⅰ

 魔法死した遺体の心へ飛び込む。悪臭や怪物誕生の原因という魔法癌を取り除くために。

 具体的なことなど二割も理解できていないながらも僕は、カナージェさんのお導きによってそのスタート地点に立てている。

 血と終わりの香るアパートの一室などではない。カナージェさんの微笑みが脳に焼き付き、そこから我に返ってようやく新たな世界の彩りを受け入れ始める。

 中に居ても分厚いと分かる石造りの空間にいた。魔法陣もリビングも窮屈となる、学び舎の体育館を思い出すスケールに僕ら二人がポツリと立つ。

 遺跡と呼べる場所だ。地面も壁も天井もひび割れていて、苔に覆われた緑一色の部分もある。

 正面奥に大きな石の門扉が見えるも、陽光射す壁の隙間が気になっておもむろにそこから顔を覗かせた。

 その先には、地平線までの草原といくつかの雲を許す青い大空があった。

 遺跡だけじゃなく、外の光景も含めて『遺世界』なのだろうか?

 これが死者の深層にある心の色であるのなら、何て……美しいと感じられる豊かさで、温かい世界なのだろう。

 リビゼ先生の資料通り、魔法死遺体と化した彼は清純な人間で、罪などない。狂人の享楽に巻き込まれるべきではなかった、僕が守らなければならない無辜の民だったのだ。

 対照的にこっちは陽射しがなければ暗かった。草原を見渡せられるということは高い階層にいるのか、あるいはこの遺跡が宙に浮いているのか。

 遺世界のあらゆる特徴が被害者の心を表しているのであれば、確かにプロファイリングでは限界があり、ライフトラベルは他のどんな手段よりも正確に遺体の人生を物語るのだろう。

「おそらくだが左程広くない。チュートリアル向きの短い旅行になりそうだ」

 熟練者からすればこのように冷めた感想になるよう。

 情報を断った彼女はそう言って、景色を見渡す僕の後ろを横切り門扉を目指した。

 僕は整理がつかないまま、尚も夢心地でカナージェさんの背を追い、門前で腕組みして止まる彼女に代わって門扉に触れた。

 判断は間違っていなかった。しばらく付き合ってみて、急に怒鳴るような人ではないと分かっていながらも僕は珍しく高揚しているようで、広くて空気が良くて安全なだけの世界を抜けて次の世界を見たい冒険者の気持ちとなっていた。


 ゴロゴロゴロ……と遠雷が鳴る。横開きの固い扉を踏ん張りどかして次のフロアへ。


 スタート地点と同じく広い空間だった。

 ただし、壁の裂け目はこっちの方が断然大きく、その分だけ明るい。戦闘を行うのであれば落下に注意する必要があり、場合によっては利用する術もあるということ。

「ルナヤ君」

 そんなことを考えていた。

 芯のある声に振り向くと、カナージェさんは変わらず平静でいるも、その眼差しはこれまでと違って警戒の色が強まっているように感じた。

 魔法癌なるものを見つけ出して破壊する。流れからしてそれはカナージェさんがやってくれるはず。

 他にも僕の知らない脅威が待ち受けていて、僕がそれらを排除する。今もこの奇跡を繋ぐため魔力を消費している最中の彼女を楽にするために。

 覚悟は遺世界どころかアパートに入る前から出来ていた。ワイバーン格でなければどうにかなるというのはカナージェさんが僕の動向を許可した時点で分かっている。

 しかし、彼女の瞳が「油断するな」以外の意思を訴えていることに気付くのが遅れてしまった。

 カナージェさんだって油断などしていない。自信と実力が十分に備わっていてもなお彼女は慢心しない。

 問題は僕だけにある。カナージェさんに「構えなさい」と言わせてしまう前にジャケット裏のホルスターから得物を取り出しておくべきだったのだ。

 激しい殺気。

 厳密には違うかもしれないけど、とにかく僕たち余所者が移籍を練り歩くのを良しとしない何者かが放つ黒い気は門を通ってすぐの真上から感じられた。

 終焉を呼ぶ悪臭も後から来た。遺体が放つものほどではないが、それに連なる人類の敵であり……見上げた先に待つ者は悍ましい何かに違いない。


 キシャアアアアアアアアッ!!


 僕が視認したのと同時にそいつは金切り声で威嚇し、天井から飛び降り襲い掛かってきた。

 反応はできる。丸呑みは免れた。

 手持ちの武器がこの……全長二メートル以上ある太った虹色のトカゲに通用するのかという不安があったから、巨大な口や爪をギリギリで躱して観察に徹しようとするも、カナージェさんの「子供の玩具でない限りは通用する」という一言を受けて腹を括る。

 突進を転がり避けて、その顎がこっちを向いた瞬間に得物の引き金を引いた。

 バンッ!銃声は普通。

 バリバリバリッ!命中の合図が続く。

 弾丸は頭部に命中。怪物は絶叫しながらその場で悶えている。

 カナージェさんは動かず、柔い前髪をサラリと揺らして僕の得物に首を傾げる。

 これについて説明しようとしたところで関心は怪物の方に切り替わり、今度は首を傾げることもなく僕の至らない次元の問題を憂いて深々と溜め息を吐いた。


 命の危機に直面しながらも寂しいほどリアクションの薄い僕らと、痺れて動けない虹色の巨大トカゲ。

 非殺傷とはいえ人間相手であれば頭部は外すべき代物。怪物の体力はやはり底知れず、その場で痙攣するのみで済んでいる。

 念のため(彼女を気にして)銃口を向けたままの僕にカナージェさんが歩み寄り、「こいつらのことは『遺法獣』と呼んでいる。私たちから魔法癌を守るために存在している遺世界の覇者たち。魔法殺を為した者の操る魔法によって姿や能力が決まる」と解説するも、目線は悶える怪物から僕の右手に移っている。

 その様子から僕が何をしたのかと、こいつをしばらく放置しても良いと読める。

「変わった銃だね」

 握る白一色のハンドガンを見つめるカナージェさん。興味があるよう。

 全能にも思える才女の知らないものを携えているのが誇らしく、怪物から目を逸らさずに銃口を天井に向けて二度振った。

「これはスノーレイ警察自慢の非殺傷ハンドガンです。中身は電磁弾で、着弾と同時に麻痺・気絶が狙える程度の電気を放出できる仕組みです」

「武装はそれだけ?」

「いえ、あとはこれを」

 最早悶える怪物に目もくれず、ハンドガンと反対の右懐のホルスターにはめ込んだもう一つの得物を取り出した。

 ハンドガンと同じ長さのナイフ。グリップは白くも刃は当然銀色に煌めくが、それでもギミック付きというのは明らかで、バッグはともかく、ブレードはよく見ると金色になっている。

「何か塗ってあるね」

「これは麻酔液ですよ。刃の切れ味はわざと悪くしてあって、浅く切った肉に麻酔を侵入させられるようになっています」

「徹底して非殺傷か。それがスノーレイ国のやり方、君たちの戦い方か」

「ナイフを扱うのは僕だけですけどね。これも特注品です。基本はみんなハンドガンに麻酔剣や電磁警棒を組み合わせています」

「へぇー」

 ……飽きたのだろうか。雑に返され、浮かれる自分が恥ずかしくなってナイフを仕舞った。

 それからカナージェさんは呻く怪物に近づくのではなく僕も含めて距離を取った。

 これまでの彼女とは別の空気を感じる。どうやら僕に落ち度があったようで、たった今自分がした説明から快く思われなさそうな部分を絞る。

「すみません。これではこの先厳しいでしょうか?」

 ただ、僕の態度が意外だったようで、駅で初めて会った時みたくカナージェさんは目を見開いてから「いや」と、僕の間違いを更に間違いとして否定した。

「命を奪える武器がないというのは少し困ったが、それがスノーレイ流なら仕方ない。文句を言う筋合いでもない」

「殺傷武器の備えもありますよ。今はありませんけど……」

「だから仕方ないと言っている。少なくともそんな慈悲ある得物を扱う君の腕は確かだと分かった」

「一先ず動けなくしましたけど、放っておいてもいいんですか?殺す術もあるにはありますが」

 いくつか思い付く、非殺傷武器を用いて生き物を殺す方法。

 そのうち、この環境で最適な手段といえば……と、壁の亀裂を睨むと、カナージェさんはまたも深く溜め息を吐いた。

「それを言えば私だって君の銃を実弾に、ナイフを鋭利にする魔法がある」

 美貌を崩し、心底呆れた様子で言われてしまった。

 それではこれをどうするのか?

 肝心の部分を口頭では教えてもらえず、それが遺世界転移の際と同じだと気付き、裂け目から覗く美しい世界から美しい人へ注目を変えた。

「カナージェさん?」

 敵。遺法獣は手強くはない。一体ずつであれば。

 安心しきっていたため、カナージェさんが右手の親指と人差し指を擦り音を鳴らすタイミングで遺法獣が麻痺状態から解放されて雄叫びを上げると、突如として首が忙しくなる。

 人の形をした普通の人と、大トカゲの形をした怪物は全然違う。電撃が有効でも解ける時間がここまで早いとは!

 これでは放置して先へ進むなんて選択肢を選べば背後からやられてしまう。

 怪物は僕の方へ突っ込んできた。

 躱すのは容易。再びヘッドショットを狙うのも可能だが……それでは何も進展しないだろう。

 僕を始末するため迫る殺意一色の巨大な爪。

 動かなければ殺される。瀕死ではなく、向こうは一撃で屠りに来ている。

 普通は死を予感して過去を悔いる場面ながら、やっぱり僕は、自分をつまらないと客観視できるほどまで落ち着いていた。

 それが愛を知らないと言われた青年『ルナヤ』の性分だからか、それともチラッと見えた尊顔の隣にもう一つ、未確認生物が浮遊していて、そっちが気になって眼前のシリアスまでシュールとなってしまったからなのか。

 分からないけど、僕はもう怪物の爪を追うのもやめた。

 だって、次の瞬間にはこいつが終わっているから。事前に見送ろうと、結果が出た後で整理しようと同じだろう。

 

 ガアアアアアアアアアアッ!!


 銃声など比較にならない。遺法獣の威嚇さえ比較すれば優しくなる殺戮の咆哮。

 遺法獣を四方から囲う形で金色の魔法陣が空中に出現し、怪物は悲鳴を上げるための声帯も一瞬で破壊されて焼死した。

 カナージェさんの右手には今、ハードカバーにまとめられた分厚い本が添えるように乗っている。

 開かれた真ん中あたりのページからも同じ金色の光が放たれ、その輝きが消失するのと同時にカナージェさんは勢い良く頁を閉じた。

「電気の強さを操作できた方が良いだろうね」

「アハハ……。今度開発に頼んでみます」

 遺世界に来て初めて覚えた恐怖は彼女から。

 この先下手な真似をすれば自分も同じ目に遭わされる……なんて無いことに怯み、彼女ではなく、彼女の隣に浮かぶ一つ目の推定生き物に目線を移す。

 赤子のような短い腕が八本と二本の脚を、子供が描いた太陽のように全方位へ伸ばす灰色の彼に。……彼?

 カナージェさんの使い魔と思われる未確認生物は顔面いっぱいの眼球に一度も目蓋を被せることなく僕を凝視し返した。

 遺法獣の遺体は黒焦げで、もう観察するところが残っていない。

 しかして肉が焦げた臭いとは違う、むしろあの魔法死した遺体を後先考えずに焼却したらこのような臭いを発するのではないかという、僕にとっては新鮮な香りだった。

 魔法蒐集家の麗人、カナージェ嬢。数多の魔法を一冊の書物にまとめ、それをいつでも自在に行使できるという彼女の規格外ぶりを垣間見た。

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