魔法殺事件/ルナヤ君とカナージェさん
無関心以前に、僕を迎えとして認識していないのでは……なんてのは杞憂に終わる。下車した女性はホームを過ぎず、僕の前で立ち止まってくれて安堵した。
僕たちを遮るものは、今はない。ほんの僅か目線を落として真っ直ぐに彼女と向かい合い、礼儀だからではなく反射的に敬礼をして挨拶に移る。
「遠路よりお越しいただきありがとうございます。僕……私はスノーレイ警察魔法対策特殊部隊アイスドッグス隊長、ルナヤです。お迎えに上がりました、魔法蒐集家・カナージェ様」
慣れない自己紹介。ぎこちなさを指摘されることはなくとも、麗人は一瞬、大きく鋭い目蓋の中にあるエメラルドの瞳を見開いた。何かしらの意外性があったようで、その理由が僕自身に関することであるのなら首を傾げる真似などしない。
沈黙の間。数秒の隙に彼女の容姿、その特徴を脳に伝達させる。
外套の中にはハイネックの黒いワンピース、どちらもミドルブーツに掛かり切らない長さ。細いベルトを腰に巻くワンピースは膝丈までのスリットで、静止していてもミドルブーツとの間から雪のように穢れなき美脚を覗かせる。
加えて指輪を掛けたネックレスに、白い手袋。フィールドワーク好きという噂に違わないながら、オシャレにも余念がないという印象を受ける。
何より、それらを引き立てているのはカナージェ嬢自身だ。
長い茶髪を白いヘアワイヤーで一本に結ぶ、一切綻びのない整い過ぎな美貌。これまで一度も猫背になったことがなさような佇まい。
綺麗だ……と言いかけた。
何もかもが凛としている。本部の制服がアネモアさんのためにあると思えるように、彼女を覆うもの全て、そして『凛としている』という表現すらも、この麗人のためにあるのだと信じられる。
五秒も経過していない間が過ぎて、僕と彼女、お互いの瞬きが重なる。
向こうも観察に没頭していたのか、挨拶への返しはなく、人々は向き合って止まる僕たちを不思議そうに見ながら街へ消えていく。僕らは尚も見つめ合う。
魔法蒐集家・カナージェは、若くして偉人の扱いとなっている才女だが、自ら進んで名乗りを上げる性分ではないらしく、噂とその正体の結びを知る者はノースランズ州全土でも多くはない。昨日まで魔法殺事件とは無縁だったこの国なら尚更、僕もこういう職業でなければ真相を知る機会は永久に訪れなかったかもしれない。
しかし、これだけ別格の雰囲気を纏う美人だ。現場周辺の野次馬は先行した鑑識が払ってくれているけど、隊服の僕と並んで歩けばすぐ注目の的になってしまうだろう。
実際、麗人の誇るどこか浮世離れしているように思わせるエメラルドの瞳に捕捉されて長く耐えられる男子など、僕のように足りていなくては困難なのが普通のはずだろうし……。
「あの……カナージェ様ですよね?」
埒が明かず、いい加減にリアクションが欲しくなって声を発した。
知らず睨めっこが開始されていたのであれば僕の敗北ということになるが、カナージェさんは「うん、私はカナージェだよ」と返し、極僅か、視力が悪ければ気付かないほど微細に口角を上げた。
「魔法蒐集家というのはあだ名。自分で名乗ったことは一度もないんだ」
「失礼しました。しかし、我々としては貴女の力に頼らざるを得ない状況でして……」
「分かっている。そのための君と、君の部隊だろう?アイスドッグスだっけ?お腹の空く名前だね」
朝も昼も夜もずっと聞いていられる、慈しみさえ感じる静謐な声音で嘲て、カナージェさんは動き出す。
現場が具体的にどの位置かまでは知らされていないはずなのに、堂々とした態度から手慣れていると見受けられる上、話の通じる相手ということで負担が減る。
鋭くも厳格ではない。丁度良い彼女の背中を駆け足で追い、隣に並ぶ。
「現場へ案内します。車ではなく徒歩になりますけど、そう遠くはないのでご了承ください」
「君は本部なる場所から歩いて来たの?」
「はい。パトロールカーは目立ちますので、貴女向きではないと言われまして」
「ふぅん。融通を利かす術があるにはあるが、大事にしたくないか。初めて訪れるスノーレイ国だが、噂通り穏やかな国色のようだ。気が利くところも含めてね」
初見という街の風景を眺めながら、目的地へ歩を進めるカナージェさん。今の所感に蔑みが含まれていたのか、あるいは僕を試しているのかは読めない。
それならと、既に失態を犯している立場から開き直り、無難な言葉を選択する。
「すみません、鈍間ですよね。魔法殺事件は既に発生し、魔法死した遺体が存在しているというのに……」
「別にいい。適切に処理できる者が私しかいないのだから、人払いさえ済ませてくれれば後は寛いでもらって構わないくらいだ。事件発生は早朝でしょう?スノーレイ初のケースにしては救援要請が早かった。むしろ感心している。事件が連発していないのも喜ばしい」
「それは……そうかもしれませんね。ありがとうございます」
魔法死遺体の専門家と、知識だけの僕らでは感性が違う。ノーマル部隊との連携ミスから始まった僕らの失敗だが、肝心のカナージェさんからすれば問題なしとなるのか。
足取りは散歩程度、僕を叱責する気配もないカナージェさんが漂わせているものは、昨日までの僕らと同様の『ゆとり』に他ならない。
犯人が魔法使いである以外何も判明せず、強引な手段を取らない道を選んだのなら、彼女がここに現れるまで僕らは待機するしかない。確かに早足になる必要はない。謹慎を受けた今朝の若手がより滑稽になってしまうけども。
「職業柄、基本的に私は不穏な場所にしか赴かない。幸福度の高いこの国とは今まで無縁だった。間が悪くて来られなかった、というのもあるけどね。だから、君たちのように魔法使いに対抗するための部隊をスノーレイ政府が準備していたことには驚かされたよ。平和とはいえ、ボケてはいないようで何より」
さっきの妙な沈黙にはその思想があったのだろうか。それにしても長い時間に思えたけど、このあと紡がれる言葉は分かり切っているから、ホスト側の僕も体を張っていかなくてはと硬い喉を働かす。
「しかも、その隊長が迎えに来るとは予想外でしたか?カナージェ様もお若いでしょうけど、私なんてよっぽどです」
「年齢の偏見は……多少はあったけど、もう過去にしたよ。魔法対策と言うけど、これまで魔法使いの起こす殺人事件などこの国には無かったのだろう?今までは何をしていたの?税金泥棒?」
「ハハハ、酷い言い方……。昨日まではノーマルな一部隊でしたよ。魔法殺事件が起きるか、起きる可能性がある場合にすぐ出動できるよう、いつでも特殊部隊に変貌できる準備をしてきたのです」
元は他の部隊と同じくノーマルな事件の捜査(うちはかなり武闘派だけど)、仕事の内容は早朝に突撃を試みた彼らとほぼ同じだった。
ただし、決定的に他の部隊と違う事がある。
魔法使い。
千人に一人の割合で生まれる天才。不可能を可能にする奇跡の才能の持ち主で、スノーレイにも存在している特別な人類。
それがスノーレイの脅威と化した際に他の部隊を押し退けて僕らアイスドッグスが対抗することになる。つまりは魔法を扱う犯罪者を。
勿論、それだけでなく……。
「それぞれ様々な奇跡を起こせる存在とはいえ、所詮は同じ人間だからね。腕利きたちが上手く連携すれば攻略は可能だろう。難しいのは追い詰めるよりも前の段階、見つけ出す方」
「そうですね。遺体から独特の悪臭がすることから魔法殺で間違いないはずですけど、鑑識曰くノーヒントで……」
「そこも一先ず心配いらない。やり方次第だが、私の力で全て解決できる。それよりも――」
僕が指差した進路へ共に曲がるカナージェさんの鋭い眼差しに捕まる。
今、学者の関心はスノーレイ駅前の街並みでも、ましてや今回の事件でもなく、魔法殺の概念そのものと僕たちにこそ向いている。
「問題はやはり魔法死した遺体だ。もし誰かが手荒な真似をしてしまった場合、遺体がどうなるかは知っているね?」
「えっと、遺体の臍から異形の怪物が誕生して暴れ回る。怪物は人間を殺すたび生命力が高まり、やがてワイバーンに進化する。そして、怪物かワイバーンに殺された遺体もまた魔法死の扱いとなり、異形の怪物を新たに生み出す。そう聞いています」
「合ってるよ。もしそうなった場合は厄介だ。君たちも知識と戦闘能力はいくらか備わっているようだが、現実は流石に甘くない。異形のうちならまだ間に合うが、ワイバーンとなればこの国は保たないだろう」
「カナージェ様は他国で同類の事例を解決された実績があるのですよね?」
「ある。ノースランズ州他三か国でいくつかこなしてきた。最近は魔法殺などめっきり減って、私も考古学に耽っていられたのに、おかげでまた忙しくなりそうだよ」
「また、ですか?」
「私はすぐに次の魔法殺が起こると読んでいる。何故なら犯人は愉快犯か、タガが外れているから。そうでなくては、そも、魔法殺なんてやるべきではない」
「それは……生まれた異形の怪物は、まず始めに魔法殺を為した魔法使いを探しに行くから、ですか?」
「君が受け取ったマニュアルは正しいようだ。そう、異形の怪物……ワイバーンの赤ちゃんは、魔法殺の犯人を自らの母親と思い込み、特殊な嗅覚を以てその者を追いかけ回す。そうなれば犯人はもう逃げられない。やがては捕まり、誰でも予想できるオチに行き着くだけさ」
「母と信じる人間から自分と同じ赤ちゃんを生み出す。犯人を特定するだけなら便利なのに」
件のアパートが見えてきた。
行き交う人々の群れはあれど、誰もアパートに近付こうとはしない。アパート付近を目指して歩を進めていた人さえも無意識にUターンをして遠回りを強制される。
鑑識が行使した人払いの魔法が効いている。カナージェさんもそれを理解していて、違和感を違和感と捉えていない。
それより、到着前にその話題を済ませておく必要があるのは分かっていた。彼女が学者であるのなら、初対面かつすぐ隣を歩く人間について関心を持つのは必然だから。
「くどいようだが、君たちの判断は悪くなかった。魔法殺をゼロにするには、ノースランズ入りしている魔法使いを皆殺しにする他ないから、魔法殺事件はいずれどこかで必ず起こる。その中で魔法死した遺体に手を出さなかったのはファインプレーだ。
遺体が放つ悪臭だが、あれはそも、臭いなど無い。ドラゴンの時代の再来と、人の時代の終焉を同時に予感して五感や情緒がバグるだけ。昔は魔法死した遺体を即座に焼却したがる者も多かった。仕方がないとはいえ、それで迷惑するのは民間と私なのにねぇ。君がその手の愚か者ではないというのは初見で見抜いたよ。若くして特殊部隊とやらの隊長をやっているだけのことはある」
「何度もお褒めいただき光栄な限りです」
「同行すると聞いたが、覚悟を問うまでもないようだね」
「行けますよ。けど、良いんですか?」
「向かうのは完全なファンタジー世界だから、バディとして相応しいかどうかは出たとこ勝負になるけどね。今のところ君のエスコートは悪くない。ただし、不満が一つ」
アパート前、二人のブーツの音が止む。
駅近のアパートは他にもあり、ここだとは一言も言っていない。僕のエスコートを評してくれるカナージェさんだが、僕がいなくても、パトロールカーが停まっていなくても、経験か特有の感知能力で事件現場を特定できていたのかもしれない。
もしそうであるのなら、上層部の誰かが嫌がらせか優しさにより、魔法蒐集家・カナージェを迎えに行く役が僕でなくてはならないと判断したことになる。
きっと、今回の魔法殺事件以上の難解に違いない。何せその真相に至るには、僕はカナージェさんのことをよく知らず、彼女の興味は出会いの意味ではなく、僕の方にあるのだから。
「君は本来、もっとルーズな男子だろう?そう畏まられてはこっちがやりにくい。自然体でいいよ」
「……お見通しですか。確かに肩が凝ってきました。では、お言葉に甘えて。……カナージェさん、よく分かりましたね。私ではなく僕が皮を被っているって」
「君の『間』は珍しいからね。建前を除外してもまだ常軌を逸している部分があると分かる。私は古い歴史を漁るのが好きだけど、それらは全て先人たちの思考や願いによって今日まで紡がれてきたものだ。歴史を学ぶと人間観察力も養われていくものなのだよ。君に関して言えば――」
事件現場を前に、ここに来て会話が面白くなる。人払い済みのため「仕事しろよ」と咎める野暮もなく、迷惑に思うのは現場で待機させている鑑識のみ。
いつもなら逃げるように次の展開へ移り行くところ、不思議とそういう気分にはならない。彼女から見た僕と同じく、僕も本心からカナージェさんに興味が湧いている。
「ルナヤ君、君は冷酷な人のようだ」
「それは……」
返答に困る。デタラメを言われたからではなく、図星だったから。
それでも、今の発言が安易な思い付きではないとすぐに分かった。彼女が浅慮ではないと信じられるからだ。
「いや、冷酷だと思い込んでいるだけかもね。それは君自身にも理解し得ず、私にも紐解くのが難しい謎だ」
不意打ちのあと、すぐに追い打ちを撃たれた。
カナージェさんは正義の味方のはずが、人の営みを脅かす魔女みたく妖しく微笑み、それから最初と同じくマイペースに歩き出す。僕は暫し呆然とした。
現場はアパートの三階、階段を上がってすぐ左の一室。
そこまで教える必要もなく、やはり僕抜きでも彼女さえいれば解決できるのが事実だとしても、彼女への興味を糧にして皺一つない外套を追いかけた。
時刻は十五時十分。皮肉にも、あってはならない殺人事件をきっかけに時計の針は想像もつかない方へ奔り出す。
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