魔法殺事件/ようこそ、スノーレイ国へ

 大陸の北方、世界地図の真ん中上。

 四か国で構成されるノースランズ州のうち、北に位置するのが僕らの住まう国、スノーレイ国。

 更に国土内最北端には火山があり、それでいて半袖の人が珍しいほど年中涼しい。夏季以外頻繁に雪が降ることから『炎と雪の国』とも呼ばれている。

 人口二十万人程の先進国で、国民の生活幸福度・安全度も世界のトップレベル。

 犯罪……特に殺人事件など滅多に起きず、他国の人間からしても憧れの大都会、上質な暮らしが約束された理想郷となっている。

 先進国ということもあって科学の普及も他国より早い。数々の文明の利器は、平和の維持に努める秀でた民衆へ賜わす神の御業のよう。より暮らしを快適化させるための電化製品が次々と開発されては納得できる価格で提供されていくため、経済面のクレームなど極僅か。

 同時に古き良き文明も守る。都市開発された地区の建物は目に優しいものから眩しいものへ変化していくが、レンガや木が目立つデザインも共存していて面白く、それを「古い」と嘲笑う者もそうはいない。余裕があると何か(誰か)を蔑むのが却って億劫になるからだと思われる。

 自動車もあるけど、これは僕らが使うパトロールカーと、救急車に消防車、あとは霊柩車などに限る。自家用車なるものは存在しないため、ここに関しては賛否が別れているけど、僕ら以外慌てる必要がなく、穏やかに日々を過ごせる証だという解釈が強力。

 列車もある。この国の政府が計画の中心となってノースランド州四国を繋ぐ線路が形成された。

 隣国と言えど近所とは言い難い。歩いて向かうには日程が経過してしまう。

 馬を持たないスノーレイが外交を便利にするため開発されたのが発端ながら、今や誰でも利用できる旅行の足。賃金の多くをうちが得る仕組みながら、他国もそれを不満には思えず、便利の代償として納得している。

「平和だなぁ」とはスノーレイ国民の口癖。

 これほどの楽園は他になく、この先も穏やかに日々が過ぎていくと信じられる。

 私たちの手でこの安らぎを守るのだと、善性の平和主義者たちが集う快活で優しい営みがここにある。


 事件。

 人の悪意、あるいは行き過ぎた愛情による故意の迷惑行為。


 パニックなど起きずとも、発生すれば当然国中が嫌な盛り上がり方をしてしまう。騒動と縁遠い暮らしの中でこそ、それはより魅力的なコンテンツとして関心を集めるのだろう。

 他傷さえ滅多にない。格闘技での不慮か、子供同士の遊びが暴走気味になった場合以外、誰かを傷付けることなどあってはならない。飲食店など刃物を扱い経営を行う店は、許可証を貰うため月末に警察本部へ伺う必要があるほどなのだから。

 しかし、平和を愛する大衆があれば、その流れに逆らう悪者も当然湧いてしまうわけで、今回のように人が人を殺めてしまう悲劇もやがて現実になる。

 犯罪を減らす努力は可能でも、ゼロになる未来には到底辿り着けそうにない。

 既に結果の後。これが普通の殺人事件であれば、それは僕らではなくノーマルな警察部隊が捜査にあたるのが既定路線となる。

 残念なことに今回は特例中の特例。彼らの出る幕ではなかった。現場検証から容疑者の捜索、被害者の情報集めなども全て僕らの担当となる。

 僕と、僕の率いる特殊部隊……アイスドッグスの管轄だ。


 今回の殺人事件は、普通の殺人事件ではない。

 魔法使いが、魔法を用いて、人を殺めてしまった。

 それは、世界の終焉を呼ぶカウントダウンが開始されたことを意味する。

 

 我がスノーレイ国を筆頭に他三国も治安は良い。ノースランズ州は平和な世界、人類の理想郷だ。それは変わらず断言できる。

 だからこそ特例で特殊な事態なんだ。

 本日五時、駅から徒歩五分の四階建てアパートの一室で殺人事件が発生した。僕が現場に入るのはこの十時間後となる。

 十一時、ようやく現場に入れた我が隊の鑑識から「ノーヒントだ。やはり彼女任せになるな」と連絡を受けて部署に待機。闇雲に伺うわけにもいかず、しかして一旦の打開策なら持ち得ているため、少し早めのランチをいただいた。

 十三時半、名物受付嬢を振ってしまう。こっちも大事件に違いない。

 ちなみに事件が起きる瞬間や、頭を失くして首から血飛沫を撒いた被害者が部屋に転がっている様を目撃した者は民間の中にはいない。

 遺体の第一発見者は、五時過ぎに通報を受けて現場に急行したチームの若手警官となった。

 この時点で僕らは既に一つ大きなミスを犯している。

 殺人を未然に防げなかったのは勿論だけど、それ以上に、彼に同行する先輩警官がその突入にストップを掛けなくてはならなかった。練度不足、酷く言えば平和ボケ故の油断。

 とはいえ、彼の勇敢さは蛮勇ではなく本物ではある。鍵が掛かっていなかったという扉のハンドルを引き、果敢に飛び込んでいった彼が今も無傷のため、その勇気も報われた。

 それでも判断としては悪い。同行者たちは何が何でも彼を行かせてはならなかった。未知なる恐怖に怯むのも仕方ないけど、無理やりにでも声を張り上げて「死んでも止まれ!」と、駆ける背中へ突き刺すべきだった。

 僕たちの部隊を嫌悪しているらしい彼らもこれで少しは静かになってくれるかもしれない。特に険悪な関係にあるうちの切り込み隊長のしたり顔が浮かぶ。

 魔法使いが殺人を犯した場合には独特の嫌な雰囲気が遺体から放たれ、空間を無視して規模を拡げていく。

 そうなった場合はもうこっちの領分のため、ノーマル部隊はすぐに現場から離れるのが掟となっている。

 常人では手に負えない最悪の事態なのだから。


 通報したのは事件が起きた隣の部屋の住人だった。

 四十代の男性は本来頼もしく感じるはずの野太い声を震わせてこう喋った。

「物凄まじい寒気がする。隣から、いや、アパート全体から……か?吐きそうだ。でも、吐いたら終わってしまう気がする。何がって?何だろうな……ハハハ、よく分からない。俺はもう何も分からないんだよ!……殺される。このままだと殺されてしまう。何でもいいから早く助けにきてほしい。きっと俺だけじゃない。いや、これは……世界的な問題に違いない。なぁ……みんなまだ生きているか?俺は上手く言いたいことが喋れているのかな?世界は……まだ残っているのか?」


 その報せを受けてあのチームは出動した。伝言を僕たちに送らず、一市民の不安を取り除くことを最優先とする正義の名の下に。

 通報を入れた者ではなく、異臭の源の方へ吸い込まれるように。

 当然、その独断は八時に政府からお叱りを受け、突撃した若手は謹慎を受けることになったようだけど、それを責めることなど誰にもできやしない。

 スノーレイ政府は責任感が強く、初めは要領が掴めないものだと、上も下もみんな諦めているから。

 もし、この国で『魔法殺』が起きたら、ノーマル部隊は引き下がって僕たち特殊部隊に任せるという方針。それは今回、円滑には進まなかった。

 魔法使いの殺人は空気で分かる。しかし、この国では初。だから僕たちは上手く連携できなかった。

 それに、こうなった以上はアパート近隣の住民を避難させて彼女の到来を待つしかなくなる。

 僕たちはあくまで魔法使い相手の対抗策でしかなく、『魔法死』した遺体を適切に処理する術など持ち合わせていないし、強引なやり方を選んでは結局民間を巻き込む羽目になるから。

 この悪臭は遺体を処分すれば済むわけでもない。その最悪の事態へ進展してしまった場合の僕たちだけど、穏便に事を運ぶには専門家の手を借りるのが最善に違いないと、少なくとも僕らより深く真実を知る政府はそう判断した。僕らはそれに従えばいい。

 これ以上の被害は出さない。そのためにも僕は上層部からの命を受け、間もなくスノーレイへ到着する彼女を迎えに列車のホームへ訪れた。

 汽笛を鳴らして白い列車が停止する。丁度僕の立つ地点に、窓越しながらも一人の麗人が止まった。


 ――時刻は十五時。運命が始まる。

 

 所感から、僕よりいくつか年上、アネモアさんと近い世代と見た。

 ノースランズ州全土で一握りの学者のみが着用を認められる勲章の付いた焦げ茶色の外套。彼女で間違いない。

 魔法死した遺体を処理するためにやってきた麗人は既に臨戦態勢ということだ。緊迫感が伝わり、まだいくらか呑気でいられる僕の温さに熱い棘を刺す。

 彼女からすればスノーレイ限定の隊服を着る僕の存在は周囲より浮き彫りに思えるはずだろうに、窓の外を気にする素振りなど全くなかった。何だか僕まで振られたような気になるも、向こうは鋭い眼差しを正面に据えたまま席を離れて下車した。

 魔法使いによって命を落とした者から発現される負の空気。感知しただけで「終わる」と絶望する呪いの風。

 この不安は現在の『人の時代』と、その前の『神の時代』より更に前、『ドラゴンの時代』の再来を匂わせるものとされており、現存する人類の総力を以てしても太刀打ちできないドラゴンの脅威を予感しての終末的恐怖に他ならないとされている。

 遺体を破棄すればその臍から異形の怪物が誕生し、死に絶えるまで人類を殺戮するとされている。

 その力は凄まじく、スノーレイ国の戦術的精鋭たる僕たちでも討伐し切れるか否かというほどらしい。

 遺体を放置、または雑に保存した場合にはこの悪臭が世へ蔓延し、一帯の人類がパニックになる上、怪物も遺体の中で成長してしまうと聞き及んだ。

 この小さき核爆弾を最も適切な手段で処理できるのが、列車から降りてきた女性。他の乗客とは明らかに違う、タレントの雰囲気を醸し出す彼女。

 やり方については同行し、直接目の当たりにした方が納得できると言われた。

 何やら遺体の『中』に侵入し、犯人に植え付けられた病原菌を取り除くのだとか何とか。……異形の怪物や時代の終焉と同様、イメージには限界がある。

 紛れもなく奇跡のわざ。現存する人類でその秘術を可能とする唯一の天才が彼女……魔法使いを狩る魔法使い、魔法蒐集家・カナージェ嬢である。

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