魔法蒐集アイスドッグ【土日21時更新】

壬生諦

黎明/出動

「どうもありがとう」

 直接的でなくとも、真っ直ぐに相手の瞳の奥を覗き、「辛い」と訴えるような苦い表情を急造するだけで拒否の念は届いてしまう。

 大変便利なこの言葉を頼り、窮地を脱するのはこれで何度目だろう。ただ僕の面目と日常の凪を維持するため唐突に感謝を伝えては、立ち去る相手のみを傷付けて事を凌ぐ卑怯なやり口。

 必殺技発動の代償として、潤む瞳で鼻を啜る彼女に代わり、自らを冷酷な男だと批判する。

 実際、その自評は正確だと思う。

 彼女はアネモアさん。僕の職場……スノーレイ国警察本部、その受付業務を担当する名物受付嬢。スノーレイ国内でも有名な女性で、数多の男子に好意を寄せられるのが日常となっている高嶺の花。

 そんなアネモアさんが長く隠してきたという僕だけに向けてくれた恋情を、あらかじめ答えが決まっているというのにわざと間を置いてから拒絶した。

 彼女を振るなんてどうかしている。僕より五つ年上のアネモアさんは単に容姿が優れているだけでなく、聡明で、想いが報われなかったところで復讐に奔るような女性でもない。ほぼ毎日顔を合わせ、職業病により半ば無意識に彼女を観察してしまっていたから分かる。

 素敵な女性だ。よほど後ろめたい事情のない男なら彼女の想いを無下にはしない。

 ただし、アネモアさん自らが振られた経験を発信することはないはずも、彼女と親しい人々が近況の恋慕を追求し、この事実が拡散される展開は想像に難くない。

 どのみち職場の風当たりが強くなるのは避けられそうにない。その場に留まる以上は豪雨も台風も絶え忍ぶしかない。僕のことを慕ってくれる優秀な部下、我が隊の切り込み隊長、ギリマ隊員を頼ろうかな……。

 彼女はジャケットに膝までのタイトスカート、それにロングブーツを合わせる。どれもこれも白基調だけど、ワイシャツだけは黒一色で青いネクタイを結ぶ。僕のような現場型と違って機動性が求められない分、女性の魅力がより引き立つ格好が認められる。初めからアネモアさんのためにあったスタイルと思えるほどに。

 青いネクタイを揺らした背中、足取りは普段よりも速い。悪いのはこっちなのに、何故か頭を下げてくれて、潔く退場する彼女の心中は誰にも紐解けない。

 僕の理解が及ぶのは、アネモアさんは今にも胸が張り裂けそうな想いに駆られているに違いないということまで。

 確証などあるはずもないが、察する力くらいある。

 僕はこれまで十八年の生涯で『譲れない■情』を獲得したことがなく、自分の気持ちが意中の相手に届かず絶望した過去もないけど、一度きりの機会を物にできなかった悔しさであれば僅かながら共感は可能……なはず。仕事や趣味の中で掲げた目標が叶わず、無力だと悲観して打ちひしがれる。それが失恋と同類であるのなら……。

 だから、だからこそ……『何か』が足りていない僕などが貴女の大切な気持ちを受け取るべきではない。遅かれ早かれ無駄な時間だったと後悔する結果になると決まっているのだから、むしろ最速で決裂した方が痣にならないと思うのです。

 どうかこんな酷い奴のことは忘れてほしい。未練があるのなら、早々に断ち切っていただきたい。僕では貴女を満たせない。


 ――何故なら僕は、誰かと寄り添い、一つになる未来を夢見ることが出来ないからだ。


 今まで僕に特別な感情を向けてくれた美しい人たち。そのどれも、可愛らしいか綺麗と感じるまで、未知なる鼓動は起動せず。一度だけまぐわった経験があるけど、本能分の欲求を満たすばかりでより深い関係を築くまでには至らず。

 最後は必ず惰性に行き着くのだと確信した。僕の与えられる情の限界は友愛までなのだろう、と……。

 僕はきっと、この先もみんなの優しさに溢れた世界に身を委ねながらも、肝心な部分のみが独りぼっちのまま最期を目指してのんびり歩いていくのだろう。

 アネモアさんが僕に与えようとしてくれたもの。スノーレイの人々、広い大陸のいくつもの生命たち、誰もが成り行きか義務として求めるようになる欲望が僕にはない。

 その日が来ることを望んでもいない。望み方が分からない。望み方自体など誰も知らないし、図書館やかつての学び舎にもヒントはなかった。

 僕より若い人たちにも置いていかれていく。十年生きるより前に恋人を見つけるのはもう可笑しい話ではない。

 このままでは最期の時まで孤独なままとなるだろうに、それで構わないと開き直れてしまっている。

 ……ただ、もしも、僕と同じように■を知らないか、あるいは好んで孤独に徹しようとする人がいるとしたら、少なからずその人への関心くらいは芽生えるかもしれない。

 何せ■を欲さない者など本来存在しないはずだから、もしこんなろくでなしの例が他にも在るというのなら、その者は自動的に僕と同類となってしまい、つまり出会ってしまえば嫌でも共感せざるを得なくなるのだ。

 そんな出会いが待ち受けているかもしれない未来であれば、少しだけ興味がある。

 人はどうしても期待する。失望など時を経て去っていくものだから、僕の本性が無情の怪物か何かであっても、推定人間であるならこのまま何も起こらないなんて事はないだろうと、奇跡の訪れを僅かでも期待せずにはいられない。

 誰かのために生きることの尊さ、またはしょうもなさ。

 いつか身をもって体験しなくては、僕も、僕を取り巻く美しいはずの世界も全てが偽物となってしまう。その危機感だけは残酷なほど鮮明なのに。


 今日は四月一日。新シーズン初日の午後。

 スノーレイの平和を維持するために努めるべき立場の僕、ルナヤ。日常が大きく変化するのに丁度良い日付だなんて物騒な期待をしている。

 僕も動き出そう。

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