第9話

 その日も、彼女は如月と共に時間を過ごした。二人は、席が隣同士だ。入学当初に仲良くなることが出来たのも、そのお陰であり、以降も隣の席を確保し続けている。

「翠…これ、どういうこと?」

「あぁ、これはね―――」

 如月が尋ね、彼女がそれに答える。それが二人のいつもの光景だった。如月は、分からないことがあれば彼女にすぐに聞く。そうすれば、彼女は丁寧に教えてくれる。

 普段こそあんな雰囲気の二人だが、授業や切り替えるべき場所は弁えており、他人に迷惑を振り撒いている訳ではない。それも、やはり二人の関係が守られる理由の一つだろう。

 そうして授業は進んで行き、あっという間に昼食の時間がやって来る。

 弁当を片手に、二人は教室を後にする。如月が持っているのは購買で購入した物だが、彼女は一人暮らしなので当然、自分の手作りの弁当だ。

「翠、いつも手作りだよね」

 空き教室の席に二人並んで腰を下ろすと、如月は彼女の作る弁当を眺める。「すごい美味しそう」と言うその顔は、食欲が滲み出ており、わざわざ口にせずとも意図が伝わってくる。それに、彼女が気づかない筈がない。

「少しだけだよ?」

 そう言う彼女の顔は、すごく嬉しそうだ。彼女も彼女で、如月のことを甘やかすことが楽しいのだろう。『少し』と言うには多過ぎる量を如月の弁当箱に盛り付け、二人で食べた。

「ふふっ。翠のお弁当、やっぱり美味しい」

 心からの感想を口にする如月の顔は、本当に満足げな様子だった。彼女も、自分の作った物を美味しそうに食べる如月を暖かい目で見つめていた。

 それは恋人というよりは、親子のように思えた。

 如月が弁当を食べ終わる頃、彼女もまた箸を置いていた。結局、自分の弁当の大半を如月に与えていた彼女だったが、十分に腹は膨れていた。

 それもその筈で、そもそも彼女の弁当の量は、一人分にしては随分と多かった。さらに言えば、彼女の食べる量は一般的な人と比べても少ない方だ。彼女は、初めから如月にも弁当を分け与えるつもりで、弁当を作っていた。

 本当に、如月には甘い。如月がそういう性格なのもあるだろうが、最近では彼女の方が如月をそうさせているのではという憶測が広がっている。

 何にせよ、二人が幸福であることは誰の目にも確かだった。この関係が、いつまでも続くことを、彼女は信じて疑わなかった。そしてそれは、ある意味では正しかった。


次の日、如月は学校へ来なかった。


 彼女は、珍しいこともあるものだと思った。普段から溢れんばかりの元気を持つ如月が休むことなど、少なくとも高校に入ってからは初めてのことだった。

 只、人間体調を崩すこともあるだろう。放課後にでもお見舞いに行こうと、彼女はそう考えていた。だから、朝担任からその事実を伝えられた時、一瞬耳を疑った。

 如月は、無断欠席だという。しかも、家を出るところは両親が確認しており、その時に異変は見られなかったらしい。その時、彼女は変な胸騒ぎがした。如月がそんなことをする筈がないのだ。それに、もしそんなことをするならば、自分が一番に気づくと、そういった自負があった。

 居ても立っても居られない衝動に駆られ、彼女は気づいたら教室を出ていた。教師の止める言葉も聞かず、そのまま学校を抜け出した。

 それからは、如月が行きそうな場所を片っ端から探り始めた。如月の好きな喫茶店、毎週通い詰めるショッピングモール、如月と作った二人だけの秘密の場所。全ての場所を隅々まで探して回った。途中で出会った人たちに聞き込みもした。数十分、数時間と、時は刻一刻と過ぎていった。その間、如月と連絡を取ろうと何度も試みた。しかし一度も繋がらず、返ってくるのは虚しい機会音声だけだった。

 結局その日、如月は見つからなかった。あたりはすっかり暗くなり、気温も下がっていた。彼女はコートを羽織っていたが、それでも防げる寒さには限界があった。不本意ではあったが、彼女は一度捜索を断念し、家に帰ることにした。いくら如月のことが心配だろうと、それを理由に体調を崩す訳にはいかない。如月と出会った時に、万全の状態でいなければ。

 そう思った彼女は、重い足を引きずって帰路についていた。その間、色々なことを考えた。如月はどうしているだろうかとか、如月の両親も心配しているだろうとか。学校に置いたままにしてしまった荷物を明日回収しなければとか。

 そんなことを考えていたら、その悪臭を嗅ぐまで『それ』の存在に気が付かなかった。

 一瞬、鼻が咽せ返るような匂いがして、彼女はすぐに鼻を塞いだ。鉄とゴムの匂いが、最悪のバランスで混ざり合い、更にそれをぐちゃぐちゃに切り刻んだような、そんな匂い。

 その最悪な悪臭の漂ってくる先を、彼女は追う。そうして辿り着いた先には、『何か』が雪の上に倒れるように置かれていた。暗闇の中で、彼女は初め『それ』が何か分からなかった。それで携帯の機能で明かりを付けると、その正体に息を呑む。

 それは何かの『死体』だった。雪にもその血が染み込み、そこら一帯が赤く染まっている。幸い『それ』には虫が湧いてはおらず、傷を除けばまだ綺麗な状態で残っていた。

 しかしそのせいで、それが『人間』の死体であることが分かってしまった。そうだと気がついた瞬間、胃の中がひっくり返りそうになった。それは、見るも無惨な姿をしていた。驚くべきは、それが人間だったにも関わらず、そうだと気が付かなかったことだ。

『人間』だと気が付かない程に損傷している。生前の苦しみは、表し切れないだろうと思った。彼女には、それが誰かは分からなかった。だがせめてもの行動として、弔おうと思い、その場に座り込んだ。当然下は雪だが、誰だか分からないその人の方が、きっと何十倍も辛い思いをしただろうと思い、苦しみをぐっと堪えた。

それがいけなかった。

死体は学生のようで、制服らしきものを身に付けていた。そこには、見せつけるように、意図的にでも残された、その者を示す名札が付けられていた。そこには―――

『如月鏡花』

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