第6話

 そこは、何かの資料室のような場所だった。壁は全面に本棚が並んでおり、大量の書物が保管されている。彼の営む古書店とそう変わらないようにも見えるが、並べられている物は全く異なる物のようだった。

 黒名が壁一面を覆うそれに気を取られている間に、十六夜はその中から一つを取り出し、彼女に手渡す。それにはタイトルが書かれていなかった。

「これは…?」

 彼女が尋ねると、「とりあえず読んでみて下さい」と、彼は答えた。

「…分かりました」

 その本を開くと、まず『吸血鬼』という文字が目に入った。黒名は首を傾げ、十六夜に目を向けるが、彼は先を促すだけだった。

 そのまま読み進めていくと、『吸血鬼』に関する詳細が、明瞭に書き連ねられていた。

『吸血鬼』とは人間に紛れ暮らす生き物で、人の生き血を食糧とする。通常の食事も行うが、人の生き血を吸うことには、特別な意味があるという。

 まず第一に、吸血鬼にとって非常に価値が高いということ。体内の血液量を外的に増やすことでの身体能力の上昇。また体内に含まれる血液の絶対量の増加による素体の強靭化。それが、吸血鬼が血を吸う最も大きな理由。

 そして第二に、血を吸った者を記憶するということ。血を吸った相手を記憶する、つまりは、血液を介してその者の情報を体内に記録する。そうすることで、吸血鬼内でその者を生かすのだ。ただし本人にその自覚はなく、また吸われたからといって吸血鬼に縛られる訳でもない。あくまでその者の一部を体内に取り込むというだけ。

 只、吸血鬼はその者のことを忘れることはない。たとえ二度と会うことが無かろうと、相手が亡くなろうと、その者のことを吸血鬼は決して忘れない。永遠に吸血鬼の中で生き続けるのだ。そしてそれは、吸血鬼が死に至るまでずっと。

 それが、『吸血鬼』に関する概要だ。そしてその先のページには、『吸血鬼』の持つ特有の容姿について書かれていた。

 それは『白銀の髪』に『深紅の瞳』、加えて『十代後半程度の見た目』というものだった。

 黒名はまさかと思い、振り返る。そこには、『白銀の髪』を持つ、『十代後半程度の見た目』の青年が立っていた。

 その青年は、彼女を見ると徐ろに髪を掻き上げ、付けていたその丸眼鏡を外す。そしてそこには———

「……深紅の…瞳…」

 深い紅が広がっていた。

 それは、つまり

「十六夜さん…は、『吸血鬼』…ということですか…?」

 震える声で話す彼女に、彼は小さく首肯した。

「えぇ、私は『吸血鬼』です」

 残念なことに、そこに冗談というような雰囲気は漂っていなかった。

 しかし、そんな簡単に信じろと言われて、信じられる話ではない。

「…あの、本当に『吸血鬼』なんですか?」

 恐る恐るといった様子で、黒名は問いかける。十六夜は、只肯定を繰り返すだけだ。だが、彼もこうなることは分かっていたのか、信じられない彼女に、その証拠を見せると言った。

「その本には、他に『吸血鬼』にはどんな特徴があると書かれていますか?」

 そう言われて、ハッとした様子で彼女は続きを読み進める。

「えっと…『超人的な身体能力』というものがあります」

 彼女がそう言うと、十六夜は「分かりました」と言って黒名から距離を取る。

「目を逸らさないで下さいね」

 と言って、彼は何かを始めようとする。黒名が見ていることを確認して、それは始まった。

「―――えっ」

 彼女の目の前では、にわかには信じ難いことが起きていた。十六夜がしていることは至って単純で、只移動をしているだけ。だけ、なのだが、それが信じられない光景だったのだ。

 彼は黒名の前を動き回っている。―――瞬間移動とも思える、そんな速度で。

 突然十六夜が目の前に来たかと思えば、次の瞬間には部屋の端にいたり。次にはまたその逆が起こったり。とにかく、彼は異次元な動きを見せつけた。

「…どうでしょうか。少なくとも、人間でないことは分かってくれましたか?」

 それが終わると、確認するように彼は尋ねた。そしてそんな必要がない位には、見せつけられた。黒名はしばらく、唖然として固まってしまっていた。


「―――ふぅ」

 十六夜からお茶を出され少し落ち着くと、黒名はようやく一息つくことが出来た。

「すみません。やはり突然すぎましたね」

 一方の十六夜は、先程のことについて黒名に謝罪している。彼としても彼女を困らせるつもりはなかったようで、これでも出来るだけ抑えたのだと言う。

「大丈夫ですよ。でも…」

 彼女は彼のことを宥める。只、やはり思うところが無い訳ではないようで、

「本当に、人じゃないんですね…」

 と口にした。敢えて『吸血鬼』と言わないのは、まだ彼女の中ではそれが限界の判断だからだろう。十六夜も、それを指摘することはない。

「えぇ。騙していたような真似をして、すみません」

 彼は、再度彼女に謝罪をした。それに「大丈夫」だと、口にしようとした彼女だが、それが発せられることはなかった。短い付き合いとはいえ、相手が人でなかったというのは、中々受け入れられる話ではないだろう。

 彼女としては、自分のことを唯一理解してくれる者だと、十六夜のことを思っていた。信頼に近い感情さえ抱いていたかもしれない。しかしその彼が、人ではないと分かった時、その思い出も、関係も崩された。

理解していることに変わりなくとも、それが人ではない『獣』であるなら、どうしたって話は変わってくる。騙されたと言っても、過言ではないのかもしれない。

「…ひとまずそれは良いとして」

 一度その思考を隅に置くと、再び彼女は十六夜に問いかけた。

「どうして、私に貴方が『吸血鬼』だということを打ち明けたのですか?」

 話の流れや二人の関係上、黒名が促したとも言えることではあったが、何故ここまで重要な話を、今この場所で打ち明けたのか。あの言葉の意味は、彼も理解していた筈だ。ならば、いくらでも言いようはあっただろう。

「……また飛躍的な話になりますが、それでも良いですか?」

 十六夜は言った。しかし、黒名にはこれ以上の話が出てくるとは思えなかった。それに、今ならどんな話が来ようと受け入れる覚悟が出来ていた。「構わないです」と彼女が言うと、逡巡しながらも、彼は話し始めた。

「…少し前置きから話を始めますね」

『吸血鬼』は、血を吸った相手のことを忘れないという記述が、ありましたね。あれは本当のことです。事実私は、血を吸った者のことを忘れたことはありません。私はそこまで血は吸わないので少ないですが、およそ数百年生きてきた中で、十五回程血を吸うことがありました。そしてその相手のことは、全て憶えています。

 そして『吸血鬼』というのはですね、その者が死した後も、遺伝子レベルで記憶しています。正確に言うと、『吸血鬼』の体内に残るその者の血液が、その者のことの情報を有し続けるのです。それが、『吸血鬼』が血を吸った相手を忘れない原理です。

 …そして、私の中に残る血液のその一つが、貴方のことを記憶している。

 それが、貴方に『吸血鬼』であることを打ち明けた理由の、その一つです。


―――そこまで語ると、十六夜は一度口を噤んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る