第4話
「ところで、此処に従業員の人はいないんですか?」
黒名は、かねてからの疑問を口にした。
「此処には店主以外の従業員はいませんよ」
そうなんですね、と返すと「大勢が来るような場所でもないので、これで十分なんです」と十六夜は答えた。
どうやら店主はいるらしく、その人がこの店を管理しているのだそうだ。
しかし彼は、どうもこの店について詳しいらしい。
そこで、もう一つ聞いてみることにした。
「店主の人は、今何処に?」
率直に出た疑問だった。
「———此処にいますよ」
その声が発せられたのは、黒名の後ろでも左右どちらでもなく、前からだった。
そして彼女の前にいるのは
「え…十六夜さんが?」
初め、何かの冗談だと思った。
それは黒名以外が相手であってもそう思っただろう。
彼女の目の前にいるのは、黒名と同年代に見える青年。よくて二十代前半という容姿で、古書店を経営する店主にはとても見えない。
———そんな訳がない、という疑いの視線を向けると「本当のことです」と彼は言葉を漏らした。
「こんな形ですが、私はとうに成人していますよ」
表情は相変わらずだが、その奥底には感情が見える気がした。
だがそれも一瞬のことで、「もう慣れましたが」とそれを引っ込めた。
「ところで、先程黒名さんが読んでいた本。あれを読んで、どう思いました?」
ふとした質問。しかし、黒名にはそれが試しているようにも思われた。
「あのタイトルのない本ですか?」
黒名がそう問うと「はい」と抑揚のない声が響いた。
それから少し逡巡した。一般的な知識から言えば戯言にも等しいあの話。しかし彼女の中では、共感できるような、そんな感覚があった。
「…正直、私にはまだよく分からなかったです」
それを誤魔化として捉えたのか、十六夜は目を細めた。しかし「でも」と言葉を続けると、彼はまた彼女を見た。
「私は、あの考えが嫌いではないです」
誰からも認められないこの意見。しかし黒名は、こんな考え方も悪くないと、純粋にそう思った。それは間違いなく本心からの思いだった。
十六夜は目を伏せ何か考え込んでいる。
そうしてしばらくして、ようやく彼は口を開いた。
「…そうですか」
と彼は言った。
彼女のことを試し終えたという、空気が流れ出た。
出会って間もない、よく分からない青年。それも見た目とは裏腹に実年齢は成人しているという、得体の知れない存在。普通なら、そもそも関わろうとすらしない。
———しかし、もう出会ってしまった。
出会わなければ始まらなかった物語も、偶然により引き起こされてしまった。
この関係を、終わらせたくはないと黒名は思った。
そして同時に、彼のことをもっと知りたいと、そうも考えてしまった。
「私も———」
心臓が高鳴る音がした。
「私も、この考えが嫌いではありません」
黒名翠という少女が、十六夜という青年に認められた瞬間だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます