第2話

 黒名は通っている中学を早退した後、その足のまま街道を進んでいた。

 その頃はもうすぐ冬が始まるということで、人々は季節の変わり目に備えていた。

 それの影響か、普段は溢れんばかりに人々が行き交う道も、その日は静寂に包まれていた。

 家に帰るでもなく、黒名はあてもない道を淡々と歩いていた。

 途中、黒名は一つの建物を見つけた。

 一風変わったその建造物は、物語に登場する魔女の部屋のような雰囲気を醸し出しており、黒名の意識はそちらに向けられた。

 扉の上に貼られた看板を見ると、そこは今時珍しい古書店のようだった。

 黒名は開館中という表記を見ると、少し迷った後、その扉の先へ進んで行った。

 中に入ってみると、そこには確かに古書店と言うだけの書物があった。

 そこにある書物は歴史や純文学を取り扱っているものが多く、他には様々な分野の専門書のようなものが置かれていた。

 黒名もよく本は読んでいるのだが、彼女の好みは此処に置かれている書物と似た傾向にあるようで、興味を唆るものが数多く置かれていた。

 そして何より、店内の雰囲気が今の黒名には良い影響を及ぼした。

 橙色に染まる照明は、店内を優しく照らし、落ち着いた雰囲気を齎す。

 書物特有の匂いやその質感が、黒名の心を穏やかなものにする。

 何もかもが黒名には丁度良いこの空間は、彼女を長時間その場に留めさせるには十分すぎる程のものだった。

 幾らか時間が経過し、外の世界は暗闇に包まれつつあった。

 黒名は手の間を転がる紙の感覚から意識を逸らし、外に目を見やった。

 学校を早退してきたはずなのに、既に時刻は下校時間を過ぎており、もう普段であれば家に着いている頃だった。

 そんな彼女の視界の端に、一人の青年のような姿をした人が映った。

 その髪は、雪のように輝く白銀に染められている。只、美しいと思った。

 彼は、黒名が此処を訪れる前からおり、その姿勢を一切変えることなく本に没頭している。

 黒名も時々視線を向けてはいたが、その度に同じ光景を目の当たりにするので、不思議と安心感や、それを超える感心が、彼女の心を渦巻いていた。

 黒名はそんな彼を他所に支度を済ませると、穏やかな足取りで店を出て行った。

 結局、その日彼が黒名に目を向けることは一度もなかった。

 

 次の日、彼女は学校を休んだ。

 

 彼女が学校を休んだのは、これが初めてだった。

 それまでの中学の三年間で、仮病を使ったことは一度もなかった。

 そうして学校を休み黒名が訪れたのは、昨日の古書店だった。

 営業時間を看板で確認すると、朝の比較的早い時間から営業されていることが分かり、早速開館の時間と共に足を運んだという訳だ。

 今日、彼女は学校を休んだが、服装は変わらず制服のままだった。特に着崩している訳でもないところを見ると、その服装が好きなのだろうか。

 開館の数分前に着いてしまった黒名だが、既に扉は開錠されており、もう店内に入ることが出来た。

 中に入ると、昨日の青年が既に本を片手に佇んでいた。

 スラリとした体型に、落ち着いた顔付きで本を読むその姿は、非常に絵になった。

 そしてそれに似合うような白銀と丸眼鏡が、彼の容姿をより引き立たせていた。

 しかしその髪は乱雑で、整えればもっと良いだろうにと、彼女は息を漏らした。

 彼を見つめるのもそこそこに、黒名は昨日のように本の世界に没頭した。

 

 次の日も、黒名はまた古書店を訪れた。

 他の皆が学校に通っている中、自分だけ古書店で黙々と物語に浸っている———そんな少しの背徳感と、この場所の居心地の良さが、彼女を優しく縛り付けた。

 彼女が古書店を訪れて三日目になるその日も、黒髪の青年はそこにいた。

 相変わらず表情も姿勢も変えることなく、本に向かっている。

 ふと、彼がどんな本を読んでいるのか、気になった。

 本のタイトルは載っていなかったが、開いているページの文章から歴史や考古学など、そういった類のものであると分かった。

 それも黒名の趣味と繋がるところが多いもので、彼の読んでいるものを彼女も読んでみようと、ふとそう思った。

 古書店内から目的の本を見つけると、いつもの場所に腰掛けて読み始める。

 その本は、この世界の歴史を記録したものだった。

 こういった書物は数多く存在していて、特に世界の誕生に関するものが多様に混在しているということで有名な題材だ。

 多様、というのは書物に関してではなく、誕生に関する考えだ。

 ある人曰く、この世界は神によって齎されたものだという。

 ある人曰く、この世界は人類が創り上げた最大の発明だという。

 またある人曰く、世界など本当は存在しないという。

 

 様々な考えや憶測が飛び交う中、黒名の時代で最も有力視されているのは『神によって齎された』世界であるという説。

 とはいえ、これはその説に信憑性があるというよりは、他の説があまりに飛躍しているという、消去法に近いものだった。

 今の世界に、一つの世界を構築できるほどの科学技術は存在しない。

 故に、〈神〉という異次元の存在に頼っているに過ぎないのだ。

 ほとんどの書物はこの考えか、かつてに失われたオーバーテクノロジーがあるとされるかの二択の立場から記録されているものが多い。

 しかし結局のところ、どちらも証明には至っていない。

 そこから生まれた派閥が『世界など初めから存在しない』というものだ。

 しかしこれに関しては哲学的な側面が強く、研究者の中では戯言たわごとにも等しいものとして、あまり広がってはいない。

 それに、今まで暮らしてきた世界が、本当は存在しないなどと知りたくはないだろう。

 そういった思惑もあり、研究は進められていない。

 

 黒名が手に取った本は、そんな『世界など初めから存在しない』、簡略化して『偽世界説』と呼ばれている立場に立つ研究者のものだった。

 初めてその説の名を知った時、その表現は不適切に思えた。

 〈偽物の世界〉という意味なのだろうが、この世界を偽物と呼ぶには少々無理があるように黒名には感じた。

 それとも、他に何か意味があるのだろうか。

 そんな疑問を抱きつつ本を読み進めていったが、結局〈偽物の世界〉以上の言葉が記されていることはなかった。

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