第2章 ハリウッドからサンタマリアへ

 メキシコ料理店での支払いはクレジットカードで、篠田隆はチップ込みの金額を書き込んでいる。つまり現金はまったく必要なかった。合衆国での支払いはチップがあるので面倒な気もするが、その他にも売上税(消費税)を加算される州がほとんどである。だから代金と税金の同時並行で、チップも勘定に入れてしまう。チップも慣れてしまえば、どうってことないのである。

 さて合衆国において、アパートなどの小さな住居は、玄関という「部屋」がないのがふつうである。つまり入口ドアから入ると、いきなりリビングルームというわけだ。

 隆のアパートにはそのリビングルームの他に、キッチンとダイニングルーム、それにトイレとウォークイン・クロゼット付きの寝室がある。ないと言えば、アメリカの家にはふつう入口に靴箱が置いてない。靴箱は、たとえば寝室のウォークイン・クロゼットにあるのがふつうで、靴を個別に入れる小さな箱や靴が棚に並んでいるだけである。

 だから外を歩いたまま、すぐに室内に入る。もっとも昔と違い、いまは外がきれいに舗装されている。だから雨で濡れているときは別として、靴で入っても室内はあまり汚れない。だいたいロサンゼルスでは、夏季に雨はほとんど降らないのである。

 しかし隆は寝室に靴で入っていない。靴は、履いていたゴムの草履も含めて、リビングルームの入口の内側に置いてある。草履を脱いで歩き、トイレの湯船でお湯を出して足を洗っている。そして、そばにかかったタオルで拭いて、そのまま寝室に行ったのである。

 フローズン・マルガリータで酔っぱらって、隆はアパートに帰ってすぐ、ほとんどベッドへ直行した。もっとも寝る前に、お客用の毛布がリビングルームに出ていると客人たちに告げている。

 本田佑司と村上次郎は、自動車の後部からバッグをそれぞれ取り出して、隆のアパートに持ち込んでいる。隆がそうしろと言ったわけではないが、佑司も次郎も隆にならって、靴を入口の内側で脱いでドアのそばに置いた。やはり日本人なのである。

 それから次郎は寝る前に、必ず歯を磨かなくてはならない。面倒に感じたようだが佑司も同じように歯を磨くことにした。そして次郎はリビングルームのカウチに寝ることになった。カウチとは日本風に言えばソファであるが、そこに毛布をかけて横になる。

 カウチをゆずった佑司はエアベッド、つまり空気で膨らましたもので、それに毛布をかけて、照明を暗くして寝ている。隆は二人が来る前に、そういう準備をしていたのである。日中の暑かった空気も、寝る頃には少し涼しくなったように感じる。

 翌朝、六時ころ佑司が目を覚ますと、寝室のドアが開けはなれていて、隆はいない。そしてシャワーを浴びる音がする。カウチには毛布がたたまれている。次郎は東海岸の時間に慣れていて、早く起きたらしい。アパートは西北を向いているので朝日があたらない。窓から見ると、夜明けで空が明るくなっているようだ。

 それからあまり経たずシャワーつまりトイレのドアが開き、次郎が出てきたので、佑司は『おはよう』と声をかけ、代わりに入る。佑司は歯ブラシと乾電池式のひげ剃りをトイレに持ち込み、歯を磨き、ヒゲを剃ってシャワーを浴びた。カリフォルニアは水が貴重なので、どうしてもシャワーはお湯の出が悪く、時間が長くなる。でも佑司は遠慮して、自分のアパートほど時間をかけなかった。

 シャワーから佑司が出ると、隆は戻っていて、次郎とともにダイニングルームのテーブルに座っている。佑司が加わったとき二人は黙って座っていたが、黙っていたことにとくに理由はなかったらしい。テーブルにはコーヒーの大きな紙カップが三つと、ドーナッツがいくつかあった。隆が自動車に乗って買ってきたのである。

 隆は昨夜、ひどく酔っぱらっていたのだが、今朝はぜんぜん、そんなことを思わせない。テキーラは二日酔いにはならないのだろうか。フローズン・マルガリータを何杯も飲んでいるのである。

「おはよう。」

「おはよう。買い物に行ったの?」

「うん。コーヒーはアメリカンだけど、大丈夫だよね。」

 アメリカンというのは、やたら薄くて量だけは多いというイメージがある。だけど、この頃はまだコーヒーチェーンもなかったし、アメリカには喫茶店という店舗もほとんどない。

 昨夜の食事といい、今朝の朝食といい、隆はすごく気を使っている。だけど台所にキッチン道具はないので、何かを自分で作ろうと考えることはなさそうだ。何かを出そうと思ったら、自動車を出して買ってくるしかない。

「ドーナッツはあまり食べないんだけど、たまにはね。」

「いつもは何、食べてるの?」

「朝は食べないことが多い。まあ、コーヒーは必ず飲むんだけど。そうだ、お餅があったよね、リトル・トーキョーの。」

 隆は凮月堂の紙袋を入口ドアのそばから持ってきて、ドーナッツのとなりにあける。こういうときでもないと食べられないと思ったのか、あんを薄皮で包んだ「ハブタエ」をひとつ取った。次郎と佑司もちょっと迷ったようだが、結局、ひとつずつ取っている。

「うん、おいしい。」

 お酒が好きな人は甘いものを遠慮するなどというが、どうも隆はそんなことはないらしい。甘いお菓子を食べたあとでコーヒーをすする。次郎と佑司も同じようにする。

「今日はハリウッドとハースト・キャッスルの予定だね。私も行きたいけど、今日は日本から本社の専務がくるから。」

 それは昨夜、食事の席で説明していた。

「飛行機は午前十時過ぎに到着して、入国審査に一時間くらい。でも遅れるわけにいかないから、十時半くらいに行っていないと。」

 まだ三時間半くらいある。もっとも空港まで三十分くらいかかるから、それまでの余裕は三時間ばかりである。

「来るのはどんな人か、分かっているんですか?」

「去年の夏にも来てる。」

「じゃあ、大丈夫ですね。」

 こういうときに会社の話はあまりしたくないという感じがする。隆は黙ってコーヒーのカップを持っていたが、顔をあげて、逆に質問してトピックを変える。

「ゲーテッド・コミュニティって、分かります?」

 次郎と佑司のほうは、二人とも聞いたことがないという表情をしている。「門戸のある住宅地」という意味であろうか。

「南カリフォルニアで流行り始めたのですが、新しく開発した宅地に、何十戸とか何百戸を建ててグルッと高い塀をまわすんです。そして宅地の入口というか、ゲートには守衛がつくんです。そして二十四時間、別のガードが自動車で街を巡回して見回ります。いつもはゲートが閉じられているというイメージですね。」

「それが新しい住宅地だというのですか?」

「そうです。犯罪がゼッタイ減りますよね。」

「ああ、たしかに犯罪率は大幅に下がるでしょうね。アメリカにはこそ泥が多いし、強盗なども少なくない。でも塀ができれば入れない。」

「というわけで、このへんはともかく南のほうで、そういう住宅地が増えていると聞きます。」

「なるほどね。でも篠田さんにはあまり関係ないのでは?」

「それがですね、家を何軒か買おうかと今、考えているんですよ。給料も安定していますし、どうしたものかなって、今、思案しています。」

「あ〜、でも、ここって犯罪が多いんですか?」

「ここですか? 普通じゃないですか。でも、自分で住むんではなく、やっぱり貸すんですけどね。」

「ああ、そうか。そうですよね。ということは大家さんか。」

「アメリカでは貸家もあるんですね。家を買うというのも多いですけど。土地だけ売っていて買った人が家を建てるというのは、あまりというか、ほとんどないと思います。」

 次郎もコーヒーを飲みながら、耳を傾けている。佑司はどのドーナッツを食べようかと迷っているようだ。隆は話をゆっくり続ける。

「それとも、いずれショッピングセンターを持つか。」

「え、あの大きな?」

「いやあ、個人で持つんですから、あまり大きくないのですが。商店が十〜十五ですかね。それと小さなスーパーがひとつ、という感じでしょう。」

「それを計画から作るのはたいへんでしょう。」

「だから、既存のものを買うんです。近くに住宅地が開けるという予定があるとか、まあゼッタイ流行りそうなところですね。たっぷりの駐車場スペースがないとお客がこないのですが。やり方というのもあって、買うのが最初は半分とか、四分の一とかですよね。」

「なるほど。だけど、どのショッピングセンターが流行るか、やっぱり調査しなくちゃあ分からないかも。」

「うん、まあ、難しいんだけどねえ。」

 考えているだけというが、なるほどいろいろなことがあるものである。

「いろいろと、商売のことを考えているみたいだけど、結婚はどうなの?」

「ああ、結婚ね。今の会社には独身の若い女の子がいないんで、今のところ、ぜんぜん、その気(け)がないですね。」

 隆も二十代前半では、まだ結婚は早いのかも知れない。

「結婚するのは、日系かね、それとも白人系かな。」

「日系で、年齢が適当というのは、近くにいないし。」

「ああ、そうか。難しいんだねえ。」

「とにかく、まだゼッタイ早いと思っています。」

 そのとき佑司が腕時計を見た。それぞれが自分の腕時計をのぞき込む。七時十五分すぎであるがもう出発する時間かもしれない。

「ハースト・キャッスルを今日、見物するんでしょう。早めに出ないと。」

「そうですね。もう失礼しようか。」

 佑司はコーヒーを飲んでカップをあける。立って、もう一度、握手をすることになる。

「私も次はニューヨークです。篠田さんがニューヨークに来たら、歓迎します。住むところが決まったら、手紙を書きます。」

「私のところにも寄ってください、というか泊まって。」

 握手されると次郎もそう言う。そして、二人は入口のところで靴をはいて表に出る。隆はゴムの草履をはいて出てくる。

 自動車の後にバッグを積んで、前の運転席にまわる。佑司はエンジンを始動し、それからサングラスをかける。メーターでエンジンの調子を見たり地図をのぞいたりしていると、隆はアパートに戻って凮月堂の紙袋とドーナッツの袋を持って出てきた。

「これ、持って行って。どうせ食べないから。」

 結局、二つの紙袋を前の座席に置くことになる。お互いに微笑みながら、自動車が動き出す。シボレーのステイションワゴンはゆっくりとバックして、それから前に進む。

「お世話になりました。ありがとうございました。」

「ありがとうございました。」

「また来てください。」

 自動車は低速で走りだす。隆はなごり惜しそうに手を振っている。


 日曜日の早朝という時間帯である。自動車はパイオニア・ブールバードに出て、合衆国道五号線に乗り、北に向かって走る。五号線から一〇一号線サンタアナ・フリーウェイに移り、ロサンゼルス市役所のすぐ北を行く。そのままずっと走ると、合衆国道一〇一号線ハリウッド・フリーウェイになる。

 さらに行くと、『サンセット・ブールバードは右側へ』という表示が見えてくる。隆のアパートから三十キロくらいである。右側に寄りながら、佑司は次郎をちらりと一瞥し、問いかける。

「サンセット・ブールバードに出るけど、『サンセット大通り』という映画が、昔あったの、知っている?」

「名前だけはね。」

「監督がビリー・ワイルダーで、グロリア・スワンソン主演。」

 次郎は映画(一九五〇)の名前だけ知っているが、佑司は出演した女優の名前なども知っているということか。

 自動車は下を走る合衆国道一〇一号線から、上のサンセット・ブールバードへと、右にグルッとまわって出ていく。「大通り」というのは、この場合、片側二車線であり、場所によっては、その外側に駐車スペースがあるということである。その通りを東から西へとゆっくり進んで行くことになる。

「サンセット大通り、実際にあったんだね。」

「大通りでなく、ブールバードって呼ぶけどね。サンセットというのは、なんか変わっているね。映画の名前のせいかな。サンライズというのなら『夜明け』だから分かるけれど、サンセットというのは『日暮れ』という意味かな。それとも『夕焼け』?」

 答えることが不可能なことを、佑司は言っている。どちらかと言えば独り言であるが、次郎は黙ってまわりを見渡している。ふつうの道で、あまり変わったものがない。

 ブロンソン・アベニューとの交差点でガソリン・スタンドが右にあり、営業しているのに気づいて自動車を乗り入れる。

 ガソリン・スタンドというのは日本語らしく(あるいはイギリス英語か)、合衆国ではガス・スティションという。ガスというのは、「気体」というより、ガソリンを意味している。もっとも、わが国でもガス欠などと言う。自動車を乗り入れたのは、少なくなったガソリンを補給するためである。

「ガソリン代、ここまでは私持ちで、あとはここから半分ずつにしよう。」

「OK。」

「私がずっと運転でいいね?」

「運転免許は日本のしか、持ってないからね。」

 その論議は前に一度、手紙でやっていた。次郎はとくに運転したいとは思わなかった。それに、日本の運転免許証も有効期限が切れているようである。

 しかし日本の免許証を持っていれば、アメリカでも運転できる。そういうふうにアメリカ人は説明するけれど、日本の免許証には英語が少しも入っていない。

 そういうわけでふつうの人は「国際免許証」を入手するのだろうが、それには新たに「手数料」がかかる。それは収入が欲しい、日本の警察官僚たちのせいかも知れない。

 さて合衆国のスタンドでは、若者のほとんどは自分でガソリンを入れる。フルサービスもないわけではないが時間がかかるし、めんどうだから自分で入れるのである。そしてお金を払うとき、支払う運転者は外にいて、受け取る出納係はふつう建物の中にいる。

 店によっては強盗対策として、窓に鉄棒が入っている。スタンドは現金を扱うので、強盗に狙われやすいのだろう。まず現金を支払って、ポンプを動かしてもらうことも多い。だからどのくらい入れるか、ガソリン・タンクの空きがどのくらいかを知らなければならない。ふつう自分の車で、運転しているから分かるのである。

 ここの場合、窓ではなく併設の店に入って先にお金を支払い、それからガソリンを入れる――ふつうのセルフサービスの店である。入口近くの会計係から各ポンプがよく見えるようになっていた。ポンプのスイッチは会計係の手元にある。

 自動車にガソリンを入れ、ほとんど満タンになったので、佑司は車をポンプのそばから動かし、そばの駐車スペースに停める。そしてまた店舗に入り、トイレを使い、ボトルに入った飲料水を買う。もちろん次郎も同じである。そして、サンセット・ブールバードに戻って自動車を走らせる。

 ずっと、何の特徴もない道である。何もないといっても、いろいろな店が続いている。土地は四角形がふつうであるが、どういうわけか空き地が少ないようである。空き地は駐車場になっているのかも知れない。

 合衆国の都会のメーンストリートの両脇は、土地が空いていることがほとんどない。とにかく都会に空き地が少ないし、あっても管理がしっかりしている。日本と違って、雑草が生い茂っているということがない。もっとも、カリフォルニアでは夏は乾期なので、雑草が生えるということが少ない。

 そして看板があまり見られない。これは、規制されているからである。わが国であれば、制限する法律はほとんどないが、アメリカでは看板に関する条例が多い。

 商店では小さな看板のことが多い。また、歩道の脇の道路側の面には店の名前やマークなどが建物に描かれていることもあるのだが(つまり塗装で、看板ではない)、ふつうの建物では看板に似たものを立てることもできない。もちろん塗装でも「奇抜なもの」は許されない。そういうふうに条例で決まっているらしい。

 とにかく、日本の街とはずいぶん感じが違ってくる。繁華街と言っても、看板がいっぱいあるということはない。それにとなりとの塀がないということもある。とくに住宅地では塀があまりないのである。

 ハイランド・アベニューと交差するところで、右の向こう側に「ハリウッド高等学校」があるところまでやってきた。塀がなく、歩道の外は芝生の庭が建物の際まで続いている。道の側にはヤシの木が並んでいる。

 それまでの道路脇にはずっと並木があったが、高校の少し東でヤシの木に変わり、そのあとずっと西のほうにヤシ並木が続いている。ヤシの木は車道のすぐそばに生えていて、それから歩道がある。つまり、車道、ヤシの並木、歩道、そして高等学校の敷地である。

 アメリカでは歩道の脇は塀がないのがふつうであるが、塀がなくても、勝手に入っていいのかと言えば、どうも違うようである。つまり、合衆国ではふつう塀がないので、日本人には自由に出入りできるように思えるが、敷地の中に入った場合、家宅侵入のようにとられることがあるようだ。

 もっとも高校の敷地の場合、ふつうの家と違うのかもしれない。日本は塀があるからふつう入れないし、入れば侵入がはっきりしている。

 ハリウッド高校の場合、サンセット・ブールバードには塀がないが、その他の三つの通りには鉄製の高い柵が立っている。外から内側が見えて、見通しが良いのであるが、まわりの塀がないというわけでもないのである。高校の敷地の周囲に柵が建てられたのは最近のことかも知れない。

 サンセット・ブールバード側から高校には、入口が東と西に二カ所作られている。歩道から階段があって、それから建物までの通路は舗装されている。もちろんアメリカのことだから、建物に入ったところに下駄箱などはなく、まっすぐに入る。生徒たちの登下校用の出入り口ということであろう。

「ハリウッド・ハイスクールか。こんな名前の学校があるんだね。」

 佑司は思わずそんな言葉が『出た』という感じで言う。

 アメリカの高校は四年制が増えているというが、ところによっては三年制のところもあるらしい。小学校はふつう幼稚園を含むらしく、幼稚園とは別に、五年制や六年制がある。中学校はだから、州によっては二年制や三年制になる。小学校で八年制という州もあり、その場合、あとはすぐ高校に行くことになる。

 義務教育は学校区があって、その運営は自治に任され、会計予算は固定資産税の一部があてられる。つまり市町村は教育に関する権限を持っていない。高校までのことは学校区で決められるのである。

 その他に私立の学校もあるが、カトリック学校が九%、その他の私立が一%(特別の進学校やミリタリースクール=私立の士官学校など)、そして学校に通わないことを承認された者が二%ということで、結局、八二%がふつうの公立学校、つまり学校区によって運営されている学校に通っているということになる。

 日本の教育制度は合衆国に似せたというが、高校は三年制であり、中学校も三年である。アメリカの高校は四年制が多くなっているから、あまり似ていない。

 また、日本の教育の権限を持っているのは市町村である。アメリカの学校区に似せて、いちおう教育委員会なるものがあるが、その実態は首長、つまり多くは市町村長の考えが中心になっている。

 もっとも今は、文部(科学)省の力のほうが、ずっと強いのであろう。また、日本の私立学校の割合は、合衆国よりずっと大きい。場合によれば、幼稚園から私立に行くのである。

 また、アメリカには「飛び級」という制度がある。年齢と関係なく成績が良ければ、そして授業単位をとれば、進級できる。

 日本にはほとんど、この仕組みはない。最近、全国で数名程度に限定される、高校を終わらないうちに大学に入学できるという制度が、いくつかの大学で作られたようだが、飛び級というのは日本には基本的にないし、高校卒業という資格も得られない。年齢より早く卒業することは、ふつう許されないのである。

 アメリカでは当然、みんなより早く高校を卒業して、若くして大学に行く者がいる。大学だって卒業するのに四年間、在学しなければならないということはない。

 そして、アメリカの高校には通常、制服がない。といっても、カトリックと私立高校は別である。しかし、ふつうの高校生は私服で通うことになる。

 またアメリカの通学には学校のバスが使われている。日本のように、自転車通学というのはないのである。だから学校のすぐ近くは別として、幼稚園から高校までの通学はバスである。

 もっとも、ここハリウッドでは自分で自動車を運転して登校する生徒がいるかもしれない。運転免許は高校の授業で取れる。もしかしたら運転手付きの送り迎えもあるのかもしれない。

 とにかく、そこにハリウッド高校がある。有名人がたくさん卒業していて、業界に影響力を持った者が多いのが、この学校の特徴であろう。

 一時期、ハリウッドはロサンゼルス市から独立したようだが、その後、二十世紀の初めにはロサンゼルス市と再度合併し、その一部となったようだ。ということで、キャンパスで映画やテレビ番組が撮影され、アメリカ中に知れ渡った高校がそこにある。

「アメリカでいちばん『有名な公立高校』ということかな。まだ夏休みで、しかも日曜日の早朝で、生徒はひとりもいないけど。」


 そして、そこからサンセット・ブールバードをさらに一街区ほど西に走って、ノース・ラブレア・アベニューで右折する。しばらく北へ行くとハリウッド・ブールバードである。そのブールバードを走るため、また右折する。今度は東行きである。

 ここの両側の歩道は、アメリカのスターたちの名前が書かれた星形のプレートが埋め込まれていることで有名である。五つの業界、すなわち映画、テレビ、ラジオ、音楽、そして舞台・演劇での貢献を認めるもので、「ハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム」と呼ばれている。

 まだ八時を過ぎたばかりの早朝で、日曜日であるから、あまり人が出ていない。左側にすぐ、「チャイニーズ・シアター」が見えてきた。昔からあって、ハリウッドを代表する映画館である。一九二七年に開場したというから、もう五十年あまりが経っている。一九四四、四五、四六年とアカデミー賞の会場にもなった。

 そう言えば、このころのアカデミー賞はロサンゼルス市役所そばの、ドロシー・チャンドラー・パビリオンで開かれているという。もっと最近ではまたハリウッドに戻り、二〇〇二年からチャイニーズ・シアター近くの「ドルビー・シアター」が会場になっている。もっとも、このとき=一九七九年夏=にドルビー・シアターは、まだ影も形もない。

 そのまま車は進んで行く。左右の商店は土産物を扱っているようだが、まだ朝早いため開いていない。カフェが開いていて朝食を食べている人もいる。

 やがて自動車はヴァイン街との交差点にさしかかる。ここの交差点の角には、北西の角を除いて、高い建物が建っている。ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームはヴァイン街では南北に行っているが、特定のスターの星がどこにあるか分からず、車はそのまま東へと走る。

 その次の次の信号、ノース・ガワー街との交差点で左を見ると、向こうの山、北側のハリウッド・ヒルズの上のほうに「ハリウッド」の前の部分が見えたような気がする。ここはハリウッド・ウォーク・オブ・フェームの東側の終点である。

 次の信号への途中、左側に駐車場が広がっているあたりで、ハリウッド・ヒルズの上のあたりに「ハリウッド」とあるのがはっきり佑司に見えた。有名な個別の文字だけの看板である。ただしハリウッド・ウォーク・オブ・フェームが続いている辺りからは見えないのかも知れない。

「左の山の上のほうに、『ハリウッド』というのが見える。」

 佑司が自動車のスピードを落し、次郎は頭を前に出し、少し下げて左の方向を見ている。すぐに、道路の左の建物で見えなくなったのか、またもとの姿勢に戻り、前を向く。

 これは一九二三年、「ハリウッドランド」という看板が立てられたのが始まりという。つまり住宅地を売るために建てられた。四九年に「ハリウッド」となったのは、映画が創られる街を意味し、それまでの住宅地を指さなくなったからという。

 ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームは、それからしばらくたって五八年に作られ始めている。「ハリウッド」の看板は七八年に改修されて、十一月にお披露目されているという。従って佑司と次郎は、改修されてまもなくのものを見ていることになる。

 それからまもなく、ハリウッド・ブールバードは合衆国道一〇一号線の上を通る。左折する車線に入って、信号が変わるのを待つ。やがて左に曲がり一〇一号線に入ってゆく。まだ午前八時二十分をまわったばかりで、日曜でもあり、あまり交通も多くない。

 すぐに時速五十五マイルのスピードに乗って走るようになる。日本で言えば時速八十八キロである。自動車のエンジンはすこぶる調子が良い。窓を閉め、これから暑くなるのに備えて、冷房を強めに入れる。

 しばらくして、知っているか、というふうに佑司は尋ねる。

「テレビでジョニー・カーソンの『ザ・トゥナイト・ショー』、見たこと、ある? NBCだけど。」

「うん・・・、それほど多くないけど。」

 あまり関心なさそうに、次郎は答える。

「初めに『ハリウッドから』って言うんだけど、実際は『バーバンク』のスタジオからだってさ。」

 バーバンクは、ハリウッドから見て、あの「ハリウッド看板」の、山を越えた向こうにある街で、NBCのスタジオがある。

 ジョニー・カーソンの番組「ザ・トゥナイト・ショー」が始まるとき、エド・マクマホンが司会者としてあらわれ、自己紹介する。番組はバーバンクのスタジオで公開録画されており観客がいて、彼らに番組を紹介する形をとるのである。

 その時、専属バンドというか、NBCのバンドが主題曲を生演奏するのだが、その指揮者、たとえばドク・セベリンソンを紹介する。そしてマクマホンが、『ヒーーアーーズ、ジョニー!』と叫ぶ。

 ジョニー・カーソンはそこで幕間から登場して、「モノローグ」をやる。モノローグはアメリカ風のジョーク集で、一人で静かにやるところが日本の漫才と違う。「ワン・ライナー」という短いジョークを言うのであるが、物語でないところが落語とも違う。もちろん、カーソンは楽器を持っていない――それがモノローグである。最近では日本でも一人でやる漫談もあるが、アメリカのモノローグは始めから一人でやるわけである。

 そして二十くらいのジョークを出すが、政治ネタはやらないというのがカーソンの流儀である。といって、政治家を嫌っていたわけではないようで、リチャード・ニクソンやロバート・ケネディ、ハーバート・ハンフリーなども初期のころ、番組に登場したという。

 そのモノローグが終わるとき、カーソンはゴルフのスィングのような格好をしてコマーシャルが始まる。その後はスケッチ・コメディ(コント)が用意され、最後にゲストがあらわれることが番組の骨子である。ゲストは書籍の著者や映画・テレビ番組、舞台の出演者などで、宣伝するのが出演することのひとつのメリットである。

 モノローグの後のプログラムのひとつで、マクマホンがゲストのように机の横に座り、カーソンがサイキック(霊能者)、「カーナック・ザ・マグニフィセント」を演じることがあった。

 帽子ようのものをかぶったカーソンが、封筒をこめかみのあたりに持って行き、その中に書いてある問題の答をサイキックとして「透視」する。つまり中身を知らないという演技をするが、必然的にどうしょうもないダジャレで落ちる。もちろん、考えさせる落ちではあるが。透視から落ちまでデッドパン(無表情)で行う。

 たとえば、解答として「スリー・ドッグ・ナイト」とカーソンが言うと、視聴者は問題が何かバンドと関係があるのではないかと思う。しかし封筒を破ると、問題として『ある木にとって、運が悪い夜は?』と書かれている。『(まわりに)犬三匹の晩』というわけである。

 ザ・トゥナイト・ショーはこの頃、バーバンクで月曜から金曜の午後五時半から録画されていた。それがアメリカの各時間帯に午後十一時半から翌朝一時までの一時間半の番組となったようで、東部では約三時間の余裕があった。

 つまりカリフォルニアで録画されたが、放送のための加工はニューヨークで行われたということである。それが四つの時間帯によって順次、放送された。

 もっとも内容は編集されていないという。つまり、カーソンが出演して撮られた場面はそのとおり放送されたということで、東部での加工はコマーシャルの部分だけだったと言われる。

 カーソンはドロシー・チャンドラー・パビリオンで、一九八二年五十四回と八四年五十六回のアカデミー賞の司会もつとめている。テレビのパーソナリティとして、このころのアメリカでもっとも成功していて収入も多かったという。たしかに落ち着いていて、ばか騒ぎをしない、そして知的な司会者として優れていたのであろう。

 佑司はこの頃、よくザ・トゥナイト・ショーを視聴していた。時にはカーソンのモノローグがうまく聞き取れないこともあったが、英語を聞き取る練習として役立ったのである。

 次郎は佑司の言葉を受けて言う。

「ニューヨークからは、バーバンクもハリウッドも同じ。」

「そういうものかね。」

「ロックフェラー・センターと、ハーレムぐらいの違いかな。」

 東海岸でバーバンクがどういうふうに見られているか分からない。たしかにニューヨークという遠く離れた東海岸から見れば、バーバンクとハリウッドはそんなに遠くはない。ロックフェラー・センターはニューヨークのNBCがあるところで、ハーレムというのはそこからちょっと北のほうにある、ニューヨークの黒人街だという。だからハリウッドから番組が放送されているというウソでも、ニューヨーク市ではたいして違和感が感じられなかったのだろう。


 やがて、ベンチュラ・フリーウェイ(合衆国道一〇一号線)は海の見えるところに出た。それまで道路は山中を走っていたのである。海が見えるようになったのはベンチュラ郡の中心のベンチュラ市の手前であったが、フリーウェイは街中を過ぎていく。

 やがて家々を過ぎ、海岸沿いの狭い地域の道を行くようになる。右にあまり高くないが山々が近づき、左に海が迫る。佑司が思わず声をあげる。

「沖に、島が見える。」

「かなり大きな島だ。」

「いやあ、島があるんだね。」

 ロサンゼルスの沖に島があるということはあまり考えないけど、地図で見るとたしかにいくつか島がある。それらはロサンゼルス郡でなく、サンタバーバラ郡に所属するらしい。そのまま島を眺めながら、海岸そばのフリーウェイを西に進んでいく。

 風景にたいした変化はなく、やがて次の大きな街に入って行く――サンタバーバラに十時半頃である。カリフォルニア大学サンタバーバラ校があるが、合衆国道一〇一号線は大学のそばを通り過ぎると片側二車線になり、しばらく行くとフリーウェイではなくなったようだ。つまり道路が交差し、左折や横断ができる場所がある。

 やがてガヴィオータで道路が右の山中に曲がるところに来ると、その辺りには民家もあまりない。曲がってまもなく、合衆国道一〇一号線はトンネルに入る。

「これまでトンネルを走ったことはないように思うけど。」

「そうだね、初めてだ。」

 しかしガヴィオータ・トンネルは短い。やがて州道1号線と、ヴァンデンバーグ空軍基地へと行く道が合衆国道一〇一号線と別れるところまで来た。

「右に行くと州道1号線だけど、一車線だけだから、ちょっと『怖い』ね。」

 少し迷ったようだったが、佑司はそのまま合衆国道一〇一号線を走り続ける。昼食を食べたかったので、州道沿いにはレストランがないのではと考えたらしい。この辺りはまだ左折も許されるようである。

 山を越えて次第にまわりの風景も変わってくる。ワインを作っているのか、次第にブドウ畑が増えてくる。そして、また合衆国道一〇一号線はフリーウェイに戻り、まわりの道路と区別されるようになる。

 サンタマリアの街に十一時半ちょっと前に到着する。なかなかの街のようで、サンタバーバラより大きそうである。

「お昼、何がいい?」

「何だっていいさ。それよりもトイレ。」

 急いで合衆国道一〇一号線を降りる。そこには「バーガーキング」があって、あまり迷うこともなく、トイレがあるのでそこに入る。

 自動車を停めていると、次郎は降りて店の中に入っていく。急いでトイレに入りたいのであろう。佑司は車を施錠して、ゆっくりと後を追った。席につき、次郎がトイレから戻るのを待って、メニューを眺める。

「ここの名物は『ウォッパー』だって。」

 バーガーキングはこの頃、勢いがあって、マクドナルドにも負けていないようだ。とくにウォッパーというハンバーガーは人気が高かった。

「バーガーキングというのは、コロンビア大学の近くにはないね。まあとにかく、ウォッパーにするか。」

「私も、ファーストフードって、あまり食べたことがない。同じにするか。」

 食べるものは決まったが、何か飲むものが欲しい。

「飲み物と言えば、コカコーラなんかだね。」

「それはダメだ。ジュースが欲しい。そうね、ミニッツメイドのオレンジ・ジュース。」

 次郎はウォッパーを注文しようとしているが、コカコーラなんて飲みたくないのである。それにコーヒーでないほうがいい。今朝早く、隆はアメリカンを買ってきているが、次郎はコーヒーがあまり好きでなく、半分ほど残している。ともかく、できればコーヒーも飲みたくないのである。

「私は、アイスティーかな。」

「うん。あ、それに水のボトル。」

「じゃあ、私も。」

 というわけで、高校生のアルバイトに違いない、赤毛のウエイトレスに注文すると、佑司はトイレに出かける。そしてしばらくして戻ってくると、注文したものが出されている。当然のことながら早い。出されたのはウォッパーと飲み物である。もちろん、水のボトルもいっしょに来る。

「これが、有名なウォッパーか。」

「まあ、たいしたことないね。」

 ひとくち、かじってみて、また言う。

「そんなにひどくもない。まあ、ファーストフードということだろうね。」

「まあね。」

 ひととき、二人はハンバーガーを食べる。

「それで、カリフォルニアはどう? 良いとことは思わない?」

「そうね、晴れて良い天気だけど暑い。まあこれまでのところ、あまり文句はない。」

 次郎はそんなことを言ったあと、しばらく黙って食べていたが、意を決したように言う。

「昨夜、お世話になった篠田さんだけど・・・。」

「何かあった?」

「篠田さんは良い人だけど・・・。」

「良い人だけど、どうしたって?」

「ゼッタイと言うんだよね。」

「それで?」

「口ぐせだよね、ゼッタイって。」

「そう言えば。」

「私なら言わない、ゼッタイって。」

「そう?」

「うん、良い人だと思うけど。」

「篠田さんは、州立大学に行ったときからの友だち。他に日本人がたくさん居たわけじゃあない。専攻は違ったけど、仲が良かったんだ。じつは私が行ったころ、いろいろ悩んでいた。私を見て、また元気になった。それで仲が良かった理由だろうね。」

「うまくやってるね。ちゃんと大学卒業して、仕事を見つけて。」

 たしかに隆はきちんと州立大学を卒業し、その後、良い仕事を見つけている。合衆国に来ている日本人で大学を卒業しているのは、そんなに多くない。

 その仕事だって、アメリカ人のようにちゃんと結果を出している。そういう意味では『日本人離れ』している。うまくやっているという点で成功者でもある。しかし、「ゼッタイ」と言うのは口ぐせに違いない。

 バーガーキングには十二時までいた。まだ燃料は残っていたが、フリーウェイに戻る前に給油をし、早め早めの給油を心がける。なにしろ、これから先、ガソリン・スタンドがないかもしれない。

 また合衆国道一〇一号線に戻り、そのまま走り続ける。前の座席にあった「ハブタエ」もドーナッツも、隆が差し入れたものはもう食べてしまっている。

 ビズモ・ビーチの街で、また太平洋の海岸に戻る。ただし海岸から少し離れて高台を走る。サンルイオビスポで合衆国道と別れ、州道1号線に入る。

 州道1号線はフリーウェイではない。つまりサンルイオビスポのあたりでは、信号がある。とうぜんスピードは合衆国道を行くより遅くなる。

 モロベイの辺りで、また左側に太平洋が見えてくる。やがてカユコスというところを過ぎると、片側一車線になる。ところが一車線のところの信号は全部で二、三カ所あるだけで、車も少なく家もあまりない。一車線のところのほうが信号もなく、自動車も少なければスピードが出る。

 お昼を食べたところからサンシメオンまで百五十キロくらいである。サンシメオンの手前は左側に太平洋が続いている。目的地のふもとのビジターセンターに到着したのは、ちょうど午後二時だった。

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