第28篇 散歩

夢を見ていた。

いつの頃の話なのかは分からない。

それが本当なのかも分からない。

しかし、私は夢を見ていた。


それは時に幸せな夢だった。

そして恐ろしいものでもあった。

時に夢は私を傷つけ、私を癒やす。


そして、粉雪のように記憶の中から溶けてなくなっていく。

数分後には私のメモリーから消去され、何もかもが消えて無くなる。


私は思うのだ。

嗚呼、今日も夢は終わってしまったのか、と。



朝がやってきた。

ガレキの一角で、ゆっくりと体を起こす。


眠っていたようだ。

夢を、見ていたようだった。

今日の夢は何だったのだろうか。


もう、思い出すことはできない。

それは私の脳内メモリーの容量を守るための、自己防衛機構でもあった。

書き込まれた膨大な記憶データは、古いものや不要なものから順に消去されていく。


それが一番効率的で、最も保守的なシステムの流れだからだ。

それゆえ、私が「夢」を覚えていることはない。

絶対に、目が覚めた時には、その記録は失くなっている。


ただ、「感覚」は残る。

今日の夢は、とても悲しいものだったらしい。

心の中がドス黒く、歪んでいた。

ぐるぐると回るその感情は私の心をさいなみ、そしてえぐる。


夢により私は傷つけられ。

そして安堵する。

嗚呼、そうだ。

今日も私は生きている。


目覚めることが、出来たらしい。


「さて、今日は何処に行こうか」


誰にともなく呟く。

廃墟が立ち並ぶ、ガレキの、かつて「建造物」だったであろう構造体を見回す。

それが何であったのか、知っているような気はする。


気はするが、それは私にとって大事なことではない。

そして私の脳内メモリーからは既に消去されてしまったデータであり、事実でもあった。


だから私は、これら「廃墟」が何であるのか、そして何を意味しているのかを思考しない。

それは恐らく、私には必要のないことであり、思考することにより得られる感傷は、恐らく私には必要がないのだ。


起き上がり、体の埃を払う。

ギシ、ギシ、と関節がきしみをあげた。

後で油を塗らなければいけない。

しかしそれは今ではない。

まだ大丈夫だ。


椀部マニュピレータの稼働率は70%。

5割を切ったら交換すればいい。

代替えの部品はリュックの中に入っていた。


「36番、本日の行動を開始します」


呟くように虚空に向けて言う。

これには意味はない。

日々の私の行動ルーチンなだけだ。

この一言を境界線に、私の仕事は始まる。


そう、仕事。

言い換えれば任務。


それは、この廃墟と化した世界を散歩することだった。

散歩、といえば軽く聞こえるかもしれない。

言い換えれば探索。

散策。

ただ、その程度の意味合いは、今はもう持ち合わせておらず。


だから私は、私の任務行動を「散歩」と呼ぶことにしていた。


廃墟を歩く。

ガレキを踏みしめながら。

時折、踏みしめた石の隙間から、小さな蟲が現れ、別のガレキの影に消える。


青い空だ。

今日は積乱雲はない。

微風、この土地の環境はとても良いようだ。


汚染レベルは45%。

草木は芽吹き、そこから飛び立つ小鳥達が見える。

少し離れた所に、奇妙な形に変形した黒い木々の森が存在しているのが確認できた。

おそらく鳥達は、あそこを巣にしているのだろう。


特に何の感傷も抱かず、その事実を確認して、足を進める。


私の散歩は、決して急がない。

そして、目的もない。

こうやって様々な土地を見て回り、何を感じることもなく、この平坦な世界を目に焼き付け続けるのだ。


どうして?

と、誰かは聞くかもしれない。

しかし、今までにその質問を投げかけられたことはなかった。


いや……もしかしたら過去、問いかけられたことはあるのかもしれない。

もしくは、夢の中か。


しかしそれを今の私が覚えていないということは、私にとってこの散歩が「何故」行われているのかを思考するのは、不要なものだということ。

だからメモリーの中にないという事実。


黒い森を左手に見ながら、ゆっくりと歩く。

風が、さやさやと吹いていた。

地面の土は黒い。

そこに黒い植物が生えていて、くすんだ色の花を咲かせていた。


何という色だっけ。

思い出そうとする。


浅葱色。


一拍遅れて、脳内メモリーが回答を弾き出す。

成程。

この土地は再生に向かっている。


だから何だ、と考えることも時にある。

散歩をしていると、時に汚染レベルが高い場所を歩くこともあるからだ。

そこはヘドロや汚染雨が絶え間なく降り注ぎ続け、私を汚し続ける。

当然稼働率も落ちる。

私の駆動時間も削られていく。


だが。

私はそれに対して何の感傷も抱くことはない。

ああ、汚染されているな。

そう思うだけだ。


汚染されていない、ここを見ても、私の中に感傷はない。

そう、私は俯瞰(ふかん)でそれを見るだけだ。


何故なら、私は散歩をしているのだから。

目的もなく、感傷を得ることもなく。

ガレキを、土を、ヘドロを踏みしめてゆっくりと。

自分の歩きたいペースで。

歩きたい方向へ。


行きたい時に。

行きたいだけ足を向ける。


それが今の私の存在意義であり。

おそらく、それ以上のことは必要がないのだ。

脳内メモリーがそれ以上の情報を遮断し、消去するのはそれが理由なのだろう。


ただ、時折思うのだ。

夢の中で処理されているであろう、私の「感傷」の内容を、いつか知ってみたいと。

いつか、その感傷をこの手に持ってみたいと思うのだ。


ガレキの向こうに沈んでいく真っ赤な太陽。

……だいぶ歩いた。

向こうには、ドロドロと滞留している、何かが溶けたコールタールのような「海」……だったものが見えた。


その先には、うっすらと小さな大陸の端っこが見える。

私は足を止めた。


今日の散歩はここまでにしよう。

そう思ったからだ。


「36番、本日の行動を終了します」


呟くように言って、地面に座り込む。

明日はあの大陸に行こう。

ゆっくりと。

歩いて。


その先は。

明後日は?

そのまた明々後日は?


よく分からないが、私はこの散歩が嫌いではない。

夢の中でどんな感傷が処理されているのかは到底分からないが。


散歩をしていられる私が。

私は、しあわせだと。

そう思っているのだから。

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