第28篇 散歩
夢を見ていた。
いつの頃の話なのかは分からない。
それが本当なのかも分からない。
しかし、私は夢を見ていた。
それは時に幸せな夢だった。
そして恐ろしいものでもあった。
時に夢は私を傷つけ、私を癒やす。
そして、粉雪のように記憶の中から溶けてなくなっていく。
数分後には私のメモリーから消去され、何もかもが消えて無くなる。
私は思うのだ。
嗚呼、今日も夢は終わってしまったのか、と。
◇
朝がやってきた。
ガレキの一角で、ゆっくりと体を起こす。
眠っていたようだ。
夢を、見ていたようだった。
今日の夢は何だったのだろうか。
もう、思い出すことはできない。
それは私の脳内メモリーの容量を守るための、自己防衛機構でもあった。
書き込まれた膨大な記憶データは、古いものや不要なものから順に消去されていく。
それが一番効率的で、最も保守的なシステムの流れだからだ。
それゆえ、私が「夢」を覚えていることはない。
絶対に、目が覚めた時には、その記録は失くなっている。
ただ、「感覚」は残る。
今日の夢は、とても悲しいものだったらしい。
心の中がドス黒く、歪んでいた。
ぐるぐると回るその感情は私の心をさいなみ、そしてえぐる。
夢により私は傷つけられ。
そして安堵する。
嗚呼、そうだ。
今日も私は生きている。
目覚めることが、出来たらしい。
「さて、今日は何処に行こうか」
誰にともなく呟く。
廃墟が立ち並ぶ、ガレキの、かつて「建造物」だったであろう構造体を見回す。
それが何であったのか、知っているような気はする。
気はするが、それは私にとって大事なことではない。
そして私の脳内メモリーからは既に消去されてしまったデータであり、事実でもあった。
だから私は、これら「廃墟」が何であるのか、そして何を意味しているのかを思考しない。
それは恐らく、私には必要のないことであり、思考することにより得られる感傷は、恐らく私には必要がないのだ。
起き上がり、体の埃を払う。
ギシ、ギシ、と関節がきしみをあげた。
後で油を塗らなければいけない。
しかしそれは今ではない。
まだ大丈夫だ。
椀部マニュピレータの稼働率は70%。
5割を切ったら交換すればいい。
代替えの部品はリュックの中に入っていた。
「36番、本日の行動を開始します」
呟くように虚空に向けて言う。
これには意味はない。
日々の私の行動ルーチンなだけだ。
この一言を境界線に、私の仕事は始まる。
そう、仕事。
言い換えれば任務。
それは、この廃墟と化した世界を散歩することだった。
散歩、といえば軽く聞こえるかもしれない。
言い換えれば探索。
散策。
ただ、その程度の意味合いは、今はもう持ち合わせておらず。
だから私は、私の任務行動を「散歩」と呼ぶことにしていた。
廃墟を歩く。
ガレキを踏みしめながら。
時折、踏みしめた石の隙間から、小さな蟲が現れ、別のガレキの影に消える。
青い空だ。
今日は積乱雲はない。
微風、この土地の環境はとても良いようだ。
汚染レベルは45%。
草木は芽吹き、そこから飛び立つ小鳥達が見える。
少し離れた所に、奇妙な形に変形した黒い木々の森が存在しているのが確認できた。
おそらく鳥達は、あそこを巣にしているのだろう。
特に何の感傷も抱かず、その事実を確認して、足を進める。
私の散歩は、決して急がない。
そして、目的もない。
こうやって様々な土地を見て回り、何を感じることもなく、この平坦な世界を目に焼き付け続けるのだ。
どうして?
と、誰かは聞くかもしれない。
しかし、今までにその質問を投げかけられたことはなかった。
いや……もしかしたら過去、問いかけられたことはあるのかもしれない。
もしくは、夢の中か。
しかしそれを今の私が覚えていないということは、私にとってこの散歩が「何故」行われているのかを思考するのは、不要なものだということ。
だからメモリーの中にないという事実。
黒い森を左手に見ながら、ゆっくりと歩く。
風が、さやさやと吹いていた。
地面の土は黒い。
そこに黒い植物が生えていて、くすんだ色の花を咲かせていた。
何という色だっけ。
思い出そうとする。
浅葱色。
一拍遅れて、脳内メモリーが回答を弾き出す。
成程。
この土地は再生に向かっている。
だから何だ、と考えることも時にある。
散歩をしていると、時に汚染レベルが高い場所を歩くこともあるからだ。
そこはヘドロや汚染雨が絶え間なく降り注ぎ続け、私を汚し続ける。
当然稼働率も落ちる。
私の駆動時間も削られていく。
だが。
私はそれに対して何の感傷も抱くことはない。
ああ、汚染されているな。
そう思うだけだ。
汚染されていない、ここを見ても、私の中に感傷はない。
そう、私は俯瞰(ふかん)でそれを見るだけだ。
何故なら、私は散歩をしているのだから。
目的もなく、感傷を得ることもなく。
ガレキを、土を、ヘドロを踏みしめてゆっくりと。
自分の歩きたいペースで。
歩きたい方向へ。
行きたい時に。
行きたいだけ足を向ける。
それが今の私の存在意義であり。
おそらく、それ以上のことは必要がないのだ。
脳内メモリーがそれ以上の情報を遮断し、消去するのはそれが理由なのだろう。
ただ、時折思うのだ。
夢の中で処理されているであろう、私の「感傷」の内容を、いつか知ってみたいと。
いつか、その感傷をこの手に持ってみたいと思うのだ。
ガレキの向こうに沈んでいく真っ赤な太陽。
……だいぶ歩いた。
向こうには、ドロドロと滞留している、何かが溶けたコールタールのような「海」……だったものが見えた。
その先には、うっすらと小さな大陸の端っこが見える。
私は足を止めた。
今日の散歩はここまでにしよう。
そう思ったからだ。
「36番、本日の行動を終了します」
呟くように言って、地面に座り込む。
明日はあの大陸に行こう。
ゆっくりと。
歩いて。
その先は。
明後日は?
そのまた明々後日は?
よく分からないが、私はこの散歩が嫌いではない。
夢の中でどんな感傷が処理されているのかは到底分からないが。
散歩をしていられる私が。
私は、しあわせだと。
そう思っているのだから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます