第27篇 命の尽きる時間

音がない部屋だった。

時折、結露した水滴が、天井から金属製の床にピシャン……ピシャン……と垂れるだけだ。


部屋の中に詰め込まれた機械類は、もはや稼働を止めていた。

蒸し暑い。

シェルターの空調が機能していないのだ。


てん、てんと何かが倒れている。

大きいモノだ。

それはかつて生物だったもの。

体の大半を機械に改造し、命を繋いでいた、「人間だったモノ」が複数体、床に転がっていた。


もう動くことはない。

死んだのか。

それともただ単に稼働を停止しただけなのか。


それを確かめるすべはもう、彼女にはない。

何故なら彼女もまた、シェルターの床に塵のように転がっていたからだ。


数日前のことだった。

シェルターに警報が鳴り響き、施設全体に供給されていた主電力のラインが切断された。


原因は単純だ。

外部での戦闘。

アンドロイド達の攻撃によって、地下にある、シェルターに電力を供給していた融合炉が破壊されたのだった。


幸い、シェルター自体から遠かったため、アンドロイド達がここに攻め込んでくることはなかった。

施設には副設備として、予備電力の発電装置がある。


しかし、長年の使用によってそれは劣化、破損していた。

稼働から数日で、予備電力の生成は途絶え、シェルターの機能は次々に停止していった。


一番壊滅的だったのは、電磁障壁で遮断していた地表からの汚染が、シェルター内に入り込んでしまったことだった。


施設の全てが一瞬にして汚染された。


「人間」の部分が多かった研究者達は、即死した。

血液を吐き散らし、崩れ落ちて死んだ。

研究結果のバックアップをとることも、何を遺すこともできずに、塵のように死んでいった。


そこからはもう、何もできなかった。

逃げる場所も、もはやない。

他のシェルターと連絡をとる手段もない。

助けが来るのも、限りなく望みは薄かった。


汚染レベルが上がるにつれ、研究者達はどんどん倒れていった。

施設の全ての機能が停止しているのだ。

できるのは遺書のように、研究していた内容をペンで紙に書き遺そうとする作業だけ。


それも半ばで終わり。

彼女達の「研究」は、意味のない中途で破棄された「失敗」で終わろうとしていた。


おそらく、現在施設の中で「稼働している」存在は、彼女一人。

それも、あと数分の話だ。


脳内でアラートが鳴り続けている。

体組織の98%が汚染された。

崩壊を始めている。

ワクチンはない。

そして、彼女自身の「機械体」の予備電力も切れようとしていた。


もう、彼女は終わりを待つしか選択をすることが出来ない。


脳内AIの計算が無情に告げる「残り」の時間は、あと6分。

そう、あと6分で私は止まる。


それが「死」なのか。

それとも「停止」なのか。


何十、何百と、ここ数日で自問自答した想いがまた、脳の中を巡る。


もし、ただ自分が停止するだけだとしたら。

いつか誰かが自分を見つけて再起動してくれたら。


私は、また「私」を維持することができるのではないか。


そんな夢物語のようなことを思ったりもしていた。

残った時間で何をしているんだろう。

何をくだらないことを考えているんだろう。

自嘲気味に笑う。


違う。

私は「人間」だ。

「人間」なんだ。

機械ではない。


私は6分後には死亡して、何も無くなるんだ。

全ては無駄で、私は塵のように、いや、塵として無意味な生を終えるんだ。


だが、彼女はこうも思うのだ。

「そうであって欲しい」と。


体の8割を機械化改造している彼女は、法的にはもう、ヒトではない。

アンドロイドだ。


だからこそ。

だからこそ最期くらいは。

ヒトとして。

自分は、無力な人間であったと、そう思いたかった。


そうであって欲しかった。


残りの時間が減っていく。

戦争が起こってから、ずっと考えていた。

死ぬことは恐ろしいことなのだろうかと。


確かに恐ろしい。

そして、研究者として何も遺せず終わるのは、恐怖が過ぎた。


その未来を考えないようにしていて、しかしその未来がやってきてしまった。


しかし、死の淵に立って想うのは、死への恐怖ではなかった。

不思議だった。

死は何も恐ろしくなく。

彼女を脅かすものではなく。


最後に残った、ただひとつの「救済」だった。


せめて人間でありたかった。

しかし、それを確かめるすべはない。


自分はヒトとして死ぬのか。

機械として停止するのか。


恐ろしい。

機械に、アンドロイドになりたくなかった。

このままヒトとして、何も遺せず、何も変えられず、ただ苦しかった生を終えたい。

それがたとえ、意味を持たない事だったとしても。


だから、それでいいのだ。


死とは何だ、とは想った。

考えた。

しかしそれは彼女は体験したことがないものであったし。

何より、機能が全て止まって修復不能になると考えると、おのずとその事実と、向かう先の結論は想定できた。


それも怖い。

ただ、自分がアンドロイドに「なって」しまうことは、もっと怖かった。


残り時間が2分をきった。

120秒からカウントダウンが始まる。

脳内AIが数えるその時間。

命の尽きる時間。

そして、彼女が「裁定」されるまでの時間。


居もしない神のことを思う。

神の所へ逝きたくはないが。

どうか。

どうか、私がこのまま消えてしまえますように。


私はヒトで。

私はヒトであったという「事実」がありますように。


残時間が0を告げる寸前に彼女が思ったのは。

他のすべてをかなぐり棄てた、その、たったひとつの願いだった。



アンドロイド部隊がそのシェルターを発見したのは、施設の電力が完全停止してから二ヶ月以上が経過してからのことだった。


中に転がっている、かつてヒトだったモノをひとつひとつアンドロイド達がチェックしていく。


アンドロイドの一体が、転がっている小さな人型の機械体に近づく。

そして器具を接続して諸々をチェックしていく。


『その機械化人間の脳内データをサルベージはできそうか?』


近くのアンドロイドが問いかける。

機器を操作していたアンドロイドは、しばらくして軽く首を振った。


『汚染水で脳内メモリーが腐食している。修復は不可能だ』

『了解。引き続きサルベージを続けろ』


器具を外し、計測を続けていたアンドロイドが立ち上がる。


ピシャン……と、天井からの結露水が床に落ちる音がした。

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