第25篇 嗚呼

もう君は動かない。

どんなに強く抱きしめても。

どんなに強く揺さぶっても。

泣いても。

叫んでも。

君はもう、目を覚まさない。


力を失い、ただの血肉の塊となった君を、僕は見る。

こころなしか、君は軽かった。

いや、いつから軽かったのかは分からない。

昔からずっと軽かったのか。

それとも、先程スッと軽くなったのか。


いずれにせよ、君は死んだ。

無様に。

ボロ雑巾のように。

何の価値もない死を。

この戦場の片隅で迎えた。


君が死んで、何か変わるのだろうか。

この戦争は、終わるのだろうか。

しあわせな未来は、やってくるのだろうか。


何も変わらないのではないだろうか。

ふと、そんな事実が頭の中を回る。


君がいなくなった世界は、途端に色を失ったのに。

音もないのに。

空気が止まったようだ。

それなのに。


全てが灰色に見えた。

何もかもから全てが消えたのに。

そう、君は……。


僕のすべてだった筈なのに。



「戦争なんて終わらねえぇよ」


僕は軍用の缶詰を開け、中身を手づかみで口に押し込みながら言った。

塹壕の中では、僕らと同じような兵士達が同様に食事という名の「補給」をしている。


「じゃああなたには夢はないの?」


目の前の彼女にそう問いかけられ、僕はそれを鼻で笑った。


「夢?」


バカにしたように呟いて、彼女を見る。


「お前にはあるのかよ」

「あるよ」


泥と火薬、硝煙が染み付いて汚れた顔で、彼女は微笑んだ。


「戦争が終わったら、あなたと……ここじゃない遠くに行きたいな」

「へぇ」


興味はなかった。

缶詰の中身をまた口に押し込んで、咀嚼する。

ゴムのような味だ。

彼女がいつも話す夢物語と同じように、味気がない。


「遠くってどこだよ」

「ここじゃなければどこでもいいかな」

「どこでだって戦争をしてるよ」

「してないところがあるかもしれないじゃない」

「さてね」


軽くあしらって、空になった缶詰を脇に放る。


「早く食えよ。そろそろ進軍が始まる」

「あなたは、私と遠くに行くのは嫌?」


丸い瞳で見つめられ、僕は一瞬黙った。

すぐにその問いに答えることができなかったのだ。


産まれた時から戦争はあったし。

親なんてどこにもいなくて。

人並みに動けるようになったら戦闘訓練をされ、前線に出される。

僕達は、そういう存在だ。


遠くに行きたい。

彼女はいつもそう言う。

それが嫌なのではない。

彼女となら、行ってもいいかなとは思う。


だが。

遠くって何だ、といつも考えてしまうのだ。

そこで僕の思考は停止してしまう。

何も想像できない。

彼女の夢見る「何か」を、僕は理解することが出来ない。


いつも胸の奥が、針で刺したような不快感を発する。

気持ち悪い。

振り切りたくもなるが、その理由も分からない。


「……遠くに行って、どうするんだよ?」


少し沈黙した後、胸の痛みを飲み込んで呟く。

彼女はパァ、と笑った後、優しく微笑んで言った。


「あなたと二人で暮らすんだよ。戦争をせずに」

「どうやって暮らすんだよ」

「どうやって……? うーん……」


彼女はそう考え込んで、少し言葉を止めた。

そしてニッコリと笑って続ける。


「分かんない。でも、きっと何とかなるよ」

「…………」


答えずに、重火器の点検を始める。

いつもの会話。

いつもの流れ。


僕は彼女のことを嫌いではない。

戦闘能力は低いが、僕とバディで一定の戦果を上げている、生存能力の高いパートナーだ。


でも。

理解できないのだ。

想像ができないのだ。

遠くの世界。

「戦争」がない世界のことを。


「ねえ、何とかなるよね?」


彼女はいつもそう聞く。

僕は、それに対してこう返すのだ。


「ならないよ」



黒い雨が降っていた。

火薬と泥と、飛び散った内臓、肉片のえげつない死臭にまみれながら、僕は彼女を抱いていた。


もはや、僕達の軍隊が勝利したのか……。

それとも、「敵」が勝利したのか。

それさえも分からなかった。


どうでもよかった。


なぁ。

どうにもならなかっただろう?

戦争は終わらなかっただろう?

どんなに戦っても。

どんなに殺しても。

どんなに壊しても。

何も、何一つとして変わらなかっただろう?


僕の言った通りじゃないか。

変わらないんだよ。

何も。

どうして分からなかったんだ?


声に出して彼女を責めたかった。

どうして?

どうしてなんだ?


僕達なんて、機械のように生きて。

そして機械のように消費されて。

何の意味もない死を迎えるだけだろう。

君だって分かっていた筈だ。

理解していた筈だ。


なのに。

なのにどうして。


「遠くの世界がある」なんて、嘘をついて僕を苦しめるんだ。


そんなものはどこにもないよ。

そんなところには死んだって行けないよ。

何でそんなことを言うんだ。

君だってこうして。

こうして塵のように死んだじゃないか。


僕を置いて。


彼女を抱きしめたまま体を丸める。

遠くから戦車やアンドロイド部隊が近づいてくる音が聞こえる。


彼女の体は、もはや鼓動をしていない。

あんなに煩かった心臓はもう、動いていない。

柔らかかった体は硬直し。

言葉を発することもなく。

何をどうすることもなく。


彼女は、もう終わった。


その時。

戦場の真ん中で、僕は今更理解をした。

彼女は、嘘をついていた訳ではなかったのだ。


遠くに行けると思っていたのだ。

僕となら。

どこへだって行けると。

そう思ってくれていたのだ。


どうして。

どうしてそれを今更理解する?

理解したところで何が変わるわけでもないのに。

判ったところで、何がどうなるわけでもないのに。


彼女を強く抱きしめる。

そう、もう動かない。


「嗚呼……」


うめき声が、漏れた。

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