第24篇 600秒
黒い雨が降っていた。
ざぁざぁ、ざぁざぁと絶え間なく降り注ぐ雨。
それに体を打たれながら、彼は立ち上がった。
『戦闘プログラムを起動します。敵性反応確認。殲滅に移ります』
頭の中で「何か」が言っている。
次いで、近くの地面から火柱が上がった。
「彼」が発射した大口径の砲弾が戦場に着弾し、辺りに炎と榴弾を撒き散らす。
破壊される多数のアンドロイド部隊。
敵だ。
辺り一面の敵。
無尽蔵に湧いてくるそれらに向けて、「彼」は天をも衝く程の巨体を動かした。
『圧縮砲を使用します。チャンバー内正常加圧中。ライフリング、回転開始』
また頭の中で、知らない機械音声が勝手に喋っている。
ああ……何だっけ。
こういう時には、どうすればいいんだっけ。
『圧縮砲、発射します』
「彼」の腕に搭載されている巨大な火砲が真っ白い光を噴出した。
それは地面を削って爆炎を上げながら、敵の群れに突き刺さり、一瞬縮んだと思ったら一気に膨れ上がった。
ああ……そうだ。
俺は、確か戦争をしていて……。
沢山仲間を殺されて……。
白い火柱が天に突き刺さる。
辺りに猛烈な爆風が吹き荒れた。
アンドロイド兵士達が衝撃と風に吹き飛ばされ、ハリケーンのようになったそれに巻き込まれ、次々と爆発していく。
それから……。
どうなったんだっけ……。
おぼろげな視界には、クレーター状に抉れた、かつて「街」があった廃墟の様子が広がっていた。
頭の中の機械音声が無機質に現状のナビゲートを続ける。
『敵性反応、三十五%消失。圧縮砲、第二射のスタンバイを開始します』
◇
戦略兵器、とそれは呼ばれた。
一機で戦局を変えうるほどの戦力を有している、「兵器」だ。
そして、それは同時に「生きて」もいた。
複雑な駆動系を制御するバランサーの役目を、改造された人間の脳が担う。
複数装備されたヒトの脳で制御系を構築し、その三十メートル以上の大きさの「戦略兵器」を動かすのだ。
それが動くことの出来る時間は、600秒。
およそ12個の人間の脳を犠牲にして、戦略兵器は10分間だけ稼働する。
使用された脳は焼き切れ、「死」を迎える。
使われているのは、既に死亡した「死体」から採取、生体改造された脳だ。
つまり、死体のパーツの再利用。
誰しもそうとしか思っていなかった。
◇
足を踏み出す。
おぼろげな視界の中、蟻のように群がるアンドロイド兵士を踏み潰す。
爆炎、爆音。
『残存稼働時間、120秒です』
120秒。
それは何だろう。
勝手に動く体が、次々にアンドロイド達を駆逐していく。
既に何発も放たれた圧縮砲による攻撃で、周囲は焦土と化していた。
地獄。
目の前は確かに地獄だった。
何も望みはなかった。
そう。
「システム」として組み込まれただけの「彼」の脳は、その制御系の電圧を受け、一時的に自意識を回復しただけだった。
その筈だった。
不意に彼の脳裏に、花のように笑う少女の姿がうつった。
そして後ろから……もう覚えてはいないが、きっと、大切であっただろう女性が近づいてくる。
……そうだ。
妻と、娘だ。
また圧縮砲が放たれ、敵が吹き飛んでいく。
『敵対勢力、10%を切りました。残存稼働時間、100秒です』
俺は、もしかして。
妻と娘のところに帰らなければいけないのではないだろうか。
『エラー。制御系統20008にノイズが侵入しています。駆動系35%ダウン』
足を踏み出す。
ざぁざぁと黒い雨が降っている。
ここはどこだ。
俺は何をして。
何故ここにいて。
妻と、娘はどこだ。
『残存稼働時間、60秒を切りました』
腕が勝手に動き、圧縮砲を乱射する。
そして戦略兵器は、凄まじい勢いで地面を蹴り、アンドロイド達の基地へと突撃した。
『自爆プログラムを起動しました。当機体は30秒後に自爆します』
ああ、そうだ。
娘はこれから大きくなっていく筈だ。
まだ6歳だ。
妻には帰ると約束をした。
必ず、戦争を終わらせて帰ると。
だから……。
だから、俺は帰らなければいけないんだ。
『エラー。340098の回路がショートしました。動作不能。各関節のロックが解除されます』
俺は……。
ここから、家に帰らなければいけないんだよ。
『エラー。3599878の回路がショートしました。システムダウン。自爆プログラムが強制停止されます』
動きを止めた巨躯が、黒い雨の中……。
アンドロイド達の半壊した基地に覆いかぶさるようにしている。
その体がボロボロと崩れ始めた。
自爆をする前に、制御系統を担っていた脳が全てショートし、自壊を始めていたのだ。
崩れていく体をカメラアイ越しに見ながら、彼はぼんやりと思った。
ああ。
俺は、帰らなければいけないんだ。
妻と、娘のところへ。
俺を待つ二人のところへ。
ギギ……と、重低音を立てて戦略兵器の腕が動いた。
それが、どこともつかない前方の黒い空間を掴むように手を伸ばす。
帰りたい。
もう、それだけでいいから。
だから……。
『エラー。全ての制御ラインが切断されました。当機体は、システムをシャットアウトし……』
求められていたのは人間性ではなかった。
ただの、機械のパーツとしての役割だった。
ヒトはもはやヒトではなく。
望まれていたのは、最期の記憶ではなかった。
最期の希望ではなかった。
停止した戦略兵器に、生き残っていたアンドロイド兵士達の火器が集中砲火をかける。
爆発し、崩れていく兵器。
黒い雨はまだ止まない。
彼の意識はもはやそこにはなく。
どこにも、彼の意識やその願いの残滓はなく。
しかし、天を衝く巨人は。
崩れ落ちる最後の最後まで。
手を、前に伸ばしていたのだった。
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