第23篇 夢を見るのです

分からない。

何も分からなかった。

彼の言うことが、いつの日にか私には分からなくなっていた。


最初に聞いたのは、祝福の言葉だった。


「おめでとう。記憶の移植手術は成功のようだ。君の理論は正しいと、実証されたんだよ」


私は、目の前で笑う青年に向かって言った。


「あなたは、誰ですか?」



人体のアンドロイド化は、一部だけではなく。果てには人体全体をクローン培養した、より環境に適応できる「強い」生体機械の体への移植が進められていた。


骨格はいつしか金属へ。

関節は柔軟性のある有機軟骨へ。

思考性を高めるために、頭蓋内の空間を大きく取り、脳の成長の活性化を無理矢理に促す。


その体に、機械で抽出した「記憶」全てをそっくりそのまま流し込む。

いわば、人間の「コピー」だ。

通常のコピーと違うのは、コピー元になった人体は、抽出の過程で肉の塊になり、リサイクル不可の廃棄物と化してしまうことだった。


理論上は問題はないはずだった。

理論上は。


戦争で汚染された大気。

穢れた海、大地。

それら全てに適応していくためには、人間にはもっと強く、頑丈な「入れ物」が必要だったのだ。


「彼女」は、その研究の第一人者だった。

夫である男性と、複数の人員でチームを組み、戦争中に人体の機械化移植の研究を続けていた。


最初はラット。

徐々に霊長類に移植実験はランクアップしていき、最終的には人間のアンドロイド化は成功した。


成功した筈だった。


いつしか、記憶全てをダウンロードされた「移植先」でエラーが多発するようになった。

それは図らずも、彼女が自身を検体としてアンドロイドボディに記憶を移植してから発覚したことであり。

誰も、それを予兆することはできなかった。


移植先の体は問題なく動いた。

しかし、問題だったのは記憶だ。

記憶の継承が上手くいかない。

大概の検体が、しばらくすると記憶混濁を起こす。

酷い時には施術後一週間で全ての記憶を喪失してしまうこともある。


彼女が、それだった。



「あなたは、誰ですか?」


昨日も問いかけた気がする。

一昨日も、そのまた前も。

そう聞くと、彼は何とも言えないような辛そうな笑顔でこう答えるのだ。


「ハンスだ。ドクターと呼んでくれていい」


ハンスと名乗る男性は、いつも彼女の世話をする。

一日中投薬をされたり、人工血液を抜かれたりしている。

特にすることがない時は、白い合成リノリウムの床をただ見ていた。


何かをしなければいけない気がする。

しかし、それが思い出せない。

自分がどうしてここにいるのか分からない。

自分に何が出来るのかも分からない。


そうだ。

自分は一体、何なんだろう。


強化繊維で作られた人工皮膚の指で、同様の皮膚で形成された顔を触る。

部屋の隅に移動して、鏡を見る。

そこには、見知らぬ女性がいた。


……自分だ。


しばらく所在なさげに鏡を見ていたが、やがて彼女は息を吐いて、睡眠を摂るためにベッドに入った。



「エルナ、朝ごはんが出来たよ」


焼ける卵の匂い。

トーストが更に並べられていく。

ハンスがエプロン姿でテキパキと朝食を作ってくれているのだ。


私は、料理が苦手だった。

その他の家事も殆どをハンスがやっている。

しかしそれで揉めたことはないし、ハンスはそれでいいと言っていた。


寝起きのボサボサの髪で頭を掻いて、食卓につく。

トーストをかじりながら、エルナは言った。


「もうすぐ戦争がはじまるわ。そうしたら……私達どうなるのかしら」

「さぁな。俺達は軍の管轄だから、普通に国連軍に接収されるんじゃないかな」


どうでも良さそうにハンスは卵焼きをフォークでつついた。


「それよりも。昨日も夜遅くまで研究していたんだろう? 体を壊すぞ」

「でも、でもねハンス。昨日記憶野を切除して再構成したラットに、保存していた記憶をダウンロードしたら、拒絶反応は出なかったのよ! 成功よ!」


興奮気味に語るエルナに、ハンスはため息をついて続けた。


「……そう」

「何? もうちょっと喜んでくれてもいいんじゃない?」

「前にも言ったことがあるだろう。僕は、記憶の移植手術には反対なんだ」

「…………」

「生物の体は神様が造り出したものだ。僕達は、既に踏み込んではいけない領域に踏み込んでいる」

「またその話?」


コーヒーに口をつけて、エルナはハンスに向けてひらひらと手を振ってみせた。


「この技術が応用できて、人体まで移植できるようになれば、医療技術だって飛躍的に上がるわ。それは人類の進化であって、禁忌ではないよ」

「しかし……」

「大丈夫よ。もし、私が移植されたとしても、変わらないところをしっかり見せてあげるから!」



目を覚ました。

頭の奥にモヤがかかったように、何かが欠落している感覚がある。


夢を見ていたようだ。

いつも見る夢だ。


夢の中で自分は、男性と一緒にいる。

よく知っている男性だ。

おそらく、愛していたんだろう。


男性は優しい。

しかし、いつも悲しそうだ。

そして私は、その顔を思い出す事ができない。


顔だけではない。

声も、背丈も、においも。

何もかもがただの「薄れたデータ」として頭の中をたゆたっている。


名前も、分からない。


しかし彼はいたのだ。

確かに、以前……いつか、どこかで。

多分、自分は彼に会わなければいけない。

そして言わなければいけないんだ。


頭を抑えて頭痛に耐える。


そこで扉が開き、ハンスが入ってきた。

彼は計器類を棚に置くと、静かに笑いかけて、問いかけた。


「おはよう。気分はどうだい?」

「……あなたは、誰ですか?」

「ハンスだ。ドクターと呼んでくれればいい」


何でもないことのようにそう返し、彼は今日も彼女のバイタルをチェックし始める。

彼女は体のデータを測られながら、ベッドに横になった姿勢で呟くように言った。


「ドクター」

「何だい?」

「私には、名前があった気がするのです」


それを聞いたハンスは、一瞬だけ泣きそうに顔を歪めた。

そして彼女から顔をそらして、言う。


「君に名前はないよ。君は検体としてここで生まれた。君はそれ以上でも、それ以下でもない」

「でも、でもドクター。私、夢を見るんです」

「…………」


唾を飲み込んで言葉を止めたハンスを見て、彼女は続けた。


「私、夢の中に出てくる彼に会わなければいけない気がするんです。でも、それが誰だかどうしても思い出せなくて……」

「それは夢だよ」

「そう、夢です。でも多分、本当のことなんです」


意味の分からない言葉を口にし、彼女は目を背けたハンスに言った。


「私は、彼に沢山謝らなければいけない気がするんです」

「……謝る?」

「でも、それは『気がする』だけで、具体的には何も思い出せなくて……ドクター。私は異常なのでしょうか?」


だいぶ長いこと、ハンスは沈黙していた。

そして彼は立ち上がり、電子カルテに文字を書き込んでから、掠れた声で言った。


「私には夢のことはよく分からないけれど……」

「…………」

「その人はおそらく、謝られても困るだけじゃないかな」

「そうなのですか?」

「……多分、きっと、ね」


背中を向けて、彼は計器類を台車に乗せて、押しながら歩き出した。


「昼にまた来るよ……エルナ」


小さな声は、その「知らない名前」と共に空調に紛れるようにして、そして消えた。

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