第17篇 青い空

灰色の世界が広がる。

汚染された大地。

崩れ去った文明。

いつしか人は全てを忘れ、全てを失くした。


見ないふりをした。

記憶から焼却しようとした。

在りし日の繁栄を。

在りし日の幸せを。

その結果、弱く、生き残った人類(ヒト)が取った道は、限られていた。


ある者は地下深くで冷凍睡眠を行った。

戦争のない、浄化された世界で目覚めるために。


ある者はシェルターの奥に隠れ続けることを選んだ。

残存人類殲滅機構が動きを止めるまで、何世代も。


ある者は自らの体を機械と化した。

ヒトを排斥する存在と化すことで、自らの命を永らえさせた。


すべてが灰色だった。

大地も、空も、海も。

何もかもがうねりを上げて、何もかもをも飲み込んでいた。


ヒトは絶滅しなかった。

しぶとく、蟲のように生き残っていた。

そこに何の価値があるのか、何の意味があるのか。

それを、生きる人間達は既に知らなかった。



「今日も、空は青いの?」


少年は、少女にそう聞いた。

地下シェルターの奥、医務エリアの狭い病室だった。

少女はベッドの脇の椅子に腰を下ろしている。

少年はベッドに上半身を起こして、目を閉じたまま少女の方を向いた。


「うん、もうすぐ外に出られるよ」


少女は明るくそう言って、少年の手を握った。

そして強く握りしめながら続ける。


「だから、手術頑張って。一緒に青い空を見るんでしょう?」

「……そうだね」


少年は少しだけ寂しそうに笑うと、ゆっくりと目を開けた。

眼球に既に光はなく、瞳孔が異様な形になっている。。

完全に失明しているのだ。

それに、少年の顔色はまるで白いチョークを塗りたくったかのように真っ白だった。


「青い空かぁ……」


少年は見えない目を指でなぞるように触って、掠れた声で言った。


「手術に成功したら、見えるかな……」

「見えるよ。きっと。だから元気を出して」


少女は今日も、そう言って少年を励ます。

彼の体細胞は放射線の重度被爆により崩壊を始めている。

癌細胞も発達と転移を繰り返し、目は熱により焼けている。


戦争の、傷痕だった。


「また来るね。明日の手術、上手くいくように私祈ってる。ずっと、ずっと!」

「うん、ありがとう」


少年はやつれた顔でにっこりと笑ってみせた。



少年の手術が終了して、更なる治療のために離れた別のシェルターに搬送されたのは、その次の日のことだった。

時を同じくして、少女が住んでいたシェルターが、アンドロイドの残存人類掃討部隊に襲撃された。


銃弾が雨嵐と吹き荒れ、隔壁は破られ、シェルター内のヒトは根絶やしにされた。

そこには幼い少女も含まれており。

その死は、記録されることもなく、ただの「生体反応消失」の一つとして片付けられた。



目覚めた少年は、少女の死と、住んでいたシェルター内の家族の死を聞かされた。

意外なことに、包帯で巻かれた両目からは涙は出なかった。


体の衰弱もあったのかもしれない。

しかし、心のどこかで「自分達は、自分も含めていずれそうなる」……そんな達観した「理解」があったのだ。


心はキリキリと刺すように痛んだ。

もう、家族の声を聞くことはない。

もう、毎日励ましてくれた彼女の声を聞くことも、その体温を感じることもない。


「一緒に、青い空を見るって言ったじゃないか……」


彼に出来たのは、押し殺して掠れた声を、誰にともなく絞り出すことだけだった。

診察をしていた医師が、聞こえなかったのか聞き返す。


「ん? どうしたね?」

「……いえ、何でもないです」

「術後の経過は順調だよ。視力も、少しずつだが戻ってくる筈だ」

「先生」


少年は、空虚な声で医師に問いた。


「僕一人生き残っても、どうせみんな、アンドロイドに殺されてしまうんでしょう?」

「…………」


医師はすぐには答えなかった。

彼は少年の頭をポンポン、と撫でると優しく言った。


「そうかもしれないな……」

「…………」

「でも、私達は生きている。君も、辛い手術を乗り越えてまだ生きている。それは、とても大事なことだと思わないかい?」

「生きて……いる?」


少年は小さく笑って返した。


「生きてしまっている、の間違いじゃないですか?」

「いいや。生きているんだ。たとえ明日死んでしまう命だとしても、今日、私達は、君は、生きている。今、この時を生きているんだ。だから私達医師団は、たとえ明日アンドロイドが攻めてきたとしても、君を助けたことを後悔したりはしないよ」

「…………」

「そして、私達大人から、君達へのこれは、贖罪でもあるんだ」

「……贖罪……」

「身勝手かもしれないが……生きてくれ。君が、君自身が満足できるその時間を、時間いっぱい」


そう言って、医師は静かに部屋を出ていった。

少年は毛布の裾を掴んで、歯を噛み締めていた。


「勝手だ……みんな……」


押し殺した声は、悲痛な響きを含んでいた。



少年のシェルターは、運良くアンドロイド部隊の襲撃を逃れることが出来ていた。

みるみるうちに回復した少年は、目を包んでいた包帯を外し、松葉杖をついて歩いていた。

傍らの医師が、嬉しそうに口を開く。


「どうだい? ちゃんと見えるかい?」

「…………」


少年は周りを見回して、医師に目を留めた。


「はい……見えます。綺麗に」

「そうか……良かったな」

「先生、お願いがあるんです」


少年は息を吸って、そして医師に言った。


「外の様子を見れますか?」

「…………」


医師はすぐには返事をしなかった。

勿論、アンドロイド部隊の襲撃を察知するために、地表に設置された遠隔カメラの映像を見せることは可能だ。

しかし……。

今までの経過を知っていた医師は、言葉を詰まらせたのだ。


「…………」


黙り込んでいる彼に、少年は続けた。


「構いません。見せてください」

「……いいのかい?」

「いいんです。あの子も、そうした方が喜ぶと思うんです」


亡くなった少女のことを口に出した少年を、医師は管制室に連れて行った。

そして、係員に説明してコントローラーを操作する。

しばらくするといくつも重なったモニターの一つに、「外」の様子が映し出された。


それは、かつて「空」と呼ばれていたものだった。

砂嵐が吹き上がり、分厚く浮いている黒い雲は帯電してバチバチと雷を発している。

所々で黒い雨が豪雨となり、カメラの視界を汚していた。


「…………」


大人達は、その残酷な現実を見つめる少年を、無言で見守っていた。

やがて少年はモニターから目を離した。

その両目から、大粒の涙が零れ落ちる。


「ああ……」


小さく呻くように呟き、少年は両目を覆った。


「そうだね、青い空だね……」


掠れた声が、灰色のモニターを塗りつぶす。

大人達の中で、その時初めて少年は、声を上げて泣き。

そして顔を覆ったまま、その場に崩れ落ちたのだった。

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