第16篇 愛を詠む夜

大好きだよ、と貴方は云う。

満天の星空の下、貴方は私に笑顔でいつも云う。


いつか。

いつか戦争が終わったら。

この空の下で二人きりの結婚式を挙げよう。

だからそんな悲しい顔をしないで。

ほら、こっちにおいで。


貴方は手を伸ばす。

私は頷いてその手を取る。

この、明けない夜の中で、貴方はいつだって笑って私を抱きとめてくれる。


いつか。

いつか戦争が終わったら。


貴方は、いつだってそう云っているね。

でもね、私は知っているんだ。

貴方がどんなに笑っていようと。

貴方がどんなに私を強く抱きしめてくれていようと。


『そんな未来は永久に来ない』


ということを、知っているんだ。

戦争は終わらない。

何もかもが終わった時にはもう、既に全てが遅くて。

何もかもをが破滅した後であることを。


私は、知っているんだ。



「星詠みの力が弱まっています」


沢山の計器に囲まれた部屋で、防護服に身を包んだ研究者達が動いていた。

彼らは棺のような鉄の箱の前に立ち、多数のモニターに表示されている数字の羅列に目を落としていた。

それらが紙の束に次々にプリントされ、山と積まれていく。


「次の戦闘結果はまだ予言できんのか?」

「ダメです。エラーが多すぎます」

「シシドキシオンの投与を三倍に増やせ」

「しかし……それでは検体の体がもちません」

「構わん。結果を出さない星詠みシステムなどに意味はない」


淡々としたやり取り。

研究者達はしばらく議論をしていたが、やがて鉄の箱に近づき、ロックを外した。

空気の抜ける音がして、中に設置されている酸素カプセルのようなものがあらわになる。


その中には、拘束具に体中をギチギチに固定された小さな少女が横たわっていた。

意識はないのか、ゴーグルで何かの映像を見せられてヘッドフォンをつけられた状態で、半開きになった口からは涎を垂らしている。


研究者達は無機質に、痩せ細った少女のバイタルをチェックすると、その腕に大量に刺さった点滴の袋に、各種薬品を投与していった。

やがて少女がガクン、と体を揺らして小さく痙攣を始める。

それに伴ってモニターに表示されている文字列の動きも高速化した。


「予言、出力されます」

「凄い速度だ……全て記録しろ!」

「解析班を呼べ! すぐにだ!」


慌ただしく動き出す研究員達。

痙攣している少女は、カプセルの中で力なく横たわっていた。

やがて、鉄の棺桶がまたバタン、と音を立てて閉まる。

カプセルの中を暗闇が包んだ。



「私はね、知っているんだ」


貴方に、私は云った。

貴方は不思議そうな顔をして、私に返した。


「知っている? 一体何を?」

「この戦争の顛末も。私の最期も……貴方が、『何』であるのかも」


この話をするのは、何度目だろう。

もう、忘れてしまった。

いつも、これを聞いた貴方は悲しそうに返す。


「そう……知って、いるんだね」


私はそれきり、何も云えなくなる。

何も伝えられなくなる。

それを口に出してしまえば、きっと貴方は目の前から消えてしまう。

この「夢」も、「夜」も、終わりを告げてしまう。


貴方はいつも、両手で顔を覆って泣き出した私に近づき。

そっと抱きしめてくれる。

温かい。

柔らかい。

ヒトの感触。

産まれてから「一度も」感じたことがないそれが「本物なのか」どうか、私は知らない。


知りたくもない。


しかし、この日は違った。

私を抱きしめた貴方は、少しして掠れたような声で私に問いた。


「教えてくれないか……? 君が見た夢を。これから起こるであろうことを」

「…………」


咄嗟に言葉が出なかった。

そんなことを貴方から聞いたのは初めてのことだったし。

何より、それを話したら。

全てが終わってしまう。


貴方にもう、会えなくなるんだよ。


とめどなく涙を流しながら、私は貴方の服にしがみついた。

私の頭を撫でながら、貴方は掠れた声で続けた。


「最期くらい、いいじゃないか? 君の見た夢の話を聞きたいんだ。同じ夢を見よう」

「…………」

「プログラムの僕にも、君の話を聞くことは出来るんだよ」


最期。

分かっていた。


今日が、貴方と逢える最期の日だということは。


ずっと、ずっと前から分かっていた。

判っていた。


でもそれを考えることが出来なかった。

それを思い出すことが出来なかった。

だから、見ないふりをした。

気づかないふりをした。

思わない、判っていないふりをした。


「……嫌だよ……」


私は貴方の服を強く、強く握って言葉を絞り出した。


「もう貴方と逢えなくなるなんて、そんなの嫌だよ……」

「…………」

「今までずっと一緒に居てくれた。これからも一緒に居てくれないの……?」

「残念だけど、それは無理なんだ。僕も、君も。もうじき全ての機能を『停止』する。だから……」

「…………」

「最期くらい、好きな話をしよう。君の真実の言葉を、聞きたいんだ。僕は……」

「…………」

「君のことが、好きなんだから」


その真偽は分からなかった。

しかし私は、溢れる涙を貴方に押し付けながら、小さな声で語り始めた。


この戦争が、どうなるのか。

誰が何を引き起こし、何が何を誘発し。

そして何が起こって。


全てが死滅するのか。

全てが崩壊するのか。


その「事実」を私は吐き出していた。

今迄胸の奥に溜め込んでいた全てを、私は貴方にぶつけていた。

貴方は、静かに私の言葉を聞いていた。

そして、全てを語り終わった私の頭を優しく撫でてくれた。


「よく頑張ったね。よく耐えたね。ありがとう……」

「…………」


貴方はそっと、私の唇に自分の唇を合わせた。

優しい感触。

初めてのキス。

そして、最期のキス。

それはどうしようもなく優しくて。

どうしようもなく残酷な味だった。


口を離して、私は貴方と向き合った。

見知った貴方の姿は、ノイズのようなモザイクがところどころ浮き上がり、歪み始めていた。

周囲の満天の星空も、ドロドロと溶け始めている。


泣き笑いのような顔で、私は貴方と向き合っていた。

私達は、確かにか愛し合っている。

それがプログラムによるものだとしても。

それが、作られた電子世界の中の出来事だとしても。


私達は愛し合っているんだ。


それは神様にさえも推し量ることが出来ないエラーであり。

神様にさえも否定することが出来ない、存在の証明。

崩壊していく「世界」の中で、私達は最期の時間をゆっくりと共有していた。


「お別れだね」


貴方は微笑んで、そう云った。

私も微笑んで、涙を流す。


知っていた。

知っていたんだ。

この日が、いつ来るかも。

この後、私がどうなるかも。

これから、私達がいない世界がどのような末路を辿っていくのかも。


何もかも、私は知っていたよ。


私が何をさせられているのかも。

ここが何なのかも。

貴方が何なのかも。


私が「何」なのかも。


全て知っている。

だって、私はそれを「予見」して「予言」するために創られた生体システムであり。

機械の一部でしかないんだから。

私には人間(ヒト)としての尊厳はなく。

それを赦されることもなく。


全てに見放されて、壊れたパーツとして捨てられようとしている。


ああ。

ああ、神様。

それでもいいんです。

でも。

でも、最期に一つだけお願いを聞いてくれませんか。


私は、モザイクにまみれて消えていく貴方に微笑んで、口を開いた。


どうか。

どうか。

この言葉が、彼に届きますように。


「私も、貴方のことが大好きだよ」


と。

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