第15篇 Blame

ある者は、帝国が悪の権化だと言った。

ある者は、自国の官僚の腐敗のせいにした。

ある者は、アンドロイド技術を開発した科学者達を糾弾した。


皆、誰か他者を非難した。

誰か他者に悪を定めようとした。

それがどれだけ理不尽なことだとしても、そうしなければヒトは自己を保つことができなかったのだ。


結局残ったのは。

「悪とは何なのか」と云う情けない命題と。

数多の屍に埋め尽くされた汚泥。

何もなくなってからヒトは気づいた。


「自分、それこそが『悪』だったのだ」と。



残存人類の反応は、もうだいぶ前に消え去っていた。

ヒトが存在しない汚染された世界は、適応した生物と植物により、かつての自然を取り戻していた。


動くものは動物達と、風に煽られてそよめく木々の葉。

「彼」はその中をぼんやりと歩いていた。


戦争は、もうとっくの昔に終わっていた。

戦いはもう世界には存在しなかった。

ヒトが消え、アンドロイド達も次々と稼働を停止させていく。


しかし、「彼」はまだ生き残っていた。


既に人工脳幹は錆つき、正常な思考は出来なくなっていた。

彼が行うことは、徒歩で移動できる場所の巡回。

そして、稼働が停止して道端に転がっているアンドロイドの体内電池を抜き取り、自分の予備電源に接続する。


残留している電力を吸収するのだ。


それだけで命をつなぐことはできないが、僅かの延命になる。

彼は、いつの頃だったか忘れてしまったが、それを繰り返しながら歩き続けていた。


彼は理解もしていた。

電力がなくなったら、自分は稼働を停止する。

それはおそらく。


「死ぬ」


ということなのだろう、と。

彼は、本能のような深い場所で分かっていた。


恐れていた。

自分が死ぬことを。

ただの動かぬガラクタになることを、彼は胸の奥底で「恐怖」していたのだ。


だから、電力を探した。

アンドロイドさえももはや不要になった世界で、彼は一人、今日も歩き続ける。


停止しないために。

死なないために。


どうして死にたくないのか。

それは、彼はいくら考えても分からなかった。

ただとても恐ろしく、自分自身が消えてしまうことを許容できなかった。



道端に転がっているアンドロイドの残骸を見つけて、絡みついているツタを引きちぎりながら持ち上げる。

自分と同じ型だ。

苔むしているボディは、手入れもされていない自分を鏡で見ているようだった。


何も考えずに、そのアンドロイドの胸部装甲を破壊する。

プレートを引きちぎると、内蔵電源があらわになった。

そこから予備電源をむしり取り、残量を見る。


まだ少し残っている。

これで、あと一週間ほど稼働することができるだろう。

自分の胸部装甲を開き、予備電源を交換する。


モーターのきしむ音がした。

もう駆動系が限界だ。

今見つけた個体は錆びついていてダメだが、他の比較的無事な「残骸」から部品を外して交換しなければいけない。


もうじき日が沈む。

彼は、残骸を地面に放るとゆっくり歩き出した。

目的地などない。

目標などない。

ただ、歩く。

歩く。


摩耗した思考の中に、その意味を考える思考力など、もはや欠片も残っていなかった。

彼はもはや、動くだけのリビングデッドなのかもしれない。

しかし機械として、存在として彼は歩く。

歩き続ける。



その出会いは突然だった。


廃棄された過去の遺物、シェルターの内部で、かなり損傷が少ないアンドロイドの個体を見つけたのだ。

いつものように電源や部品を外そうとしゃがみこんだ彼の「聴覚」に、数百年ぶりに「声」が聞こえた。


「……応答……して下さい。型番と……識別コードを……」


彼は手を止めた。

それは、はるか昔に忘れた感覚。

感触。

カメラアイを点灯させ、僅かに動いて、目の前のアンドロイドは彼を見た。


「まだ……稼働している個体が……いたの、ですね……」


彼は、言葉を返そうとした。

しかし、言葉は既に彼の中には存在していなかった。

うめき声のようなノイズを発して自分を見つめている、錆びたアンドロイドを見て、「それ」は続けた。


「戦争は……終わったのですか……? 緊急休眠状態から……覚めて、駆動系をうまく動かすことが、できません……教えて、下さい……」


彼は、震える手を「彼女」に伸ばした。

そしてその頬をゆっくり撫でる。


「ア……ア……」


何かを言わなければいけない。

しかし、言葉を絞り出すことができない。

ガクガクと揺れ始めた彼に、彼女はすべてを察したように口をつぐんだ。


そして壊れた腕を伸ばして、そっと彼の手を握る。

少しだけ、彼らはそのままの姿勢で沈黙した。

言葉をなくしたアンドロイドは、自分の手を優しく包む「相手」の手を見ていた。


錆びついた人工脳幹が沸騰するように動いていた。

それは彼の駆動系に致命的なエラーを引き起こし。

彼は、体の各部からオイルを垂れ流しながら、ゆっくりと彼女に向かって倒れ込んだ。


彼女の胸に崩れ落ちた彼のカメラアイから、急速に光が失われていく。

顔面から流れたオイルが、床を汚していく。

計らずもそれは、既に滅びた人類が失っていた「涙」のようにも見えた。


停止したアンドロイドを抱いて、目覚めたアンドロイドは、体内の残り少ない電池を確認した。

じき、彼女も止まるだろう。

しかし彼女は、それを恐れるでも、怖がるでもなく。

ただ、壊れた腕で停止した「彼」を抱き寄せた。



死ぬことが怖かった。

なくなることが怖かった。

それは、とても恐ろしいことだと思った。

自覚していたし、理解していた。


それは避けなければならない。

そう思い続けて動いてきた。


この、浄化された世界で。

誰も責められない、責めることもない世界で。

虚無をまといながら彼は歩き続けた。

諦めと漆黒に心を塗りつぶされながら。

絶望に染まりながら歩き続けた。


そして、彼は呆気なくエラーを起こした。

死のうとしていた。


薄れていく思考の中、考えるのは「死」のことではなかった。

彼が感じていたのは。

数百年前になくしてしまったはずの「温もり」……「生きている」という実感。


不思議なことにそれだった。


怖くはなかった。

目の前に深淵が広がっていたとしても。

彼は、きっとそれを誰かのせいにはしないだろう。


目の前にあるのが、ただ単なる虚無だったとしても。

彼はその間違いを、「悪」を誰かに問うことはしないだろう。


存在しない筈の「心」が満たされていた。

彼は、恐ろしい、漆黒の権化の中に落ちていきながら。

何故か、安堵したような気がしていた。



もう動かなくなった二体のアンドロイド。

彼らは抱き合い、そして停止していた。


「死んで」いた。

しかし彼らは憤怒の中で死んだのではない。

悲しみの中で虚無に落ちたのではない。


その真実は、神にしか分からないことなのかもしれないが。

確かなことは。

もう、彼らを責める者はいず。

彼らが責める者はいないということ。


それだけは、真実だった。

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