第13篇 もう一度だけ笑って

その人は、私を「娘」と認識した。

「娘」の名前を私につけ、呼んだ。

私には、彼の言葉は理解が出来なかった。

常軌を逸し、道理を外れた科学者の為すことだ。

アンドロイドである私の人工脳幹では、彼の「心」の理解を為す性能は発揮できなかった。



帝国が戦争に敗れてから、数年が経過していた。

僅かに生き残った帝国民は、残党として他国のアンドロイド兵士に狩られる運命にあった。

そんな中、帝国でその天才的な知能で非人道な人体実験を繰り返し続けていた科学者が一人、消えた。


アイン・フォン・ラインシュタインという名の男だった。

正確な資料は残っていない。

まるで最初から「存在していなかった」かのように、男は名前の残滓だけを残し、消えた。


帝国が完全に制圧され、多数の科学者が捕らえられ、処刑された。

その中に、ラインシュタインの名前はなかった。



地下五百メートルの深部にある閉鎖施設に、男はいた。

男にとっては、もはや帝国の行く末などたいした問題ではなかった。

自分が為した数々の非人道な人体実験も、犠牲にした人間達も、死んだ兵士も、仲間の科学者達も。


男にとっては、今はもう「些事」、それだけだった。


彼は一つの研究に打ち込んでいた。

通常、アンドロイドは人間の生体パーツを使って作成される。

電子回路と生体回路を繋げたもの。

それで動くものを、ヒトは「アンドロイド」と呼ぶ。


通常は「生きている」生体回路を使用して、アンドロイドを作成する。

しかし、男が閉鎖施設で狂ったように、たった一人で研究を続けていたのは「死亡した」人間の生体パーツからのアンドロイドの組み立てだった。


使用を考えていた脳組織は半ば崩壊して、腐敗していた。

もはや生体パーツとして使える状態ではなかった。

しかし彼は、その中から生前の、その人物の「記憶」をサルベージし、新しいアンドロイドに移し替える研究をしていた。


誰から見ても狂っている、合理性に欠ける研究だった。

事実、彼は狂っていた。

食事もろくに取らず、何日も寝ないで作業を繰り返して倒れる事もあった。


しかし。

彼は、心底楽しそうだった。

満ち足りた顔で研究を続ける彼の顔には、子供のような純然たる興味に溢れた、純真さも見て取れた。


記憶のサルベージは困難を極めた。

もう既に腐敗している脳組織だ。

更に時間が経てば鮮度が落ちていき、サルベージの確率も下がる。


彼が、閉鎖施設に逃げ込む前に浴びた放射能による被爆症状が如実に出始めた頃。

やっと、動作するアンドロイドが組み上がった。



「おはよう、アリス。気分はどうだい?」


彼はそう言った。

アリスと呼ばれたアンドロイド……。

白銀の髪に、人工皮膚で顔面と体を形作られ、本物の人間のように構築された「それ」は、体から僅かにモーターの音をさせながら、彼の方を向いた。


「……おはようございます。私の型番はG67号です。現在、駆動に特に支障はございません」


少女の声だった。

そう、そのアンドロイドは十三、四歳程の少女の姿に形成されていたのだ。

言われなければアンドロイドだとは分からないだろう。

それほど精巧に作り込まれていた。


彼女の声を聞いた彼は、嬉しそうに、やつれた顔をほころばせて手を伸ばした。


「アリス。さ……父さんの手を握ってくれ」


アリスと呼ばれたアンドロイドは、手を伸ばして、要求されるがままに男が差し出した右手を、機械の両手で包み込んだ。

そして優しく握り込む。


「これでよろしいですか?」


問いかけると、彼は頷いて言った。


「ああ……ありがとう、アリス」

「私はG67号です。アリスという個体ではありません」

「それでもお前はアリスなんだ。私にとって。そういうことに、しておいてくれないか?」


理解が出来なかった。

すがるように自分の手を握りしめる男性。

彼の言うことが、人工脳幹の中で処理をしきれなかった。


「……かしこまりました」


しばらく沈黙して、彼女はそう返す。

それが、きまって毎朝のことだった。



彼の要求は、簡単で、どうでもいいようなことだった。

手を握って欲しい。

隣に腰掛けて欲しい。

脇に横たわって欲しい。


そして決まって、G67号の手を強く握り、祈るように目を閉じるのだ。

そのまま眠ってしまうこともあった。

彼女には、彼が何を求めているのかが分からなかった。

ただ、自分に触れている間の彼はどこか優しく、安堵しているかのような雰囲気を受けた。


だから何も言わなかった。

彼女にプログラムされていたのは、彼の精神状態を正常に保つための医療プログラムだったからだ。

必要があれば看護し、薬を調合したりもする。

彼の延命が自分の存在意義だと思っていたし、それが「仕事」だとも理解はしていた。


彼は、もう長くはなかった、

放射線被曝により、体組織の崩壊が進んでいた。

それはやがて脳組織に達する。

投薬では治療は、もう出来ないステージにまで到達している。


それは彼自信も理解をしていたことだし、彼女も彼にそれを告げていた。

一日の定期診察の時に、カウントダウンのようにおおよその余命を告げられる彼は。

そのたびに、はにかんだように笑って言った。


「手を握ってくれないか」


と。



終わりは、呆気なくやってきた。

廊下で吐血し、血液を撒き散らして倒れている彼を発見した時にはもう遅かった。

慌てて近づき、抱きあげる。

チアノーゼが起こっていた。

もう長くはない。


口の周りを血で汚しながら、彼は寂しそうに笑った。

そしてG67号の頬を、痩せこけた手で撫でて口を開く。


「アリス……俺は、もう死ぬのだろうか……

「……危険な状態です。医務室にお連れします」

「いいんだ。なぁ、そのまま俺を強く抱きしめてくれないか……?」


要求されるままに、彼の体を抱きしめる。

瀕死の科学者は、アンドロイドの体を強く抱きしめ返し、掠れた声で続けた。


「アリス……父さんは、いい人間ではなかった。悪魔だった……沢山のヒトを実験台にしたよ。そして最後は……」

「…………」

「お前も、実験に使った……」


男はやつれた顔で、自嘲気味に笑っていた。


「地獄に堕ちるだろうな……いいんだ。もう……全て。このまま地獄に堕としてくれ……」


そこで、彼は顔を上げてハッとした。

アンドロイドの顔をしばらく見つめ、唇を噛んで、わななく手で彼女の肩を掴む。


「どうして……どうして、そんな悲しそうな顔をするんだ……? アリス……お前は、私が憎かったのではないのか……?」

「…………」

「お前の声が聞きたかった……私を憎んでいる、その一言が聞ければ、拒絶の態度が一滴でも見れれば、この腐った世界を蹴って、地獄に逝ける気がした……でも……」

「…………」

「ああ、アリス……そんな目で私を見ないでくれ……どうせなら……どうせなら」


狂気の科学者は、両目から涙を溢れ出させながら、少女を見上げた。

すがるように、彼は掠れた声で言った。


「もう一度だけ、笑ってくれ……」



息絶えた科学者を抱き上げ、G67号は立ち上がった。

彼が死亡した際には、その遺体を完全に焼却炉で消去。

その後、自分も焼却炉に入り、全てのデータをロストさせる。

そうプログラムされていたからだった。


アンドロイドの少女は、既に亡くなった男を、立ったまましばらく見下ろしていた。

その死に顔は穏やかで、満ち足りているように見えた。

あくまで。

主観的に、だが。


「私に表情を与えなかったのは、あなたではないですか……」


歩き出して、寂しそうに少女はそう言った。


「ねえ、父さん……」

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