第11篇 ハレルヤ

かつて繁栄していた存在があった。

それは「人類」と呼ばれる不完全な「害獣」だった。

人類は多数の環境を壊し、大地を、海を汚し。

結果として自滅して数を減らしていった。


人類は戦争をしていた。

もはや何と戦っているのさえ、誰も判らなかった。

最期には人類は「敵」に反撃する力さえも失い。

戦争は、終わった。


終わった筈だった。



白い錠剤があった。

それは「ハレルヤ」と呼ばれていた。

生き残った人間……「残存人類」と揶揄される彼らは、一日三回、ハレルヤを服用する。

その薬は、脳内のアドレナリンを過剰に活性化させ、ニューロンの働きの限界値を解放する。


ヒトの脳は、普段、使用可能領域をおよそ三十%程に限定しているらしい。

ハレルヤは、脳を過剰に動かすことで、残りの七十%の働きを促す。

それによりヒトはヒトならざる動きをすることが可能になり、まだ、戦うことができるのだ。


だが、残存人類が切り札として使用したハレルヤは、同時に劇薬でもあった。

使用すればするほど、脳の動きは制御を離れ、次第に「発狂」していく。

現実も判らなくなり、残るのは大量の多幸感と、ハレルヤへの依存性だけ。

つまり、飲み続ければいずれは屍に近い廃人となる。

そんな「薬」だった。



「薬の時間だ」


そう言って彼は、ピルケースから白い錠剤を出して口に入れた。

そしてガリガリと噛み砕く。

彼は、傍らでピルケースを持ったまま固まっている少女に向けて口を開いた。


「どうした? 早くハレルヤを飲むんだ。あと一時間後には、敵の部隊と接敵する」

「ねぇ……」


少女は軽く笑って彼に言った。


「私達、勝てるのかな」


問いかけられた青年は、それを聞いてしばらく黙っていた。

軍用施設のシェルター内。

彼らは動きやすいように全身を覆う防弾スーツを着ている。


二人は、このシェルターを守る兵士だった。

ハレルヤには適性がある。

脳内活動を活性化させる事ができるのは、人類全員ではない。

極々一部だ。


シェルターに複数配置されていた「兵士」も徐々に数を減らし、彼ら二人だけとなっている。

青年は小さく笑うと、少女の肩を優しく叩いた。


「大丈夫だ。何があろうと、お前は俺が守る。約束しただろ?」

「そういう事を言っているんじゃないよ……」


少女は表情を落として、掠れた声で続けた。


「いくら壊しても、アンドロイドにキリはないよ。私達だって、もうどれだけ保(も)つのか分からない……」

「…………」

「怖いんだ。この薬を飲むのが」


少女はそう言って、ピルケースを握りしめて泣き笑いのような顔で青年を見た。


「ハレルヤを飲むと、凄く強くなれる。しあわせな気持ちになれる。何でも出来る気がする。でも、薬が切れると全て嘘。私達はゆっくりと追い詰められて、もうじき滅びようとしてる」

「……そうだな」

「ねえ、教えて。何が本当で、何が嘘なのかな……目の前の敵を倒しても、倒しても。それって多分意味がないんだよ」

「…………」

「だって、私達は……」


少女がそう言った途端、けたたましいサイレンの音が鳴り響いた。

「敵」がシェルターの内部に侵入したことを示す警告だった。

青年は少女に、押し殺した声で言った。


「早くハレルヤを飲め。でなければ、俺も、お前も……シェルターの市民も、皆殺しだ」


少女は歯を噛み締めて、震える手で白い錠剤を口に入れて噛み砕いた。

そして青年と走り出す。

彼らの脚力は常人とは思えない力を発しており、防護服に仕込まれた強化筋肉の助けもあり、凄まじい速度で移動していた。


やがて、熱放射で破られた隔壁から、戦闘用のアンドロイドが、四足の蜘蛛を連想とさせる動きでなだれ込んでくる現場に到着する。

青年は歯を噛むと、銀色のマネキン人形のようなそれらに向けて右手を広げた。


途端、彼の両目が真っ赤に充血し、鼻から鼻血が流れ出す。

飛びかかろうとしていたアンドロイド兵士が数体、空中で「静止」した。

そのまま何か強力な力で圧縮されるように、バキバキと音を立てながら砕けていく。

サイコキネシス、念動力と呼ばれる空間圧縮の力だ。


少女はすり抜けて襲いかかってきたアンドロイド兵士の頭に、固めた拳を繰り出した。

華奢な腕は凄まじい速さで空を切ると、合金の機械の頭を粉々に吹き飛ばした。

そして体を反転させ、蹴りで正確にアンドロイドの頭を潰していく。


後から後から、敵は溢れてきた。

無尽蔵に続くかと思われた襲撃は、数時間後、唐突に途切れた。

荒く息をつきながら、アンドロイド達の残骸の中、青年と少女が膝をついて崩れ落ちる。


「終わっ……た……?」


少女が呟くと、青年はピルケースを取り出して呻くように言った。


「……まだだ」


青年がハレルヤを口に複数入れて噛み砕いたのと、隔壁を貫いて巨大な爪のようなものが飛び出してきたのは、ほぼ同時のことだった。

地下道を埋め尽くす勢いで現れたのは、人型ではなく、蜘蛛のような形をした「制圧戦」に使用されるアンドロイドだった。


「嘘でしょ……」


全長五メートルはある巨大な「それ」を前にして、少女がペタリと尻餅をつく。

青年は制圧機に向けて手を伸ばして、歯を砕けんばかりに噛み締めた。

巨大な蜘蛛のようなそれが、何か見えない力に押されるように後退をしていく。


「逃げろ……!」


彼は、押し殺した声で叫んだ。


「俺が、まだ生きているうちに! シェルターの人全員を連れて、もっと奥まで逃げるんだ!」


少女が青くなって声を張り上げる。


「そんなこと出来ないよ……! だって!」

「約束しただろ。絶対にお前は、俺が守るって……」


振り返って、青年はニッコリと笑った。


「約束は、守るよ」



青年は、もう二度と戻ってこなかった。

残った市民を連れて別のシェルターに避難した少女が


『彼は死んだ』


と悟るまでに、そう時間はかからなかった。

それは絶対的な事実であり。

状況から見ても、彼がアンドロイド達に蹂躙されて殺されたのは、明らかなことだった。


その日から、少女のハレルヤの服薬量は増えていった。

何かに怯えるように。

まるで、現実から目をそらすかのように。

彼女は薬を大量に摂取し始めた。


追撃のアンドロイド部隊が、逃走先のシェルターを発見した頃。

少女は一人、市民を逃がすために通路の真ん中に立っていた。

そしてピルケースから大量のハレルヤを取り出して、口に開ける。

それを噛み砕いて、彼女は小さく笑った。


「ねぇ、覚えてる?」


誰ともない虚空に語りかけながら、彼女は熱波で破られかけている隔壁を見た。


「あなたは、いつだって私の前に立っていたね。そんなに能力も強くないのに、いつも私を守ってくれてた」


音を立てて隔壁が破られる。

多数のアンドロイド達が雪崩こんでくる。

少女はそれをぼんやりと見ながら、誰も居ない虚空に向けて笑った。


「沢山薬飲んでみたんだ……ハレルヤを飲めばしあわせな気分になれるから。あなたのことを、忘れられるような気がしたから……私、沢山薬を飲んだよ……」


アンドロイドが眼前に迫っていた。

少女はそんな中、シェルター通路の天井を見上げ、一筋だけ、涙を流した。


「でもね。いくら薬を飲んでも。もう、あなたはいない。私はもう、しあわせじゃないんだ」


アンドロイドの群れが、少女に飛びかかる。

最期の視線はもはや、それらを見つめてはいなかった。



人類が対アンドロイドへの切り札として開発した劇薬、「ハレルヤ」は、いずれは使用する人間を壊してしまう。

臨床実験もせずに現場に実装されたそれは、数々の悲劇を生んだ。


そして、何の力にもならなかった。


薬による多幸感は、兵士の力にはならない。

その事実に人類が気づいた時には、もう事態は終息しかけていた。


戦争は終わる。

人にとっての戦争は。

「敗北」という形で。

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