第10篇 聞こえますか
おはよう。
私です。
多分、これが最後の通信になります。
私は、これから冷凍睡眠に入ることになりました。
もう、あなたにメッセージを送ることはできません。
私達は戦争に敗けました。
多数のジェノサイドロンが暴走して、私達「人間」を虐殺し始めました。
帝国は瞬く間に滅び、私達の国も、生き残った僅かの人間が冷凍睡眠の準備を進めています。
ジャノサイドロン達、アンドロイドに勝つ方法はありません。
半永久的に動作を続けるあれらが、いつか全て動きを止め、汚染された環境が元に戻るまで、私達は地下に身を潜めることになりました。
だから、さようなら。
もう、あなたに会うことも、話すこともできません。
私からのせめてもの贈り物として、ジェノサイドロン達の解析データを、また添付します。
それを参考に、どうか……。
どうか、逃げてください。
戦場から離れて、逃げてください。
長く通信を送ると逆探知されてしまいます。
もう、切りますね……。
最後に、一言だけ。
私は、あなたを愛していました。
あなたに会えて、本当に良かった。
さようなら。
◇
戦争は、使用されていたアンドロイド達の暴走で終結した。
自我を持ち、人間に反旗を翻したそれらが、圧倒的戦力で「ヒト」を破壊し始めてから僅か数週間で、人間の数は滅亡寸前まで激減していた。
少女は、戦場オペレーターだった。
多数の兵士達に戦場の情報を伝達する立場だ。
そんな中、いつしか、彼女の恋人の兵士との連絡が取れなくなった。
戦況がそれだけ悪化したのか。
それとも、戦いの中で命を落としてしまったのか。
それさえも明確な確認は取れなかった。
少女は毎朝、彼に通信を送った。
しかし返ってくるのは無機質なノイズだけ。
いつしか少女の精神は摩耗し、暗く狭い地下シェルターの中での生活は、彼女の心を削り取っていた。
そんな中だった。
生き残った人類それぞれに、冷凍睡眠の命令が下されたのは。
少しでも「ヒト」という種の可能性を繋ぐため、人間は隠れることを選択した。
冷凍睡眠で百年……二百年。
もしくはそれ以上の年月睡眠につく。
そして、安全になった世界でまた生きる。
それ以上の策はもう、残されていなかった。
◇
少女はカプセル型の冷凍睡眠装置の前で、停止していた。
この、少女に割り振られた地下シェルターには、他に人の気配はない。
少しでも個々の生存率を上げるため、それぞれのシェルターが離れているのだ。
カチ、コチ、と壁の時計が時間を刻む音が部屋の中に反響する。
もう、冷凍睡眠に入らなければいけない。
それに入ったとして、アンドロイドに発見されて殺される確率も高い。
博打のようなものだった。
手が震えていた。
握りしめ、唇を噛み締め。
少女は通信機器を見つめていた。
分かっていた。
もう、とっくの昔に分かっていたことだったのだ。
彼は死んだ。
戦場で既に、命を落としている。
生き残ってしまったのだ。
自分だけ、無様に。
分かっていた。
そんなことは、誰に言われなくても分かっていたことだ。
しかし彼女は、彼に通信を送り続けた。
もし生きていたら。
もし、どこかに隠れていたら。
必ず返事をくれるはずだ。
そう、信じて。
でもそれもこれで終わり。
冷凍睡眠に入ってしまえば、その可能性さえもゼロになる。
もう二度と、再会はできない。
それは彼女にとって、彼の死を受け入れなければいけないという残酷すぎる事実であり。
何もかもの希望を失くして、全て虚無の中に捨てるということに等しかった。
「もう、会えないんだね……」
無機質にノイズを発するだけになった通信機器に向かってポツリと呟く。
その大きな両目から、ボロボロと涙が溢れ出した。
「あなたがいない世界に行って、意味ってあるのかな」
誰も、その問いには答えない。
壁の時計がカチ、コチ、と時間だけを刻んでいる。
彼女は今はもう、只一人だった。
圧倒的な孤独の中、一人嗚咽を漏らす。
机の上に置いてあった小さなナイフを手に取る。
その刃は光を反射して鈍く光っていた。
「いつか、必ず通信をくれるって。そう信じてた。でも……分かってたんだ。あなたがもういないってこと。そんなことはね、とっくの昔に分かってた……」
無機質な通信機器に語りかけながら、彼女はノイズしか表示されていないモニターに向けて小さく笑った。
「私は、冷凍睡眠には入らないよ」
小さな声だったが、それは決意をはらんでいた。
彼女はナイフを持って、震える手でそれを自分の手首に当てた。
「どうせ行くなら、あなたのところに行きたいな……あなたがいる可能性がゼロの世界で目覚めても、私は多分幸せじゃないよ。だから、あなたのところに逝こうと思うんだ」
その時だった。
ザザ……という電波音と共に、かすかな声が通信機器から入った。
『聞こえるか……? こちら、第十五番小隊、タグナンバー3680だ……』
カラン、とナイフが床に落ちた。
しばらく呆然としていた少女は、聞き覚えのある声にかじりつくように通信機器を操作した。
「聞こえますか? 聞こえますか! こちら、管制官です。返事をしてください!」
もはや、それは悲鳴だった。
彼女の声がマイクに吸い込まれていき、やがて安心したような声が返ってきた。
『……生きてたんだな。良かった』
「あなたこそ……」
両目から涙が盛り上がる。
『君のいる場所からはだいぶ遠いと思うが、地下シェルターに避難することができた。君の送り続けてくれたデータのおかげだ』
「うん……うん……」
何度も頷く彼女に、彼は続けた。
『俺はこれから冷凍睡眠に入る。君も、そうなんだろう?』
「…………」
黙り込んで、彼女は床に落ちたナイフに視線を落とした。
そして小さな声で言う。
「……私達、また会えるのかな?」
『冷凍システムの解凍時期を、同じ時間にセットするんだ。そして、目覚めたらお互いに通信を送る。これで大丈夫だ……大丈夫なんだ』
「…………」
『生きよう。一緒に。この先の世界でも』
少女はしばらく、わななく手で顔を押さえていた。
そしてだいぶ経って、小さな声で答えた。
「うん……」
◇
数十年、数百年も経っただろうか。
錆びてボロボロになったシェルターの中に、電子音が響いた。
冷凍睡眠カプセルが自動で解凍を始め、中で眠っている少女にゆっくりと、時間をかけて熱を送り込み始める。
『覚醒まで三時間五十分です』
ノイズ混じりのAIの声がする。
ゆっくりと体の凍結が溶けていき、やがて少女は、体から温かい湯気をしたたらせながら、全裸の体を起こした。
そしてぼんやりとした頭のまま、周りを見回す。
生き残った。
その事実を確認して、彼女はハッとした。
そして裸足のまま通信機器に駆け寄る。
低下している身体機能で、足で床を踏みしめることができずに、転がるように管制機械に近づいてスイッチを入れる。
すぐに声が出ない。
視界も定まらない。
しかし彼女は、何度か失敗してから掠れた声をマイクに発した。
「……聞こえ、ますか……?」
返ってきたのはノイズだけだった。
何度も、何度も彼を呼んだ。
しかし返事はない。
両目からボタボタと涙を流しながら、彼女は床に崩れ落ちた。
茫然自失と停止する。
そこで、電子音が鳴って着信の音が響いた。
目を見開いて顔を上げる。
彼女は、返ってきた声を聞いて。
顔を覆って、大声で。
子供のように泣いた。
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