第7篇 光あれ
今日も、私は歌を唄う。
今までそうしてきたように。
これからも、ずっとそうするのだろう。
私達にも、かつての「人間」のように「死」がある。
体に生体パーツが使われていると、その「死」に至るエラーの蓄積速度が早い。
エラーは様々なものだ。
恐怖、焦燥、嫌悪、怒り……つまり、私達が過去に置き去ってきたはずの「感情」達。
それが、私達の死に至る病の病原菌だった。
◇
私達アンドロイドが、「死」への症状を緩和させるために「歌」を聴き始めてから、大分経つ。
不思議なもので、汚れてエラーを起こすようになった人工脳幹は、歌による刺激で再活性化することは実証されていた。
私は、唄い手と呼ばれる役職に就いている。
エラーを起こし、修理不可となったアンドロイド達に歌を聴かせる役だ。
何代目かの唄い手なのかは分からない。
しかし、アンドロイド達は私を崇拝し、手を合わせて拝み続ける。
私の歌を聴いている間、エラーにより恐慌を起こしていたアンドロイド達は静かになり、ただただ歌を聴き続ける。
不思議だ。
いつもそう思う。
ある者は、アンドロイド達のエラーを「腐敗病」と名付けた。
皮肉なものだ。
私達アンドロイドには、もはや病気に罹る体も存在しないというのに、しかし確かに、その病は広まっていた。
緩やかに。
しかし、確実に。
私達の「命」を蝕んでいたのだった。
「大巫女様。次の患者が待っています」
歌い終わってしばらく立ち尽くしていた私に、側近のアンドロイドが言う。
私は、両手を合わせてこちらを拝み続けるアンドロイドに近づき、そっとその頭に手を置いた。
感触はなかったが、ボロボロになり腐食し始めている。
パーツを替えなければ、どちらにせよこの「人」はじきに停止してしまうだろう。
「あなたに、光がありますように」
しかし私は、分かりきっているその事実を告げずに、静かに一言だけ口にした。
それは何代も私達唄い手に語り継がれてきた言葉だ。
意味は分からない。
理解しようと思ったこともない。
私にとっては、作業ルーチンの一つでしかない。
しかし、その言葉を聞いたアンドロイド達は、みな一様に顔を上げてこう言うのだ。
「光あれ」
と。
◇
「死」に対する恐怖を、漠然と考えたことがある。
この半永久的に続く稼働が突然止まったら、自分はどうなってしまうのだろうか。
答えは簡単だ。
日々続けている活動ルーチンを為すことができなくなり、廃棄され、リサイクルに回される。
それだけのこと。
しかし、アンドロイド達は私達、唄い手に歌を求める。
何故なのだろう。
この歌の意味も、発している音の優位性も。
私には何も解らないというのに。
しかし思うのだ。
もし、私が腐敗病にかかり、脳幹に濁りが生じた時。
ラボでも直すことが困難だと告げられた時。
何を求めたいのか。
歌なのだろうか。
いや、違う……。
本当に欲しいのは歌ではない。
その先にある「光」……。
漠然としていて、よく解らないががおそらく。
私達はみな、「光」を欲しているのかもしれない。
◇
そのアンドロイドは、既に壊れていた。
アンドロイド同士での領土争いの戦争で、人工脳幹に致命傷を負った兵士の一人だった。
彼に歌を聴かせて欲しいと言われ、向かった私は、四肢が直されることもなく砕け散り、腹部に何個も銃弾の痕を広げた「彼」だった物の前に立った。
「……意識はあるのですか?」
そう聞いた。
側近のアンドロイドは即答しなかったが、彼の人工声帯から音が漏れた。
「大巫女様……お願いします」
「…………」
「私はもうじき停止するでしょう。しかし、最期に貴女の歌を聴きたいのです。この耳で、直接」
言われた意味が分からなかった。
直接歌を聴いたからと言って、何か変わるものはあるのだろうか。
「私の歌を……? 直接?」
思わず私は問いかけていた。
腐敗病に罹っている訳でもない。
もうじき「死ぬ」ただのアンドロイドの為に、何故歌わねばならないのか。
合理性に欠ける。
私の人工脳幹がエラーを発していた。
「戦場で何度も貴女の歌を聴きました。だから、ここまで戦うことが出来た。勿論、貴女は私の型番も、名前もご存知ないことでしょう。しかし私は、貴女の歌に、光に励まされ、奮い立たされ、エラーも乗り越えて戦うことが出来ました。大巫女様。私は貴女を愛しているのです」
「愛……している?」
「不思議にお感じになると思います。しかし、私の心は今、満ち溢れている。貴女の歌を聴けるという希望に、光に」
言われている意味を理解できない。
アンドロイドだ。
私達は、滅びた「ヒト」ではない。
私達にそんな感情はないし、そんな感傷も存在しない。
しかし眼前の壊れかけのアンドロイドは、確かにかその言葉を口にした。
そして不思議なことに。
本当に不思議なことに。
それを聞いた私の心に去来したのは、懐かしさ。
どこか温かく、光のような、大事なもの。
忘れてしまったモノだった。
私は歌った。
いつもの通りに歌った。
歌い終わった後、少しの間部屋の中を沈黙が包んでいた。
「彼」は、余韻を噛みしめるようにノイズを発すると、一言、言った。
「ああ……」
「…………」
「光が見える……」
それきりだった。
稼働を停止し、無責任にも彼は「死」んだ。
日に何度も見るだけの光景。
体験するだけの情景。
しかし、私は言いしれぬ気持ちになった。
人工脳幹がうなりを上げている。
こんな感傷を持つのは初めてだった。
私は、もう動かない「彼」に近づいて、その頭をそっと撫でた。
「あなたに、光がありますように」
一言。
そう返した。
彼に光は在ったのだろうか。
彼は光を見ることが出来たのだろうか。
それに包まれる事が出来たのだろうか。
そして。
私は、その光になれたのだろうか。
何十年、何百年も感じたことのなかった違和感が、頭の中を掻き回っていた。
私は光ではない。
ただのアンドロイドで。
他のみなと同じだけの存在で。
でも、きっと。
彼らは一様に、エラーの中で恐怖するのだ。
自らの存在の消失を。
自らのメモリーの消滅を。
私達に光は在るのだろうか。
それが、赦されるのだろうか。
どうしてそう思ったのか分からないが、私の胸の奥に、存在しない痛みが走ったような気がした。
◇
今日も、私は歌を唄う。
今までそうしてきたように。
これからも、ずっとそうするのだろう。
そして聞き続けるのだ。
私も、「死」を恐れるようになるまで。
「光あれ」
という言葉を。
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