第5篇 慰め

雪が降っていた。

それはどこまでも降り積もる雪だった。


除雪車が一日三回、道路の雪をかきに通る。

それでも車での走行は困難であり。

だからこそ私は、車を止めた運転手が発した言葉をとっさに理解が出来なかった。


「人間(ヒト)が倒れています」


そう、聞こえた。

人間……。

ヒト。


車のドアを開けて外に出る。

放射能が混じった、灰色の雪が辺りを舞っている。

周囲を見回すと、確かに車の進行方向上に、「生体反応」があった。


雪をかき分けて近づく。

心音反応があった。

ヒト……生物だ。

追いついてきた運転手が口を開いた。


「どこのシェルターに隠れていたんですかね……公安に連絡しますか?」

「いや……」


私はその問いを遮り、「人間」を抱き上げた。

奇妙なほどその生体反応は軽かった。

ボロ布のような服とコートを羽織っている。


「その必要はないだろう。車に乗せる」

「はぁ、基地に連れて行くんですか?」

「公安の駆除隊はどうも好きになれなくてね」


私はそう言って、車に「人間」を運んだ。


「私が『ヒト』だった頃のメモリーのせいかもしれないが」

「そうですか。僕は旦那様のように生体パーツは使われていませんから、そういう感傷はよく分かりませんが……」


運転手の青年はそう言って、車のドアを開けた。

中に「人間」を乗せ、私も乗り込む。


「暖房を強くしますか?」

「そうだな」


私が言うと、運転手も乗り込み、車のドアがロックされる。

そして、雪道を再び走り出した。



その少女が目覚めたのは、車内が暖かくなり、少ししてからだった。

紫色の唇と、震えが止まらない体で、私がかけたブランケットを体に手繰り寄せて起き上がる。


「目覚めたかい?」


問いかけると、少女はビクッと体を震わせ、私から距離をとった。

そして警戒するように座席の隅に小さくなる。


「アンドロイド……」


小さく呟く声が聞こえる。

私は水筒から温かいスープをコップに注ぐと、少女に差し出した。


「少し体に入れた方がいい。安心しなさい、毒は入っていない」


少女は少し迷ったようだったが、スープの匂いにつられてコップを手にとった。

そして口につけ、熱さに硬直する。


「ゆっくり飲みなさい。君のものだ」


少女はしばらくして、チビチビとスープを飲んで、深く息をついた。

そして怪訝そうに私を見る。


「アンドロイドが……どうして私を助けるの?」

「君こそ、どうしてあんなところで倒れていた? 君達の体では、防護服がないと危険な筈だ」


私がそう返すと、少女はしばらく黙っていたが、唇を噛んで押し殺すように言った。


「……今朝、私達がいたシェルターの電源が死んだわ」

「…………」

「助けを求めて出てきた所だった。家族も、友達も、みんなすぐに死んでしまった」


小さな呟きだった。

少女は落ち窪んだ目で私を見上げて、歯を噛んで言った。


「私を公安に連れて行くの?」

「そんなことはしない」


否定した私の言葉の意味が分からなかったのか、彼女は首を傾げた。


「じゃあ、どうして……」

「このままでは君は放射能被爆で長くはない。治療が必要だろう」


淡々とそう返す。

少女は引きつった声で笑った。

心底おかしそうな笑いだった。


「治療……? 治療ですって……?」


手に持ったスープのカップを握りしめながら、彼女は私に言った。


「アンドロイドが……? 今更……!」

「嫌かね?」


問いかけると、少女はしばらく歯を噛み締めて私を睨んでいたが、やがて虚脱感が気合に勝ったのか、疲れたようにズルズルと座席に背を預けた。

そして両膝を抱えて、スープのカップに口をつける。


「お父さんも、お母さんも、アンドロイドに殺されたわ」

「…………」

「……公安は私達人間をドブネズミくらいにしか思っていない。あなたも、そうではなくて?」

「どうかな……そうかもしれない」


否定をしなかった。

少女は鼻を鳴らしてバカにするように言った。


「私を助けてどうするつもり? アンドロイドなんかを慰めるつもりはないわ」

「慰めか……」


私の脳裏に、おぼろげなメモリーがフラッシュバックした。

まだ体温を感じられた頃のメモリーだった。

温かい肌に抱かれ、私はその時。


確かに。


「確かに、今の時代君達『人間』は、実験の材料になるか、処分されるかの二択しかないからね。無論、それは君にも言えることだ」

「…………」


少女は流石に黙り込み、諦めたようにスープの水面を見つめた。

しばらく車内を沈黙が包む。


「ただ」


私は、静かに続けた。


「私は、『話』をしたいんだ」

「……話?」

「ああ。それが君の言う、『慰め』というものなら、おそらくそうなんだろう。私の欠けたメモリーを埋める感情が欲しい。だから、君を救うことにした」


意味が分からなかったらしく、少女は沈黙していた。

そして小さな声で言う。


「アンドロイドと話すことなんて、何もないわ……」

「そうか……」


私はそれだけを返して、窓の外を見た。

雪はしんしんと降り積もっている。

放射能を含んだ、いびつな色をした死の雪だ。


「君は、死にたいかい?」


問うと、少女は膝を自分の胸に引き寄せて、落ち窪んだ目で座席を見つめた。


「……分からない」

「分からない?」

「ヒトとして生まれたからには、ヒトとして死ね、と教えられたわ。でも、ヒトとして育って、何一つとしていいことはなかった……」

「…………」

「そして今、『ヒト』だから死にかけてる」


黙っている私を見上げ、少女は続けた。


「あなたは、アンドロイドとして生きて、いいことはあったの?」


私の脳裏に、またエラーと共に何かのメモリーが再生された。

それは体温。

暖かさ。

そう、今ではあまり感じることのない「ぬくもり」……そのメモリー。

失った記憶、時間。


大切だったはずのもの。


「いいことなんて無いさ。何もね」


そう答えると、少女はそこで初めて、小さく笑った。


「そう、同じね……」

「そうだな」

「……私は、どこに連れて行かれるの?」

「私が個人所有している基地だ。そこには、人間の治療薬もある。何より……」

「…………」

「ヒトをアンドロイドに改造することも可能だ」


私の言ったその言葉に、少女は目を見開いた。

カップを持つ手が小さく震えていた。


「アンドロイドに……?」

「望むならそれもいいだろう。ヒトは、この世ではたしかにとても生きにくい」

「…………」

「ただね」


私は、自嘲を含めた声と共に、静かに言った。


「君は、その代わりに大切なメモリーを沢山失くすだろう。そしてそれらは、もう取り戻すことはできない。決してね」

「…………」

「それでも良ければ、君の望むとおりにするといい」

「どうして……」


少女は呟いて片手で目を押さえた。

泣いているのだろうか。

その体が小刻みに震えていた。


「どうして、そんな恐ろしいことを言うの……」


私はしばらく、答えなかった。

やがて車がとまり、基地の門が自動で開く。


「私も、以前はヒトだったからだよ」


その寂しく呟いた言葉は、ゴウン、ゴウン、という車のエンジン音に紛れ、そして消えた。



彼女は、今日も窓の外に降り積もる雪を見ていた。

機械の体は毎日磨いているため、キラキラと光を反射している。

もう、誰も彼女がヒトだったとは思わないだろう。


そう、公安でさえも。


「やあ、もう起きていたのかい」


声をかけて近づくと、彼女は窓から視線を外し、私を見た。


「……どうしてでしょう、旦那様。雪を見ると、何故かこう……悲しくなるんです」

「…………」

「何か、大切なものを忘れているような……」


私は彼女に近づき、そしてその肩に手を置いた。


「忘れてなどいないさ。さぁ、今日も私を慰めてくれ」

「はい、旦那様……」


手を取り合って歩き出す。

そう、これでいいのだ。

彼女は生きていける。

何不自由なく。

何に怯えることもなく。


私の人工脳幹に、今日もノイズが走る。

『何かを忘れている』

アンドロイドは、皆そう言う。


その理由を知っている者は、極少数だろう。


外を見る。

基地の窓の外では、今日も大量の放射能雪が降り続けていた。


ああ。

今日も、明日も。

おそらくいつまでも、雪は止まない。

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