第5篇 慰め
雪が降っていた。
それはどこまでも降り積もる雪だった。
除雪車が一日三回、道路の雪をかきに通る。
それでも車での走行は困難であり。
だからこそ私は、車を止めた運転手が発した言葉をとっさに理解が出来なかった。
「人間(ヒト)が倒れています」
そう、聞こえた。
人間……。
ヒト。
車のドアを開けて外に出る。
放射能が混じった、灰色の雪が辺りを舞っている。
周囲を見回すと、確かに車の進行方向上に、「生体反応」があった。
雪をかき分けて近づく。
心音反応があった。
ヒト……生物だ。
追いついてきた運転手が口を開いた。
「どこのシェルターに隠れていたんですかね……公安に連絡しますか?」
「いや……」
私はその問いを遮り、「人間」を抱き上げた。
奇妙なほどその生体反応は軽かった。
ボロ布のような服とコートを羽織っている。
「その必要はないだろう。車に乗せる」
「はぁ、基地に連れて行くんですか?」
「公安の駆除隊はどうも好きになれなくてね」
私はそう言って、車に「人間」を運んだ。
「私が『ヒト』だった頃のメモリーのせいかもしれないが」
「そうですか。僕は旦那様のように生体パーツは使われていませんから、そういう感傷はよく分かりませんが……」
運転手の青年はそう言って、車のドアを開けた。
中に「人間」を乗せ、私も乗り込む。
「暖房を強くしますか?」
「そうだな」
私が言うと、運転手も乗り込み、車のドアがロックされる。
そして、雪道を再び走り出した。
◇
その少女が目覚めたのは、車内が暖かくなり、少ししてからだった。
紫色の唇と、震えが止まらない体で、私がかけたブランケットを体に手繰り寄せて起き上がる。
「目覚めたかい?」
問いかけると、少女はビクッと体を震わせ、私から距離をとった。
そして警戒するように座席の隅に小さくなる。
「アンドロイド……」
小さく呟く声が聞こえる。
私は水筒から温かいスープをコップに注ぐと、少女に差し出した。
「少し体に入れた方がいい。安心しなさい、毒は入っていない」
少女は少し迷ったようだったが、スープの匂いにつられてコップを手にとった。
そして口につけ、熱さに硬直する。
「ゆっくり飲みなさい。君のものだ」
少女はしばらくして、チビチビとスープを飲んで、深く息をついた。
そして怪訝そうに私を見る。
「アンドロイドが……どうして私を助けるの?」
「君こそ、どうしてあんなところで倒れていた? 君達の体では、防護服がないと危険な筈だ」
私がそう返すと、少女はしばらく黙っていたが、唇を噛んで押し殺すように言った。
「……今朝、私達がいたシェルターの電源が死んだわ」
「…………」
「助けを求めて出てきた所だった。家族も、友達も、みんなすぐに死んでしまった」
小さな呟きだった。
少女は落ち窪んだ目で私を見上げて、歯を噛んで言った。
「私を公安に連れて行くの?」
「そんなことはしない」
否定した私の言葉の意味が分からなかったのか、彼女は首を傾げた。
「じゃあ、どうして……」
「このままでは君は放射能被爆で長くはない。治療が必要だろう」
淡々とそう返す。
少女は引きつった声で笑った。
心底おかしそうな笑いだった。
「治療……? 治療ですって……?」
手に持ったスープのカップを握りしめながら、彼女は私に言った。
「アンドロイドが……? 今更……!」
「嫌かね?」
問いかけると、少女はしばらく歯を噛み締めて私を睨んでいたが、やがて虚脱感が気合に勝ったのか、疲れたようにズルズルと座席に背を預けた。
そして両膝を抱えて、スープのカップに口をつける。
「お父さんも、お母さんも、アンドロイドに殺されたわ」
「…………」
「……公安は私達人間をドブネズミくらいにしか思っていない。あなたも、そうではなくて?」
「どうかな……そうかもしれない」
否定をしなかった。
少女は鼻を鳴らしてバカにするように言った。
「私を助けてどうするつもり? アンドロイドなんかを慰めるつもりはないわ」
「慰めか……」
私の脳裏に、おぼろげなメモリーがフラッシュバックした。
まだ体温を感じられた頃のメモリーだった。
温かい肌に抱かれ、私はその時。
確かに。
「確かに、今の時代君達『人間』は、実験の材料になるか、処分されるかの二択しかないからね。無論、それは君にも言えることだ」
「…………」
少女は流石に黙り込み、諦めたようにスープの水面を見つめた。
しばらく車内を沈黙が包む。
「ただ」
私は、静かに続けた。
「私は、『話』をしたいんだ」
「……話?」
「ああ。それが君の言う、『慰め』というものなら、おそらくそうなんだろう。私の欠けたメモリーを埋める感情が欲しい。だから、君を救うことにした」
意味が分からなかったらしく、少女は沈黙していた。
そして小さな声で言う。
「アンドロイドと話すことなんて、何もないわ……」
「そうか……」
私はそれだけを返して、窓の外を見た。
雪はしんしんと降り積もっている。
放射能を含んだ、いびつな色をした死の雪だ。
「君は、死にたいかい?」
問うと、少女は膝を自分の胸に引き寄せて、落ち窪んだ目で座席を見つめた。
「……分からない」
「分からない?」
「ヒトとして生まれたからには、ヒトとして死ね、と教えられたわ。でも、ヒトとして育って、何一つとしていいことはなかった……」
「…………」
「そして今、『ヒト』だから死にかけてる」
黙っている私を見上げ、少女は続けた。
「あなたは、アンドロイドとして生きて、いいことはあったの?」
私の脳裏に、またエラーと共に何かのメモリーが再生された。
それは体温。
暖かさ。
そう、今ではあまり感じることのない「ぬくもり」……そのメモリー。
失った記憶、時間。
大切だったはずのもの。
「いいことなんて無いさ。何もね」
そう答えると、少女はそこで初めて、小さく笑った。
「そう、同じね……」
「そうだな」
「……私は、どこに連れて行かれるの?」
「私が個人所有している基地だ。そこには、人間の治療薬もある。何より……」
「…………」
「ヒトをアンドロイドに改造することも可能だ」
私の言ったその言葉に、少女は目を見開いた。
カップを持つ手が小さく震えていた。
「アンドロイドに……?」
「望むならそれもいいだろう。ヒトは、この世ではたしかにとても生きにくい」
「…………」
「ただね」
私は、自嘲を含めた声と共に、静かに言った。
「君は、その代わりに大切なメモリーを沢山失くすだろう。そしてそれらは、もう取り戻すことはできない。決してね」
「…………」
「それでも良ければ、君の望むとおりにするといい」
「どうして……」
少女は呟いて片手で目を押さえた。
泣いているのだろうか。
その体が小刻みに震えていた。
「どうして、そんな恐ろしいことを言うの……」
私はしばらく、答えなかった。
やがて車がとまり、基地の門が自動で開く。
「私も、以前はヒトだったからだよ」
その寂しく呟いた言葉は、ゴウン、ゴウン、という車のエンジン音に紛れ、そして消えた。
◇
彼女は、今日も窓の外に降り積もる雪を見ていた。
機械の体は毎日磨いているため、キラキラと光を反射している。
もう、誰も彼女がヒトだったとは思わないだろう。
そう、公安でさえも。
「やあ、もう起きていたのかい」
声をかけて近づくと、彼女は窓から視線を外し、私を見た。
「……どうしてでしょう、旦那様。雪を見ると、何故かこう……悲しくなるんです」
「…………」
「何か、大切なものを忘れているような……」
私は彼女に近づき、そしてその肩に手を置いた。
「忘れてなどいないさ。さぁ、今日も私を慰めてくれ」
「はい、旦那様……」
手を取り合って歩き出す。
そう、これでいいのだ。
彼女は生きていける。
何不自由なく。
何に怯えることもなく。
私の人工脳幹に、今日もノイズが走る。
『何かを忘れている』
アンドロイドは、皆そう言う。
その理由を知っている者は、極少数だろう。
外を見る。
基地の窓の外では、今日も大量の放射能雪が降り続けていた。
ああ。
今日も、明日も。
おそらくいつまでも、雪は止まない。
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