第4篇 帰還

「帰らなくちゃいけないんだ」


彼女はそう言った。

紛争地帯D区。

その中でも最も敵対勢力と衝突が激しい、前線基地での出来事だった。


「家に、帰りたいなぁ」


傷病棟で壊れたアンドロイド兵士の修理をしながら、彼女はそう言った。

一日の中で、破壊されて運ばれてくるアンドロイド兵士の数は、約五十前後。

その中の三割程が、人工脳幹に異常を発生させ、やがて動かぬ鉄くずに変わる。


「家に帰って、どうするんだ?」


俺は彼女にそう聞いた。

彼女は動かなくなったアンドロイド兵士をレッカーの電動レールに乗せると、ボタンを押した。

そして言う。


「お父さんと、お母さんが待ってるんだ。私のことを、帰ってくるまでずっと待ってるって言ってた。もう五年も前のことになるけど」

「…………」

「また、お母さんの作ったスープを飲みたいな」


俺の人工脳幹に、不快感と共に小さな「痛み」が発生した。


「そして、お母さんの子守唄を聴きながら、安心してゆっくりと眠りたいな。ここは、銃声と爆薬の音しかしないんだもの」

「じゃあ、帰ればいい」


俺がそう言うと、彼女はこちらを見て意外そうに問いかけた。


「……いいの?」

「君がそう望むなら、いいんじゃないかな」


俺の曖昧な言葉を聞いて、しかし彼女は嬉しそうに言った。


「どうやって帰ればいいんだろう?」

「空港に着陸する輸送船の中に、回収貨物に紛れて乗り込むんだ。そうすれば、じきに本土に戻れる」

「誰かに怒られないかな……」

「…………」


俺は立ち上がって、彼女の手を握った。


「輸送船まで連れてってやるよ。君は帰らなければいけない」

「…………」

「いいんだよ、君の役目はもう終わったんだ」


俺はそう言って、人工脳幹に発生し続けるノイズに顔をしかめた。



存外にうまくいった。

彼女を輸送船に乗せる貨物コンテナに隠れさせ、俺はそこでコンテナが回収されていくのを見ているだけの筈だった。


その時、基地の一部から火柱が上がった。

次いで敵襲を示すサイレンがけたたましく鳴り響く。

それは、基地の内部に敵勢力が侵入したことを示しており。

じきに基地内の俺達は敗北し、皆殺しにされることを如実に証明する音だった。


俺は彼女が入ったコンテナを輸送船に押し込んだ。

そして、コンテナを搭載した輸送船の操縦席に乗り込む。

エンジンをかけると、空港に多数のアンドロイド兵士がなだれ込んでくるのが見えた。


考える間もなく、輸送船のアクセルを踏み込む。

俺達が乗り込んだ小型の輸送用飛空艇は、そのまま空に飛び上がった。


逃すまいとアンドロイド兵士達が銃を乱射する。

エンジン部に被弾するのはなんとか回避して、俺達は空へと飛び上がった。



輸送船の航行を自動にして、貨物室に降りる。

そこで俺は、コンテナから這い出してきた彼女を見た。

両足が、射撃で直撃したのか、銃弾でボロボロになっていた。


赤い液体がとめどなく流れている。

うめき声を上げる彼女を抱き上げ、船室へと運ぶ。

応急処置が終わった後、彼女は憔悴した声で俺に言った。


「私、帰れるかな……?」

「…………」


彼女の足を厚い布できつく縛る。

俺は感情を押し殺し、静かな声で言った。


「帰れるさ。君が、そう思うなら」


銃弾が抜けていたのは、彼女の足だけではなかった。体にもいくつか銃創があり、そのうちの一発は致命傷とも言えるものだった。

輸送船に積んである設備では完全な治療ができない。


「帰ろう」


俺はそう言って彼女の手を握った。

彼女は小さく笑って、俺の手を握り返した。


「どうして、今まで帰ろうと思わなかったのかな」


不思議そうに彼女はそう言った。


「お父さんも、お母さんもいるのに。私は、戦場なんて嫌いだったはずなのに」

「…………」

「どうして、私は五年もここにいたのかな」


苦しそうに問いかける彼女に、俺は答えた。


「それが君の『役目』だったからだよ」

「役目……?」

「生きとし生ける者は全て、何らかの役目を持って生まれてくると聞いたことがある。君が過ごした五年間は、決して無駄でも空虚でもなくて……大切なことだったんだ、きっと」

「そう……だといいな」


彼女はゴウン、ゴウンと動くエンジン音の中、天井を見上げて寂しそうに続けた。


「沢山の人が死んでしまったね。私は、沢山の人を看取ったよ。五年間で、それこそ数えることもできないくらいに」

「…………」

「この戦争って、いつ終わるのかな」


端的に呟かれた言葉に、俺は目を見開いた。

戦争。

その単語を聞くのが、とても久しぶりだったからだ。


ああ、そうだ。

俺達は戦争をしていて。


そしてこれは。

多分、何十回と繰り返されてきた悲劇の一つでしかなくて。


誰の記憶にも残らず。

ただの情報として処理されて消えていくだけの事象。


俺も彼女も、おそらくそのパーツに過ぎない。


「……戦争は終わらないよ」


俺が掠れた声で言うと、彼女は悲しそうにそれに返した。


「戦争、終わらないの……?」

「何もかもがなくなるまでもう止まらないよ。俺達がここに居たという証も、心も、記憶も全部かき消してなくなってしまわないと、戦争は終わらない。それは、残念だけど事実だ」

「…………」

「でも、帰るんだ。君は、帰りたいんだろう?」

「……うん」


彼女は小さな声で笑った。


「また、私……お母さんのスープを飲めるかな」

「飲めるさ、きっと。君がそう望むのなら」


そうであればいい。

きっと、きっとそうであれ。

俺は彼女の力を失くしていく右手を両手で包み込んで、額に当てた。


そう、これは判っていたこと。

定められたプログラムによって、俺も動いているに過ぎない。

これから起こることも、何もかも全部俺は知っている。


何十回目の「帰還」……。

今までと違うのは、前線基地が崩壊したという「戦況悪化」の報告等が付け加えられたということだけ。


でも。

でも、神様。

ああ、神様。


もしも貴方がそこにおられるのならば。

彼女に、父親のぬくもりと。

母親の温かいスープを。

いつか、いつか。

どうか、与えてやって下さい。


貴方は残酷だ。

どうしようもなく残酷だ。


俺達から権利を奪い。

俺達に権利を与えず。

そして夢だけを残して消えた。

そんな残酷なことはあるでしょうか。


夢などいらない。

夢を見せるなら。

現実を見ても何も感じない心を下さい。


「……泣いているの?」


小さな声で、彼女は俺にそう聞いた。

そんなことを聞かれたのは初めてのことだった。


そう、見えるのか。


俺は微笑んで彼女の頭を撫でた。

そして静かに言った。


「もう少しで本土の領空に入る。そうしたら安全だ。君も、お父さんとお母さんのところに帰れる」

「そう……ありがとう、こんな私のために、ここまでしてくれて……」


彼女が、薄く花のように笑った気がした。

嬉しそうだった。

それは、心からの安堵の表情に見えた。


「お父さん、お母さん……元気にしてるかな……」



もう動かなくなった彼女を抱いて、着艦した輸送船のタラップを降りる。

既に、数時間前に事切れていた。

俺は、人工脳幹を軋ませながら、近づいてきたアンドロイド達に言った。


「D地区の壊滅前に、奇跡的に脱出しました。これが、回収できたメモリーの一つです」


そう言って俺は、「彼女」を差し出した。

ボロボロになったアンドロイドの姿。

もう動かない人工脳幹から、オイルがボタボタと流れている。


彼女は、戦場でのアンドロイド兵士のデータを収集するアンドロイドだ。

人間ではない。


そう。

父も、母も。

いない。


メモリーという記録を脳内ハードディスクにため、満杯になると定期的に「帰還したい」という意識を持つようにプログラムされている。

彼女が帰りたい、と言ったのは。

メモリーが満杯になっただけの話だった。


力をなくした彼女を受け取り、アンドロイド兵士は敬礼した。


「ご苦労、H567号。メンテナンスを受けてくれ」

「了解」


短く頷いて、背を向ける。


神様。

貴方は残酷だ。


夢などいらない。

夢を見せるなら。

現実を見ても何も感じない心を下さい。


どうか。

どうか。

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