身代わりドール

Episode 1. 雛流し

 雛祭り。ひとりっ子である僕にとって、それはあまり関係のない女の子の日だ。

 この時期になると毎年母は、「あんたが女の子ならよかったのに……」とぼやき始める。

 その度に僕は、「そんなによその子が羨ましいのならよその子の親になりなさい」

とふざけるように適当に返す。

 そして、内心思うのだ。

 自分が男で良かったと。

 男なのだから男の良さを知っている。女性より体のケアが雑でいいことも身体能力が高いことも、おっぱいを想像した時の性的興奮も。

 しかし、世の中の男が全員そうであるというわけではない。

 L G B T。自身と同じ性別の人を好きになったり、心と体の性別が違ったり。

 今や10分の1が彼らである。

 ただ、人間が生殖する生き物である以上、男女という垣根は壊れない。

 それが自然の摂理なのだ。


* * *


 3月3日(土)。08:50。

 和国文化研究会会員は同好会の活動の一環として横浜市立第二小学校にきていた。       

 同好会の活動と言えば聞こえは良いが、今回は第二小で開かれる雛祭りイベントの手伝いを節分事変延期のお詫びとしてすることになっただけである。

 だから、いつもは夜更かしをする金曜日の昨晩は平日同様の就寝時刻で消灯し、今日は制服に着替え平日同様の登校時刻、路線で来たのだが。

 途中、道に迷ってしまった。なんせ、僕は方向音痴なのだ。しかし、そこら辺をグルグルと回っていたら、なんとか辿り着けた。

 9時丁度に校門前集合ということだが、––––。

 どうやら、僕が一番乗りらしい。

 僕とグレイ以外には、顧問の名取と助っ人に西園寺が来るらしい。

 星には、

『ごめん! その日、練習試合だ。ホントーにごめん!』

 と律儀に断られてしまった。

 いや、厳密に言うと断られてはいない。別に僕たちが「お前のせいだから手伝え」なんて誘ったわけではないからだ。

 単に彼女がどこからか噂を聞きつけてそう申し出たのだ。

 まあ、今回は星どころか僕の出番があるかも分からないくらいの忙しさだ。

 むしろ、せっかくの休日にも関わらず、助っ人としてグレイについてくる西園寺が物好きなだけである。

 だから、星が気に病む必要は全くない。……星にはこんなこと直接告げていないのだが。


 第二小に着いてから数分が経った。それにしても誰も来ない。

 住宅街の休日の朝だからか、人も通りかからない。

 よって、僕は小学校の中を覗く他にすることがなかった。所々芽が出始めている花壇の横、一部分の地面の色だけが周りより濃い茶色をしている。

 落とし穴か、はたまたエロ本か。僕がませたのはいつ頃だっただろうか。

 そんなくだらないことを考えていると、小学校の曲がり角からグレイの姿が見えた。

 走りながら手を振ってこちらに向かってくる。

「何やってんじゃ。オサム」

 少々、息を荒くしてじっとりとこちらを睨んでくる。

「それはこっちのセリフだ。10分前行動なんてするもんじゃないな」

「吾、集合場所を間違えているじゃないか?」

「校門前だろ?」

「正確には正門じゃ。そっちの門はどう見たって脇役じゃろ」

「門に向かって脇役とか言うなよ」

 確かに、校門集合と言えどこっちは校舎の横側だった。

「というか、電話したんじゃが何故出ん?」

 僕はショルダーバックの中からスマホを取り出す。スマホはマナーモードになっていた。

 そのことをグレイに言うと、

「様子が変だと思ったら連絡せんか」

 呆れられてしまった。……ごもっともです。

 そして僕たちは西園寺と名取と合流した。


* * *


 雛祭りイベント、改め『雛流し』の概要はこうだ。

 参加者は小学6年生の女子生徒。

 まず、グレイが雛祭りについて解説を行い、その後『流し雛』のための雛人形を折り紙で女子生徒に作ってもらう。

 流し雛とは、雛人形を川に流して清めることで、流した本人たちも人形同様に穢れを清めることができるという行事だ。雛祭りの元となっていて起源は平安初期だとか。

 何でも、今回立案した6年1組の担任が住んでいた地方では『雛流し』と呼んでいたため、それが本日のイベント名になったらしい。

 後に、僕らは第二小近くの二級河川–––帷子川まで行き、船に乗せた雛人形を流すという手筈になっている。

 もちろん、昨今の環境問題もあり最終的には流した雛人形は500メートル先で回収する。その条件で役所も帷子川を使うことにOKを出したそうだ。

 グレイは演説の準備を。西園寺は先生方の手伝いを。僕と名取は帷子川まで150センチはある木の船を運び出した後、名取を残し僕だけが学校に戻った。


 09:50。

 10時開始ということもあり6年生たちは体育館に集まり始めていた。

「よく休日に参加しようと思うよな」

 第二小の6年生は全部で3クラス。1クラスおよそ30名。男女が1対1の比率でいると仮定し単純計算で45名の女子生徒がいるわけだが、なんと集まったのは17名。三分の一を超えている。

 僕のボソッと呟いたひとりごとにグ西園寺が答える。

「来てくれて嬉しいじゃないですか?」

「主催側としてはな」

 お前も主催側だろ? と思っているだろうにも西園寺は追求してこない。

「にしてもヤケに3組だけ人気じゃな」

 そう言ってグレイは手書きで生徒の名前が書かれた3枚の紙。各々の名前の文字は大きさも特徴もバラバラだ。生徒が各々自分の名を書いたのだろう。

 そして、1枚目には3名の生徒のが、2枚目には2名の生徒の名があるのに対し、3枚目だけが12名と他のクラスの倍以上の生徒の名が書かれていた。

「謎だな」

「そんなことはないぞ。節分事変にも小学生は一杯来ておったし、意外と今の小学生は日本文化に関心が強いのではないか?」

 それはないだろう、と思いながらも思うだけで留めておく。

「緊張してませんか?」

「It is a piece of cake」

 グレイはドヤ顔でそう言った。

 彼女がこんなことで緊張しているわけがない。

 それは教えるまでもなく西園寺佳代も始めから分かっていたことだった。


* * *


 10:00。

 体育館に関係者全員が揃った。

 僕とグレイと西園寺に、第二小の副校長と教師2名、小六女子たち。

 クラスが3組あるのになぜ教師が2名だけかというと、6−3の先生は本日、出張なのだと名取が言っていた。

 副校長は長ったらしい前置きを言い終えると、すぐにその場を立ち去ってしまった。

 そして、グレイの演説の番となる。

 グレイのはひな祭りの説明はとにかく分かりやすい。

 難しい言葉を使わず、それでいてキーワードはしっかりと押さえている。

 そして何より聞いていて飽きないのだ。彼女の演説の構成は起承転結ができており、物語を聞いているような感覚になることがある。

 そう思っているのは僕だけでなく、小学生は誰一人としてお喋りはしていないし、若い女性教員なんて感心し過ぎて赤べこ並みに首が縦に揺れている。

 内容としては『雛祭り』の起源についてだ。

 雛祭りは別名『桃の節句』と呼ばれている。これは古代中国の『上巳の節句(3月3日)』に桃の花が咲く時期であったことに由来している。古代中国では、草で作った人形に穢れを移して川に流していたそうだ。

 また、平安時代では子女の間で『ひいなあそび』というのが流行っていたそうだ。その名の通り、それはお人形遊びである。

ここから幼女=雛=人形という認識が人形を川に流す行事を『流し雛』と呼ばせ、3月3日が女の子の日となった。

 そして、江戸時代。川に流すはずだった人形は上流階級が鑑賞用として作り始める。3日を過ぎて雛人形を片付け忘れると婚期が遅れるというのは、元々、雛人形は穢れや厄を身代わりとして取り込むものだからなのだ。

 そんなような解説の後は、三段で飾ってあるそれぞれの人形についてやお菓子について話し、グレイの演説が終わった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る