1日限定ウァレンティヌス
Episode 1. 僕はキメ顔でそう言った。
中学1年生の2月14日。当時、僕が好意を寄せていたクラスメイト小杉さんが、サッカー部のやつにチョコレートをあげているところを偶然にも見てしまった。
人気の少ない校舎裏でこっそりと渡していた様子を見ると、本命なのは明らかだった。
帰り道。僕は当時あの気持ちをどうやって解消していいのか分からなくなって、近くのスーパーでバレンタインセールで安くなっていた板チョコを買い、スーパーを出てすぐに齧り付いた。
買ったのはミルクチョコレートのはずだったのに、口の中に入ったそれは今まで食べたどのチョコレートよりも特別苦かった。
それ以来、僕はバレンタインデーには毎年、ミルクチョコレートを買っている。
* * *
本日、2月14日はバレンタインデー。1年で男子が最もソワソワする日といっても過言ではない。
かく言う僕も、今年は少しだけ期待をしている。
というのは、高校に入ってからが人生で一番女子と話しているからだ。
同じ部のグレイ、そのホストファミリーの西園寺、あとは……。いや、それだけです、はい。
しかし、それでも、普通の女子からしてみれば、『この位じゃあよく話しているうちに入んないんだけど、ウケる』とか言われるレベルでしか話していない。
しかし、それでも、期待してしまうのが男の
そんなことを考えながら、昇降口に着き下駄箱に向かう。
下駄箱に食べ物は不衛生だとか現実的なことを言う者もいるが、やはり、下駄箱に恋文&チョコレートは元祖ラブコメ漫画の王道シチュであり、僕の憧れである。
期待を込めながら、下駄箱の扉を開くと––––、勿論僕の上履きしか入っていない。
マジで欲しい、チョコ。
生まれてこの方、人生で一度も、義理チョコすら他人から貰ったことがないのだ。
中学2年生まで母が毎年くれていたが、気を遣ってくれているのか去年からは貰っていない。
まあ、毎年、「誰からかチョコ貰った?」「貰ってないよ」みたいな会話をしていれば、気を遣うよな。ごめんよ、母さん。
いつも通り自分の教室がある4階へと階段を上がっていると、踊り場にグレイがいた。
「お早う、オサム」
「おはよう、何してんだ?」
「吾に用がある。部室まで来い」
え。マジで。
わぶ研は節分事変以降、部活動らしい活動をしていない。そして、今日は2月14日だ。
ということはだ。用事というのは、つまり、––––。
僕は期待に胸を膨らませながら、グレイの後をついていった。
* * *
「ほれ」
渡されたのはどう見ても手作りチョコを入れた箱を包装したようなものだった。
「これ、僕に?」
うおー、ついに! 人生初チョコ!
「多分?」
「へ?」
何? 今多分って言った? 照れてるとかそういうこと?
「これ、本命?」
「多分?」
マジか。グレイって僕のこと好きだったの⁉︎ この前、僕が告ったら––––みたいな会話したけど、そんなそぶりなかったじゃん⁉︎ え⁉︎ 初カノ⁉︎
僕の頭の中がパニックになっているのを察してか、グレイは顔を真っ赤に染めた。
「あ、阿呆! 勘違いするでないぞ! それは登校中にどこの誰かも知らない者に頼まれたんじゃ!」
「え?」
空いた口が塞がらないとは、まさにこのようなことを実際に経験した人が作った言葉なのだと、僕は悟った。
「これはグレイからじゃないのか?」
「うむ、違う」
「じゃ、じゃあ誰からだよ?」
「それが儂にも分からんと言っているんじゃ」
グレイは登校中に起こった出来事について話してくれた。
* * *
登校していると校門の前に他校の制服を着た女の子が立っておった。
儂は日本のバレンタインデーは女性が男性にチョコレートを渡して告白する日だと知っておったからのう。その子もまた意中の相手にチョコレートを渡すのだと思いながら素通りしたんじゃ。
「あの!」
しかし、なんと、女の子は儂に声をかけてくるではないか。
「アリー・グレイさん? ですよね⁉︎ これ––––」
その時。
ピーポーピーポー。
「––––に渡してもらえませんか」
偶然にも救急車が通ったせいで肝心な名前が聞けなくてのう。
聞き返したくても、女の子は走り去ってしまったんじゃ。
* * *
「そんな偶然があってたまるか⁉︎」
僕は今握っているチョコレートが自分のものでないというショックもあってか、気が付いたらオーバーなツッコミをしていた。
いや、漫画かよ。
「儂も迂闊じゃった。本来なら、追いかけてでも渡すべき者の名を尋ねるべきじゃったんじゃが。どうも朝が弱くてのう」
しかし、今の話では腑に落ちない点もある。
「それにしても、何でこれを僕に渡したんだ? いや、何でその女の子がチョコレートを渡して欲しい相手が僕だと思ったんだ?」
「それは、儂が仲の良い男なんてオサムしかいないからじゃ」
「だけど、悲しくも僕にはわざわざバレンタインデーの始業前に他校の校門の前で律儀に待ってくれてチョコレートをくれるような女の子の知り合いなんていないよ」
「それもそうじゃな」
「……そこは否定して欲しかったんですが……。いや、妥当な返答だな」
そして、このチョコレートはどうするべきか?
「……オサム」
グレイもきっと同じことを考えているんだろう。しかし、下を向いていて表情が分からない。
「どうしよう?」
彼女は困り果てた表情をしていた。
* * *
「まあ、そんなに気に病むことはないと思うよ。バレンタインデー関係なしにチョコを渡したかったとか?」
「仮にそうだとしても、単なる平日に朝早く他校の校門の前でチョコを渡して欲しいと第三者に頼むっていうのはどんな状況じゃ」
確かに。
というか、グレイは随分と落ち込んでいた。こんな感じのグレイは珍しい。
ここは少し気分転換でもさせるか。
「しかし、何でバレンタインデーではチョコレートを贈るんだ? 欧米ではチョコレートは関係ないんだろう?」
「製菓メーカーの陰謀じゃな。……まさか、本気で知らなかった訳じゃないじゃろう?」
状況を察したのか、ジトっと睨んでくる。
……こういうところは鋭いな。
「まあね。だけど、欧米のバレンタインデーには少し興味がある。どんなことをするんだ?」
「そんな珍しいことはないぞ。パートナーへ日頃の感謝を込めてプレゼントを贈って一緒に過ごす、みたいな感じじゃな」
「へー。何かもっとキリスト教的な祭りだと思ってたよ」
「バレンタインとキリスト教はあまり関係ない。起源は3世紀のローマ帝国。元々2月14日はローマ神話に出てくる結婚の女神・ジューノウの祝日とされておったんじゃ。しかし当時、兵士は皇帝に結婚を禁じられててのう。その時、西方教会の司祭・聖ウァレンティヌスは皇帝には内緒で兵士のために式を執り行ったんじゃ」
何ていいやつなんだ……。ウァレンティヌス。
「結局、それが皇帝にバレてウァレンティヌスは処刑されてしまうがのう」
「……マジか」
ウァレンティヌス……。
「それも処刑されたのは皮肉にも2月14でのう。翌日のルペルカーリア祭の生贄となったらしい」
「ルペルカーリア祭って何だよ?」
「結婚をすれば、次は子作り。豊穣の神・マイアを崇拝するルペルカーリア祭は繁栄を祈願する祭りじゃ。男が女の体を鞭打ってその痛みを生贄に神に子が産まれるよう願うんじゃが……、まあ、今で言う『SM要素がある乱交パーティ』じゃな」
え? 何それ。引くわー。というか、女の子がそんなはしたない言葉を言っちゃいけません。って『女の子が』とかこういうことも言っちゃだめですね。すみません。
「すっごい顔しておるぞ、吾」
「うん……。ん? 西方教会っていうのはキリスト教だろ。やっぱり、バレンタインとキリスト教って関係あるんじゃないか?」
「ないのう。ローマ帝国ではローマ神話の多神教が信仰されておった。キリスト教はイエス・キリストの唯一神じゃ。そして、時とともにウァレンティヌスの功績が讃えられるようになってからバレンタインデーができた。己の欲望に乗じて異文化を取り入れるのは日本人だけじゃないってことじゃな」
ドヤってくるグレイ。
いや、確かに以前僕は似たようなことを言ったけど。
「まあ、キリスト教のことは詳しくない。儂はキリスト教徒じゃないからのう」
そうだった。彼女は世俗派ユダヤ教徒だった。
世俗派とは正式な宗派の名称じゃなく、彼女がそう言ったんだ。
時代と共に教えも変化をしていく。それが彼女の言う世俗派らしい。
ユダヤ教徒には、昔ながらの戒律や伝統を守っている『超正統派』というのが存在するらしい。
らしいと言うのは、僕もグレイに聞いただけであまり詳しいくないからだ。
男女は隔離され、男性は黒帽子に黒スーツの格好を、女性は結婚後に髪を剃るなどの戒律を守る。そして、異教徒との結婚は許されていない。
しかし、彼女がヨーロッパ系とヒスパニック系のハーフであることからグレイが超正統派でないことは明らかだ。
「さて、雑談はこの辺にしておいて……、オサムに頼みがある」
グレイは真剣な表情をして僕に問う。
「このチョコレートを贈るべき相手を探して欲しい」
「無理だ」
「そこをどうにか!」
そんな風に頼まれても、無理に決まっている。
贈り主の名前も顔も分からないのに、この全校生徒の中からそいつがチョコレートを渡したい人物を探せって? さらに贈り主のことを考えれば、タイムリミットは今日の放課後までだ。
僕は恋のキューピッドでも探偵でもないんだ。
「儂はオサムならできると思っておる」
彼女の眼には自信があった。
ずるい。そんな風に言われたら断りにくいじゃないか。
「分かった。約束はできないが、最善は尽くすよ」
「おおー。有難う」
「早速だが1つだけ心当たりがあるチャイムが鳴る前にそいつの所へ行こう」
時計を見れば、朝のS H Rまで5分と少ししかない。
「そいつって?」
「西園寺だよ」
「……、何を言っておる? 西園寺は女子ではないか」
ふっ。絶好のタイミングだな。言うぞ。
「じゃあ言わせてもらおう。いつからチョコレートを渡すべき相手が男だと錯覚していた?」
僕はキメ顔でそう言った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます