ファーストコンタクト

 最近の杖は魔法使用者が特定できるよう、痕跡が残る構造になっている。

 それによって魔法犯罪の検挙率も上がってきてはいるが……


「魔力残留物から特定できるのは騎士団所有の杖ってところまでで、ロビン先輩個人の杖とは 断定できないはずです。もちろん先輩はアイツに何もしてませんでしたし、私が宣誓証言でも何でもします!」

 キャトリンがそうまですると言ったことに、ロビンは少し目頭が熱くなったが、今はまず冷静でいるよう努めた。


「……それにあのパルメテール国の大使なら騎士団の杖と同種のものなんかいくらでも調達できるでしょう。キャトリンの言う通り、裁判に持ち込めば……」

「……まさにそれを騎士団の重鎮たちは嫌がってるんだ。パルメテール国と太いパイプがあり、個人的に恩恵を受けている者も多い。そんな『身内』と泥沼裁判をするよりは、一介の騎士団員を生贄にして幕引きを図りたい……そんなところだろう」

 オースティンは今度こそ上層部への嫌悪感を隠そうともせずに言い放った。彼とて若く未来ある部下をそういう形で失うのは悔しいだろうが、組織に属する以上煮え湯を飲むしかないこともあるに違いない。


だがロビンはそれとは比較にならない程の無力感に襲われ、崩れ落ちそうになるのを机の縁を掴んでようやく堪えた。


「……正義って……一体誰が決めるんですかね」


 力なく口から滑り落ちたような悲痛なロビンの問いに、誰も答えを返せない。

「先日、あの森に足を踏み入れたとき俺は希望を抱いたんです。亜人族を傷つける輩を騎士団が捕らえれば、古い因習が色々変わる……って」

「ロビン先輩……」

「俺がバカでした」

 ロビンは自分の中に詰まっていた熱い何かが、急速に体の外に流れ出るような感覚を覚えた。頭の奥がひんやりし、何もかもが他人事のように感じる。

ロビンは天を仰いで大きく息を吐いてから――


 腰につけていた騎士団の紋章を机に置いた。

この紋章を身に着けている時、どれだけ誇りを持って任務にあたってこられただろうか。

「こ……こんなのおかしいですって! 先輩が辞めさせられるなら私も……」


 騎士団の剣を机に置いた。

この剣で、どれだけの悪人と戦ってきただろうか。

「いや、君には騎士団員として戦ってほしい。俺の分まで。そして願わくば一人でも多くの人を救ってほしい」


 騎士団の杖を机に置いた。

この杖の魔法で、どれだけの無辜の民を守ってきたことだろうか。


「ロビン……君なら騎士団でなくともきっと正義を……」

苦し紛れとも取れるオースティンの言葉をロビンは遮った。

「正義だとか、もう……俺には何もわからないんです。何も」

 ロビンの声はその眼光同様、今にも消え入りそうだった。


「……でも今回一番傷つけられたのはノエミィです。彼女のそばに付き添ってあげることなら、こんな俺にでも出来ますから……」

 ロビンは返答を待たず踵を返した。


「今まで色々とありがとうございました」


「せ、せんぱ……い……?」

 涙ぐんで上ずったキャトリンの呼びかけに応える気力も湧かなかった。


 引きずるような足取りで外に出ると重苦しい雲から小雨が降り注いでいた。覚悟を決めたはずなのに、思わず後ろを仰ぎ見る。


創設以来、長く正義の歴史が刻まれた騎士団本部の堅牢な砦が、妙に薄汚れて見えた。


小雨でモノトーンとなった街中を俯きながら歩くロビン。

その姿を遠くから見つめる少女がいた。

大きめのフードが陰になっているせいで表情は伺いしれないが、彼女は形の良い唇を歪めて呟いた。

「ロビン・ベイツ。 一切の望みを捨てよ……」

 少女はくくっと喉を鳴らす。

「そうすれば……」


 夕暮れ前だというのに空を覆う厚い雨雲のせいで、世界はまるで夜のように暗い。

 石畳を叩く小雨に人々は街を足早に行き交う。目的地へ。あるいは家路へ。

『正義』……騎士団という家路を失ったロビンは、まるで迷子の子供のように

裏路地を歩いていた。


 一体これから何をすればいいのだろう。

まずはノエミィを見舞う。

そして騎士団をクビになったことを冗談めかして面白おかしく話してみるか?

……いや


「ノエミィ、おおきくなったら騎士団にはいる」


 あの森でノエミィが目を輝かせながらそう宣言したことを思い出し、ロビンは胸がギュッと痛くなった。まだ幼いノエミィが騎士団に憧れた理由は、正義に準じたいだとか、この世を良くしたい、と思ったからではないだろう。

ただただ働くロビンの姿を見て憧れたからに違いない。


裏切っちまったな……。ノエミィの夢を。しかもどうしようもなくどす黒い大人の事情でだ。それを一体どう彼女に伝えるべきかわからず、ロビンは壁を拳で叩いた。

「くそっ 何にも守れないのかよ……。女の子のささやかな夢ひとつでさえ……」


「随分荒れ模様だね?」

 ノイズのように漂う小雨の音の中でも、鈴のようによく通るその声に、ロビンは振り返った。

オーバーサイズな服を身にまとった、華奢な少女がほほえみを浮かべて佇んでいた。


「何か用か?」

 自分の口から出た声のトーンにロビンは驚いた。敵意と憎悪が無意識に滲み出ていた。騎士団の仕事中は極力自分の機嫌などは悟られないようにしていたものだが……。

「騎士団を除隊になったことは知ってる。ロビン・ベイツ」


 ああ……もう来たか。さて彼女は『どっち』だ?


ロビンの脳裏に以前から聞いていた噂がよぎった。


騎士団を退いたものは、後ろ盾を失ったことで悪人から報復を受ける。

あるいは犯罪組織からその戦闘能力や内部情報を目当てにスカウトを受ける。


どちらにしても碌なことにはならない。ロビンは反射的に腰の杖に手を伸ばそうとして――

……ああクソ、もう杖も剣もない。丸腰だ。


彼の胸中を見透かしたかのように少女がおかしそうに笑った。

「あたしはあなたを仕事に誘いに来たの。でも欲しいのは元騎士団としてのあなたじゃない」


 騎士団としての技術や情報が目当てじゃない……?すると……そうか。


恐らくは俺の固有能力――【ストレージ】が目的か。


だがいくら正義を見失ったからといって、犯罪組織に与する気はサラサラなかった。なんとかやり過ごす糸口を見つけようとロビンは答える。

「俺にはもう何もないぜ? 少しばかり妙な能力が使えたからって、騎士団という後ろ盾がなけりゃただの凡人さ……」

「人は言葉より行動で判断できる……だから」

 少女が腕を前に構える。手元は大きな袖に隠れていて見えない。だが……


 ――来る!


 ロビンの体は武器がなくとも、自然と迎撃体制を取るべく反応した。

彼女が手にしてる獲物はナイフか、杖か……。誰何するロビンだが、結論を出す前に反射的に右側へ飛び退いていた。


ぱちっと鋭く弾ける音がして、ロビンが目を向けると先程まで立っていた場所に小さな焦げ目がついていた。


魔法による攻撃。すると手にしていたのは杖か。

少女の裾から露わになった手に握られているのは、通常の杖より更に小さい仕込み用の杖だ。それを愛用する者は騎士団員としての経験からよく知っている。


――暗殺者だ。


「いい反応。やるじゃん」

 少女の口調は、これまでのどこかからかっているようなものから、素直な称賛のそれに変わっていた。ただ、今の攻撃は避けられなかったとしても致命傷には遠く至らない威力だ。

「あなたの力、見せてみてよ」


試してるってわけか?

そう気づいた瞬間、ロビンは抱えていたやり場のない怒りが噴出してくるのをはっきりと自覚した。


「どいつもこいつも……次から次へと自分勝手に……」


 特権を盾に、身勝手な愉悦のために純粋な命を傷つけるラルフ・ダウセット。


そんな彼や権力にへつらう汚れた騎士団上層部。


正義という拠り所を失った者を利用してやろうと早速群がるハイエナ。


そして……それら全てに何も出来ないちっぽけな自分。


「そんなに見たいなら見せてやるよッ」

ロビンは鋭い眼光を少女に向けて低く呟いた。


「【ストレージ】――解錠」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る