疾走。そして強襲

 ノエミィが大人二人分ほどの体長の狼になっていた。

 

 新雪のように純白で、ふわふわと空気を含んだ体毛。瞳はコバルトブルーの宝石のようだが、その輝きはどこか人間の子供らしい好奇心と純真さが見て取れる。

 

「こういうことだ。ノエミィは背中に乗って一緒に走ろうって誘ってくれたんだ」

「ご、ごめんなさい。変な勘違いして……」

 勘違いというより、キャトリンが普段『そういうこと』を考えていたのがなんとも可笑しかった。

 だが流石にからかうのは控えて、ロビンは誇らしげに話す。

「綺麗だろ? 人間の目の前で亜人がこの姿になることは滅多にない。俺達はそう、奇跡を見てるんだ」

 そう言ってロビンはノエミィの背中に跨った。

 

「私はここで待ってますから、ちゃんとすぐ戻ってきてくださいね?」

「ああ! 気が向いたらな! 早くとも明日には戻るから」

ロビンはノエミィの背中をポンポンと叩く。

「冗談ですよね!?」


 瞬きする間もなく感じた浮遊感。

 頬に当たる風。

 なにやら抗議するキャトリンの声は一瞬で置いていかれ、風の音に霧散していった。


 ノエミィは森の中を矢のように駆け抜けていた。

 ロビンはノエミィの背中に顔を埋める。頬を包む柔らかな毛。その雪のような色とは対象的に、陽の光と希望が香った気がした。心地よさに思わず目を細める。

 彼女に押し当てた体全体で感じる。ふわりと優しい毛皮の下から溢れ出す力強い鼓動と、生きることを楽しむように駆動する生命を。

 

 なんて――なんて愛おしい生き物なのだろう。

 

「ありがとうノエミィ」

 頭で考えずに心から思わず出たその囁きが、ノエミィに聞こえていたかどうかはわからない

 

 疾走しているので吹きすさぶ風は激しく冷たいはずなのに、むしろ身体は温かくなっていく。言うならば太陽に近づいているような感覚だ。ロビンは目を瞑る。まるで空を飛んでいるようだった。

 

 鬱蒼とした森が、突然まばゆい光に包まれた。

 ロビンが目を開けると、そこは地の果てまで拓けているような草原だった。

 

 海のように凪ぐ草を踏みしめ、疾走る。

 まるで世界は自分とノエミィだけになったかのようだ。

 都合にがんじがらめにされた組織も、薄汚れている世俗も全て置き去りにできた気がして――ロビンは久方ぶりに全てから開放された心持ちになった。

 このまま永遠に翠の空や海を走り続けていたい。

 

 ……だがやらなければいけないことがある。

 

「そろそろ戻ろうか、ノエミィ」

 ロビンは意を決してノエミィの背中をポンポンと叩いた。

 

「うるる……」

ノエミィが漏らした唸り声もどこか名残惜しそうな響きで、ロビンは胸がきゅっと締め付けられた。

 今感じているこの自由を、亜人も人間も等しくずっと味わえるような世界になって欲しい。そのために今は向き合わなければいけないことが沢山ある。

 

 眩く広がる草原を背にして、再び鬱蒼とした森へと向かう。

「そういえばノエミィ。お母さんのことだが……」


 ジュボッ

 

 耳元を掠めた聞き慣れない音にロビンは思わず言葉を止める。

 次の瞬間、彼の身体は草の上に投げ出されていた。無意識の内に受け身を取るが頭は状況を把握出来ていなかった。

 視界の端でノエミィが崩れ落ち、悲痛な声をあげてるのが映る。

 

「ノエミィ!? 大丈夫か!?」

 狼狽するロビンの鼻孔に焦げ臭い匂いが漂った。

 

 まさか……

 ノエミィの後ろ足、大腿部から血が流れ落ち、その周囲の純白だった毛が無惨に焦げ落ちていた。

 彼女は苦悶の表情で気を失っている。

 

 ロビンは考えるより先にノエミィの前に身体を投げ出し、杖を取り出して防御魔法の姿勢を取った。


 亜人狩りッ!?


 騎士団支給の杖を持つ手を微かに震えさせてるのは、緊張か怒りか……。

 一秒。

 二秒。

 ようやくロビンは自分の心臓が早鐘のように鳴っている事に気づいた。

 一体どこから? 追撃は?

 だが大木の陰から魔弾の代わりに飛んできたのは、場違いな笑い声だった。

 

「ギャハハハッ! マジかよおい! 狼を狩っちまったぞ! 俺ァ」

 仕立てのいい服を身にまとった、だがそれに似つかわしくない下卑た笑いを浮かべている青年が姿を現した。

 その手には大型の杖が握られている。狙撃魔法用に指向性を高めるための杖だ。

 青年の後ろには体格のいい中年男性がまるでボディガードのように付き添っている。

「お見事ですラルフ様」

 恭しく青年――ラルフを褒める中年男性。ラルフが何らかの高い身分にいるのだろうとロビンは推察した

 

「お前が最近この森で亜人狩りをしているハンターか?」

 ロビンは多大な自制心を以って、殴りつけたくなる衝動なんとかを抑えながら冷静な口調で尋ねた。

 

「なあおい見たか!? 走ってるマトに見事命中ゥ~! 感謝してくれよな? 俺がヘタだったらアンタをふっ飛ばしてたんだ」

「今は俺がお前をそうしてやりたい。 質問に答えろ」

「んだァ? その口の聞き方はァ? ああ……アンタ騎士団サマか」

 ようやくロビンが付けている紋章や杖の種類に気づいたのだろう。ラルフはめんどくさいことになったとばかりに舌打ちをして続けた。

「そうだよ、ここ最近のはぜ~んぶオレの成果だ 」


「お前はッ……」

「ロビン先輩!」

 森の方からキャトリンが駆けてきた。そんな彼女をラルフがマジマジと見定め、舌なめずりしたことに、ロビンは生理的嫌悪感を覚えた。

 

「武器を捨てて手を上げなさい!」

 キャトリンが騎士団支給の小型の杖をハンター二人に向け、油断なく鋭い視線を向けた。

 正規の手順をきっちりと踏んでいる彼女が先輩よりもずっと冷静だと気づき、ロビンは自分を恥じた。

 怒りに震える手を押さえつけて杖を構える。

「現行犯だ。言い逃れは出来ない。お前たちを拘束する」

「……それが嫌なら抵抗したっていい。いや、ぜひそうしてくれ」

 その言葉にキャトリンが目を丸くしたが、 ロビンはラルフの足に杖を突きつけ言い放った。

 

「なぜかって? 合法的にお前の脚を吹き飛ばせるからな?」


 仮にも誇り高い職業とされている騎士団員から出たその言葉に、ラルフはわずかに怯んだように後ずさった。

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