第28話


         ※


 あれやこれやの作戦の中身が伝えられ、俺は整理しながらそれらを頭に叩き込んだ。

 さて、機械室の一角を借りて、銃器のメンテナンスでもするかな。

と、思っていたら、ヴィーナスに呼びつけられた。


「絢斗くん、ちょっといい? 薫ちゃんは適当に遊んでて。絢斗くんはすぐ返すから」


 完全に物扱いである。別に構いやしないけど。

 体調がだいぶ回復してきた俺は、一人で席を立ってヴィーナスについていくことにした。

 ふっと、見えない何かに後ろから軽く掴まれたような気がしたが……。


 薫が何か、俺に声を掛けようとしたのだろうか? 今は作戦会議の延長線上にあたる時間だし。しかし、もし仮に、薫が俺を引き留めようとしていたとしても、俺は気づかないふりをしていようと決めている。

 俺だってピリピリしているし、その感覚はヴィーナスも把握してくれている。

 それに、俺は彼女のカウンセラーじゃない。


 ……などと割り切れるほど、自分は大人ではないな。そんなことも自覚はしている。

 俺は何気ない風を装って、薫の方を振り返った。


「おいおい、どうしていつも強気なお前がしょげてるんだよ? 俺まで調子が狂うじゃねえか!」


 ぱしん! と俺は薫の肩を勢いよく叩いてみる。それでも、薫は怒り出すどころか、俺の顔を一瞥しようとすらしない。

 俺は再び、ただし軽く、ぽんと薫の肩に手を載せ、踵を返した。


         ※


 俺は博士に先導されて、いくつかの研究室と思しき部屋の前を通り過ぎた。

 何が研究・開発されているのかは、あまり考えたくはない。


 やがて到着したのは案の定、ヴィーナス博士の研究室の前である。


「それでどうしたんですか、博士?」

「いやあ、ご足労感謝しますッ! って感じよねえ。ま、いいから座って座って!」


 ずるずると丸椅子を引っ張ってくるヴィーナス。本当は立っている方が気が楽なんだが、今は素直に彼女のご厚意にあずかることにする。


 何事かと尋ねようと、俺は口を開こうとした。が、それを遮るようにヴィーナスは語り出した。


「今から実験をします。左腕をまくって、この機械に差し込んでみて」

「はッ」


 なんの実験なんだ? よく分からないが、俺は言われた通り腕を伸ばした。肘あてで腕を固定する。するとヴィーナスが何かを取り出した。バーコードリーダーのように見える。


「最初、少しだけパチッとするからね」


 という警告通り、静電気のような軽い痺れが左腕に走った。バーコードリーダーが四、五回ほど行ったり来たりを繰り返す。発せられる青い光が、深海のそれを連想させた。


「うん、大丈夫そうね。あと十三時間十九分、と」

「あの、博士。今更なんですけど、これは何の検査なんですか?」

「ほら、自分の腕をよく見て」


 ふと見下ろすと、確かにヴィーナスの述べた数字が書いてある。


「そうか、これは能力付与の残り時間……」

「話が早くて助かるわ。ただ、心細いから一種類だけ選んで強化しておこうと思って。普通の時とあんまり変わらないかもしれないけど、念のためにね」

「なるほど――って、え? それっておかしくないですか?」


 すぐさま切り返した俺に、しかしヴィーナスは少しも驚かない。


「そう、絢斗くんの考えてる通り。光石による能力付与は、最大で三種類まで。他にも付与したければ、一旦現在の能力付与期間が切れて、さらに数日待つしかない。この理屈に従えば、四つ目の能力付与は不可能なはず。そう言いたいのよね?」


 大きく一度、首肯する。


「それができてしまうのよねぇ。だから頭が痛くなるのを我慢しながら、急ピッチで研究を進めているわけ」

「も、もしかして、大河原三佐が怪物になったきっかけって……」

「やっぱり同じこと考えてるわね、私と」


 背もたれ付きの椅子のキャスターで移動しながら、ヴィーナスはいくつかのディスプレイを起動した。作戦会議で見せられたものだ。

 しかし会議中には、三佐が怪物化した流れをヴィーナスは話題に出さなかった。


「どうしてこれを、皆に見せなかったんです?」

「まだ理論としての着地地点が見えなかったからね。中途半端な仮説を立てて、味方に死傷者を出すわけにはいかないの」

「そう、ですか」


 俺はヴィーナスを、ヴィーナスはディスプレイを、それぞれ見つめている。

 そのまま沈黙が続くこと、しばし。


「動くな!!」


 俺は声を張り上げた。先ほど支給された拳銃を抜き、出入口の方に向ける。

 敵がいる。じっくり照準を合わせていたのだろう、二発の弾丸が俺を掠めた。自分の頬を掠めて拳銃弾が飛んでいくのを感じ、俺も二発発砲する。


「博士、伏せて!」


 明らかに、ここから遠ざかろうとする人間の気配がある。

 この気配……。まさか薫か? いや、あり得ない。アイツが味方を裏切るはずがない。


「畜生!」


 部屋から出て、さっと首を巡らせる。右折した先に敵の背中が見えた。体術を駆使して疾駆するあの人物……。やはり七原薫だったか。この距離で、生身で追いつける人間はいまい。


「博士、ご無事ですか?」

「駄目ね」

「え?」


 ヴィーナスは、自身を椅子に座り直しながらそう言った。


「ゆ、ゆっくり座ってください! どこか怪我を……?」

「大丈夫、あなたがいてくれて助かったわ」

「はあ……」


 軽く消毒をしてもらい、頬に絆創膏を貼る。

 発砲音を訊きつけた警備員が廊下を封鎖したため、銃弾に晒される危険はなさそうだ。


「でも、どうしてあなたを狙ったんでしょう? 確かに、スライドドアの建付けが悪いのは問題でしたけど」


 そう言うと、ヴィーナスは親指で部屋の中央を指した。


「こういうことなのよ。薫ちゃんに砕かれちゃったわ。彼女がすぐに逃げ出したのは、光石の破片を手に入れて目的を達成したからでしょうね」

「破片? そんな馬鹿な! 光石はこの台座に置かれて――あれ? こんなに抉れてる……」

「このぶんだと、ある程度の破片を集めて自らに付与させれば、そこそこは化け物として動き回れそうね」

「そう、ですか」


 いやいや葉崎絢斗よ。よく考えろ。

 誰が光石の破片を奪った? 誰が化け物になりたいと望んだ? 人一倍責任感の強かったのは誰だ? ――あの馬鹿、自分で化け物になろうとしてんのか!

 俺は血が滲むほど唇を噛みしめた。


「落ち着いて、絢斗くん。状況を整理しましょう」


 ヴィーナスの助言。これを一蹴するのは簡単だったかもしれない。だが、俺に比べて彼女は極めて冷静だ。どうせなら、落ち着きのある人間の考えをお伺いしたい。

 俺はすとん、と丸椅子に座り込んだ。


 便宜上『化け物』という呼称をしてきた生命体。大河原三佐の様子を見るに、こんな特徴が共通している。


 狂暴性が高く、人間を襲う。ただし、捕食目的ではなく殺害を意図している。

 知性は維持されるので、知能戦を仕掛けてくる可能性がある。人質を取ることも。


「やれやれ……。まさかこの歳でこんな体験をすることになるとは思いませんでしたよ」

「あら絢斗くん、厭世的になっちゃったの?」

「否定はしません。だって、俺たちが訓練してきたのは対人戦ですよ? 異形の化け物を、ん……相棒を敵にしなければならないなんて」 

「あなたが気に病む必要はないのよ、絢斗くん。敵は敵、味方は味方。現場指揮官に従うの。頭は空っぽにしてね。そろそろ部隊ごとに招集がかかると思う。気をつけて」


         ※


 胸中に馬鹿でかい『もやもや』を抱かされた俺がヴィーナスの部屋を出ると、ちょうど警報が鳴り出すところだった。


《総員に告ぐ! 総員に告ぐ! 光石を乱用した戦闘員一名が、自らの身体を物理強化して逃走中! 戦闘員は直ちに地上階に上がり、戦闘準備に入れ! 繰り返す――》

「まっ、待ってくれ! 七原は……薫は違うんだ! アイツは先に化け物になった大河原三佐を止めるために……!」

「ちょっと、絢斗くん!」

「あん!?」


 俺がどんな顔でヴィーナスに振り返ったのか、まったく分からない。

 それでもヴィーナスは、大声で、しかし淡々と言った。


「なにやってんの、葉崎絢斗! 惚れた女のためなんだから、バシッと決めて来なさい!」


 俺は喉から意味不明な音を出したと思う。

 だが一番動揺したのは、『惚れた女のため』というフレーズだったのではなかろうか。

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