第27話


         ※


「その伯父さんが、あたしの身元請負人になってくれてね。伯母さんも了承してくれたし、二人共本当によくしてくれたよ。でもね、一つ困ったことがあったの」

「困ったこと?」


 俺は首だけを薫に向けながら訊き返した。こくり、と頷く薫。


「あたしが刑事になる、って言ったら猛反対されちゃったのよ」

「え」


 俺は短く、奇怪な声を上げた。突然のカミングアウトである。

 何故、伯父夫婦は薫が刑事になることを止めようとしたのだろう? その理由は、すぐに思い至った。


 一つ目は、純粋に刑事というのは危険を伴う仕事だから、薫に両親と同じ轍を踏ませたくなかったということ。親族としては当然だろう。

 

 もう一つ目は、薫が若すぎるということ。俺と同じくらい、すなわち十六、七歳であるにもかかわらず、国家の治安維持任務という重責を背負わねばならなくなる。


「時々、自分でも分からなくなる。私は善人を救いたいのか、悪人を罰したいのか。罪を憎んで人を憎まず、なんて原理、前線では通用しないでしょう?」


 俺は大きく瞬きし、肯定の意思表示とする。

 そして気づいた。今、薫は『前線』という言葉を使った。警官隊や機動隊では滅多に使われない言葉だ。まるで、現役の兵士のようではないか。


 薫の伯父伯母夫妻は、この《ヘキサゴン》での刑事への就任が、あまりにも危険な仕事だと思ったのだろう。

 そして、残念ながらその考えは大方当たっている。


 俺はゆっくりと身を起こし、俯き加減に自分の足元を見つめる薫に視線を合わせた。

 膝の上では、ぎゅっと結ばれた両手が微かに震えている。

 俺はそんな薫の手の甲に、躊躇なく手を載せた。

 薫は驚きはしたものの、俺の手を振り払おうとはしていない。


「薫、お前はこの任務から下りろ」

「なんですって?」


 目をパチクリさせる薫。何を言われているのか分からない、そんな顔つきだ。


「絢斗、あんただけにこの任務を押しつけて、警視庁でデスクワークでもしてろって言いたいの!?」

「その通りだ」


 怯むことなく、俺は言い切った。


「……あたし、そんなにあんたの足引っ張ってたわけ……?」

「そうじゃない。俺も、お前の伯父さんたちと同意見なんだ。お前の育ての親は伯父さん夫妻なんだろ? 親孝行しろよ、死んだら何もできないぞ」

「何言ってんの! あたしは警視庁が、ひいては日本国民がより平和に暮らせる世界を創るために――」

「俺はこの国より大事な両親を喪ったんだ。だからいつ死んでもいいと思いながら生きてる」

「そんな! 馬鹿馬鹿しいわよ、そんなこと! あんたのことを大事に思ってくれてる人は――」


 俺は、だはぁ、と大きな溜息をついた。こんなに酷く疲れた溜息をついたのは初めてかもしれない。


「俺にはいない。大河原三佐があんな化け物になっちまったら、実質育ての親も喪われたのと同義だからな」

「まさか、あんた……!」

「俺の命はお前の命より軽い。そう言ってるんだよ。いい加減気づいてくれ」


 肩を竦めて、ふん、と鼻を鳴らす俺。理想的な、脳内お花畑のような甘ったるい考えに囚われて、身動きが取れなくなる。そんな仲間の姿を、俺は何度も見た経験がある。そして彼らの多くは、隙を突かれて死傷した。

 七原薫――、彼女にはそんな目に遭ってほしくない。


 俺は、かくん、と上半身を脱力させた。――そう認識した時、凄まじい衝撃が俺の頬を襲う。骨折などとは異なる、鋭い痛みだ。


 何があったのかを察するのに、今回ばかりは手こずった。頬に痛みが走っているが、致命傷ではない。素手によるダメージだろうか。

 では誰が? ここに俺と薫しかいないのは明白な事実だ。

 どうして? それは犯人を特定して確認を――。


「馬鹿!!」


 突然頭上から浴びせられた怒号に、俺はベッドから跳び上がりそうになった。


「な、なん……薫……?」

「なに酷いこと言ってるのよ! あんたの命があたしの命より軽い、ですって? そんなわけねえだろうが!」


 お、おいおい、口が悪くなってるぞ。頬が紅潮しているし、こめかみからは湯気が立ち昇ってきそうだし。鬼のような形相、とはまさにこのことか。


 どんな言葉をかけるべきか。俺も薫も、即答はできなかった。

 俺は薫に引っ叩かれたことを理解したが、彼女の心情までは分からない。

 薫は確固たる意志を以て俺を叩いたが、言葉を紡ぎだせずにいる。


「薫、大丈夫か? これで気が済んだと言ってもらえると気が楽なんだがな……」

「……」


 薫の瞳の涙の膜が膨れ上がり、重力に耐えかねて頬を伝っていく。

 俺は、そんなに酷く彼女を傷つけてしまったのか?

 それとも、薫は自戒の念に囚われているのか?


 微かな呼吸音が、病室のエアコンの駆動音に混じってゆっくりと広がっていく。

 しかし、それも長くは続かなかった。天井に配された小型スピーカーから、電子音が軽妙な音を吐き出す。


《葉崎絢斗くん、七原薫さん、作戦概要がまとまりました。すぐに第一小会議室に来て頂戴。入り組んだ話もしなくちゃならないしね。んじゃ、よろしく》


 ヴィーナス……。なんともマイペースな御仁である。


         ※


 肩を貸そうとした薫を軽く突き離し、俺たちは真っ白な廊下に歩み出た。

 来たことのない場所だが、確かに普通の医療機関とは異なるようだ。

 廊下がやや広い。大勢の負傷者が搬送されてきた際に、二台の担架が容易にすれ違うことができるように、だろうか。


 ぎゃあぎゃあ騒いでいたお陰で、身体の感覚はすぐに戻ってきた。と同時に、大河原三佐に吹っ飛ばされてきた薫を受け止めた時のことを思い返す。

 外見からして、三佐は怪物だ。潜在能力を推し測ることはまず不可能。

 それでも、あの時の三佐には余裕、というか情けをかけるだけの『心』があったような気がする。


 警備員とすれ違う。彼は肩からホルスターを吊るし、小口径の拳銃に手を当てている。

 もちろん俺は武装解除された状態だ。ううむ、非武装であるという事実が圧し掛かってくる。俺は全身に鳥肌が立つような感覚に囚われた。単にエアコンが効きすぎているからではあるまい。


「えっと、ここね」


 未だに沈んだ口調のまま、先を行く薫が伝えてくれる。

 入室すると、そこは薄い、緑色のパステルカラーを基調とした部屋だった。学校の教室を一回り小さくした程度の広さ。当然かもしれないが、極めて衛生的だ。

 教壇にあたる部分が一段高くなっていて、そこから見通しの良い空間と机や椅子が並べられている。


「いらっしゃ~い、お二人さん! ……って、私のテンションの方がアウェーのようね。失敬」


 そこにいたのは、きっちりした灰色のスーツを纏ったヴィーナスだった。

 失敬、とか言いながら、反省の色は全く見えない。俺はどうでもいいとしても、薫のメンタルケアはまともに行っていただきたいもんだ。


「それで何事ですか、博士?」


 飽くまでも落ち着いた風を装って、薫が尋ねる。理由は定かでないけれど、俺には今の彼女の顔を覗き込む勇気はない。彼女を傷つけたという自覚があるからだ。


「まあ、席に就きなさいな。あ、時間的には余裕があるから、その点は安心してね」


 俺は軽く机に手をつきながら、ゆっくりと腰を下ろした。

 隣には薫。雰囲気から察するに、今はもう落ち着いているようだ。


「二人に来てもらったのは他でもなく! 大河原弘毅・元三等陸佐を駆逐する作戦に協力してもらうためッ!」

「……は?」

「……は?」


 俺と薫は、同時に間抜けな声を発した。いやいやいやいや、協力もなにも――。


「俺たちは端から参加するつもりでしたけど」

「あ、そう? じゃあ作戦要綱に移るわね」


 いや、当然だろうよ。それはさておき。

 ホワイトボードにプロジェクターの画像を展開し、ヴィーナスは語り始めた。

 

「これが現時点での、予測し得る三佐の姿ね」


 パチン、と画像が切り替わる。


「……これが、三佐?」


 俺はぽかんと口を開け、薫ははっと手で口元を覆った。

 そこに映し出されたのは、やや背中の曲がった、暗緑色の人型の化け物だった。

 

 全身は鱗で覆われ、その隙間から体毛が伸びている。

 両腕には鋭利な爪が生えていて、それが主戦闘装備なのだろう。

 脚部はがっしりしていて、高速移動も可能だろう。


 最も奇異だったのは、その顔だ。人間の時と、ほとんど変わらない。

 頭部がやや肥大しているのは、人間でいた時の知性を維持するためか。


「体高は約四メートル。外見からして、移動速度も対外防御性能も高いでしょうね。しかし一番の問題は、この化け物――いっそ『三佐』と呼んでしまいましょうか――、その目的が分からないということです。望むべくは、捕縛して情報を吐かせること。しかし、生命の危険に陥った際には戸惑うことなく、頭部を攻撃してください。弱点らしい弱点は、そこしかありません」

 

 俺は僅かに口を動かした。

 ……大河原三佐、あんたは何者になっちまったんだ……?

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