第29話


         ※


 事態は予想以上に悪化していた。《ヘキサゴン》地上部には、既に二体目の化け物が現出してるという。間違いなく薫だ。

 大河原三佐と七原薫。この二人(いや、今は二体か)は、互いの存在を認識して威嚇合戦をしているとのこと。


 緊急連絡で送られてきた薫と思しき怪物の様子。理由は分からないが、薫は人間としての身体を維持していた。両腕、両足、頭部など、大雑把に見れば人型である。上空から見ると、その上半身はまるで花の蕾のように、何層にもわたって構成されていた。

 妙に華奢に見えるのは、やはり無駄な筋肉がついていないからか。


 地上へ続く大型エレベーター。その中で、外部マイクの拾った怪物二体の遣り取りが聞こえてきた。それは明確に人間の、日本人のもので、まだ意思疎通が可能であることを示している。


《その姿……。七原薫・警部補だな?》

《そういうあんたは大河原弘毅・三等陸佐で合ってるかしら》

《いかにも。四回目の光石からの福音に恵まれてみたら、実際自分が化け物になってしまったよ》


 この時、両者の身長は共に十メートルを越えていた。《ヘキサゴン》の特性上、高層ビルはほとんど存在していない。大体の建築物は二体の化け物よりも低いため、怪物が随分と巨大に見える。


《落ち着いて聞いてくれ、七原警部補。私の使命は某国の実験体となって戦闘任務をこなし、最終的に多くのデータと共に日本に戻って来て、この国の国防力を上げることだ。最初は誰にも理解されんだろうし、妨害が入るんじゃないかとは思っていたが……。まさか君がお出ましになるとはな》

《あなたの負けよ、大河三佐。あたしは今からあなたを拘束する。文句はないわね?》

《できそうかね?》

《尋ねているのはあたしの方。怪物化した上での器物損壊、及び無差別殺人・傷害の現行犯で、あなたを逮捕します》

「それは困るな。私は怪物『第一号』。今述べたように、やっておかなければならないことがある。君も怪物になる時点で、思い当たる節があるんじゃないか?」

「あんたと同じ実験台になれ、と?」

「そうとも。まさか『第二号』もまた手に入るとは、先方も予想していなかっただろうがね」

「あんたを仕留めたら、あたしは人間の姿に戻る。誰の研究素材になるつもりはないわ」

「ほう? では、少しは気骨のあるところを見せてくれよ、警部補殿」


 ようやく地上階に到達した俺は、自動小銃を構えながら前進。他の戦闘員と共に、瓦礫を飛び越え、時には押し退けながら接近を試みた。

 標的は『第一号』、つまり大河原三佐の脚部。怪物になったからといって、倒せないという道理はあるまい。


「がっ!」

「どうした?」


 先頭にいた戦闘員が、何かに弾き返された。見えないバリアでも展開されているのだろうか? 三佐に気づかれないよう、慌てて瓦礫の陰に隠れる俺たち。

 件の戦闘員は軽傷で済んだが、住民の退避もままならない状況で大規模火器は使えない。どうする……?


《三佐を倒して!》


 悲鳴のような声が、各員のヘッドセットに響いた。


「ヴィーナス博士! どうしたのです?」


 隊長がすぐさま応答する。彼を始めとした俺たちに、ヴィーナスは語り出した。


《空自より緊急連絡! 小笠原諸島近辺に、多数の船舶を確認! 船籍はアメリカ合衆国! ここからは予想だけれど、きっと大河原三佐は自分の身体に異変が生じるのを見越して、米軍に回収ポイントを指示していたのよ!》

「怪物となった今の自分をも回収できるように、大規模な捕縛装置の設置を試みている、と?」

《そうそうそうそう! 七原警部補は動きが制限されているから問題ないけど、三佐は好き放題に暴れることができる! なんとか今ここで仕留めるのよ!》

「了解! しかしバリアが――」


 俺は脳みそを、未だかつてないほどに回転させた。

 バリアだかなんだか知らないが、並大抵の『威力』だの『速度』だので破損させることは難しいだろう。銃弾や爆発物では、三佐にダメージを与えられない。


「だったら……!」


 俺はポケットに手を突っ込んだ。

 ヴィーナスのラボで半壊させられた光石の塊。そのうちの一つを、俺も拝借していたのだ。


「こいつを上手く使えば、バリアを破れないか……?」

「何をぶつぶつ言っているんだ、葉崎二曹!」

「自分が先陣を切ります! バリアを破ることが出来そうなんです!」

「それができれば誰も苦労は――っておい!」


 隊長を肩で退けるようにして、俺は再度バリアに突撃。胴体回りにはありったけの榴弾砲と砲撃用のランチャーを巻きつけている。


「今までありがとよ、三佐……! 親父としちゃ悪くなかったかもな!」


 ぐっと歯を食いしばり、俺はバリアの接触部位の手前で跳躍した。


「うおらあっ!!」


 ガラス片の角を丸くしたような、金色に輝く光石の破片。俺の手から飛び出した部分が、キィン、と甲高い音を立てて、バリアと接触した。


「んっ! 貴様、何をしている!?」


 ヤバい。三佐に気づかれた。流石に外界との接触でバレたか。同時に光石が俺の手から滑り落ち、ある程度の範囲に渡ってバリアを斬り開いた。


 俺は急いでその場に伏せた。瓦礫の上に自動小銃を固定させ、がしゃり、と初弾を装填。狙うは三佐の右足首だ。

 この部隊の隊長は、どうやら話の通じる人物である様子。作戦会議で二、三言交わしただけだが、それでも俺のやろうとしていることを分かってくれたようだ。


《対戦車ライフル、対物バズーカ、あるだけ持ってこい! 工兵は爆薬の設置用意! 怪物の足を吹っ飛ばしてやれ!》

《了解!》


 皆に先立って、俺は銃撃を開始した。バリアの内側は、不思議な淡い金色の気体に満ちている。できるだけ深入りしないように注意しつつ、ポイントを絞って集中砲火。

 伏せろ! という言葉に身を縮めると、凄まじい速度と火力を有する弾丸が、我先にと三佐の左足に殺到した。


 三佐は獣とも、軋む金属ともつかない雄叫びを上げる。


「貴様ら! ここまで来ておいて、俺は引き下がるわけにはいかんのだ! 虫けら共が!」


 おいおい、同じ釜の飯を食ってきた仲間を『虫けら』って……。ますます許せねえな。

 俺の脳みそがカチン、と鳴ったところで、新たな命令が下った。


「総員、一時撤退! 工兵は爆発物の設置作業に入れ!」


 おっと、これでは踏んづけられてしまう。俺は半回転して道の中央を空けた。

 爆薬の入った筒状の部品を担ぎ、三佐の足首に巻きつけていく。


 その時、俺の背筋がぞくり、と不気味に震えるのが分かった。見上げると、そこには化け物と化した三佐の顔がある。その頬が歪んだ。まるで人間の悪党が、人質に拳銃を突きつけるかのような。


 三佐が足の向きをずらす。この動きは――、尻尾で皆を薙ぎ払う気か!


「ッ! 皆、避けろぉ!!」


 叫んでいる場合ではない。俺は俺自身を守らなければ。いや、守れるのか?

 続けざまに思い浮かんだのは、これまでの訓練やら、忘れかけていた両親の笑顔やら、三佐と過ごした厳しくも暖かい日々やら。


 しかし、結局それらを総合しても、三佐の右足に浅い傷を負わせただけだったか。


「……悪いな、薫」


 そう呟くと、俺の胸に何かが生まれた。刻まれたと言ってもいい。

 俺は目を閉じ、なんと書いてあるかを読み取ろうと試みる。


《諦めるのはまだ早いんだよ!》


 それと同時に、我が目を疑う速さでアスファルトが舞い上がった。俺たちは呆気なく吹っ飛ばされる。ただし、車のボンネットや街路樹の葉の中など、ほぼダメージを受けずに済む場所へ。


 グオオオッ、という唸り声。タクシーの屋根からそちらを見ていると、三佐が呆気なく転倒するところだった。尻尾に蔦のようなものが巻きつき、引き倒されたのだ。

 猛烈な砂埃を立てながら、三佐はずるずると引き摺られていく。


「な、なん……?」

《あたしがやったの。分かるでしょう?》

「いや、薫、お前がやったのは分かるんだが……。だ、大丈夫なのか? そんな身体になっちまって……」

《ええ。直感だけど、あたしが化け物でいられるのもタイムリミットがあるのよ。心配しないで》


 理由は分からないが、この時俺の脳裏をよぎったのは、全裸の薫を抱きしめた時の安堵感だった。

 卑しい場面を思い出しているだけだ――。そう言われてしまえばそれだけ。

 だが、俺の心を勇気づけ、戦いに向かわせてくれているのが、薫の存在であることは紛れもない事実だ。

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