第11話【第三章】

【第三章】


 俺と七原は、助っ人になってくれた男性に続いて階段を上っている。


「この部屋だ」


 男性が立ち止まったのは、二階の角部屋。素早く開錠し、周囲を見回しながら早く入室するように俺たちを促す。

 ちなみに俺は、足を負傷した七原に肩を貸してやっている。


「無理するなよ、葉崎」

「ありがとうございます、大河原三佐……」

「気にするな、お前は可愛い後輩だからな」


 ふっと笑顔を見せる男性。顔中の皺や傷痕が隠れて、人懐っこさを感じさせる笑みだ。


「君は……七原薫・警部補で合っているかね?」

「はッ!」

「ああいや、そのままで構わんよ。怪我に響いたら大変だ。私の部下が……葉崎絢斗・二等陸曹が随分世話になっているな。かたじけない」

「い、いえ、世話だなんてそんな……」


 僅かに頬を染める七原。ふぅん、結構可愛いじゃん。

 などと似合わないことを考えているほど、俺は暇ではないはずだ。眼前に三佐の顔がいなかったら、俺は即座に正気になれなかっただろう。


 大河原弘毅・三等陸佐。陸上自衛隊内の外郭組織、通称セントラルから派遣された、歴戦の猛者。しかしまさか、我々と時を同じくして《ヘキサゴン》のデモ鎮圧任務のために派遣されていたとは。いったいどんな偶然なんだか。

 

 何だか素っ気ないことを考えているが、俺は三佐に対して大きな借りがある。

 かつて身寄りのなかった俺の親代わりを買って出て、戦闘訓練を施してくれた人物だ。


 浅黒い肌に、常人離れした身長に肩幅。殺しても死にそうにない、とはまさに、彼のためにあるような言葉だ。

 かといって、彼の身体が超合金でできているわけではない。歴戦の猛者であることは、顔に刻まれた銃創がこれでもか、と主張している。右頬を抉るような、完治の見込みのないほどの傷だ。


 そんな大河原は、任務の性質上海外に行くことが多く、取り残された俺は寂しい思いをしていた。

 しかし、そんな日々も長くは続かなかった。理由は単純で、俺も三佐の補佐役として任務へ――下手をすれば死地となり得る場所へと同伴するようになったから。


 これだけ聞けば、仲のいい師弟関係だと思う人もいるかもしれない。

 だが現在の俺と三佐の関係は、一概に仲良しだというにはやや殺伐とし過ぎている。


 彼は三年前、東南アジア某国の治安維持任務に就いた。俺が最後に彼と言葉を交わしたのは、彼が出立する前日のことだ。

 といっても、目ぼしい話題があったわけではない。そもそも、当時は三佐がその任務に就くのだということさえ、これっぽっちも思っていなかった。


 どうやら今回の任務では、離れ離れになってしまった。

 俺がそう察するのに、一週間ほどの時間を要した。いくら同じ組織の人間同士だからといって、他人の任務内容やその危険度、果ては派遣先の大まかな地域情報さえも、易々と話題に上げるべきではない。

 それが、俺たちの間の暗黙の了解だった。


 大河原三佐は、俺たち二人を部屋に通してから自らも入室し、鍵をかけた。

 いつの間に細工をしたのか、随分と厳つい南京錠までついている。

 三佐本人は、自分のスポーツバッグからボトルを三本、取り出すところだった。


「経口栄養剤だ。ゆっくり飲め。胃痙攣を起こすといかん」


 俺は了解、と告げて、差し出されたボトルの片方を手に取った。


「下ろすぞ、七原」

「え? ここに?」


 七原が戸惑ったのも無理はない。部屋には、生活感を漂わせるものが何もなかったからだ。ベッドもソファも、座布団すらも。

 強いて他の部屋との違いを挙げれば、ベランダの柵が歪んでいること。三佐はそこから、大口径の対戦車ライフルで佐々木を狙撃したのだろう。

 あれだけの高速戦闘を展開していた七原を避けながら弾丸を撃ち込むとは。


「流石ですね、大河原三佐」

「いや」


 短く否定する三佐。彼が振り返るのも待たずに、俺は七原の上半身をそっと持ち上げた。

 正座し直し、自分の膝の上に彼女の頭部を載せる。


「ちょっ、あ、あんた、一体何を……!?」

「膝枕だ。足をやられると全身のバランスが狂っちまう。騒がないで頭を載せてろ。ほら、栄養剤だ」

「ばっ、馬鹿にしないで! そのくらいあたしは自力で――いたっ!」


 俺はやれやれとかぶりを振るに留める。意地を張るなと怒鳴りつけてやりたかったのは山々だが。


「いいな? ちゃんと喉を通せよ。ゆっくりな」

「うっさい! いいからさっさと飲ませなさいよ!」


 僅かにボトルを傾け、慎重に七原の喉に栄養剤を注いでいく。


「大丈夫か?」


 尋ねてみたものの、七原には否定も肯定もする手段がない。ただ一つ分かったのは、七原がその真ん丸な瞳で俺を上目遣いに見つめているということだ。

 

 ほんの一瞬、心臓が妙な脈を打った。……ような気がする。

 確証もないままに、俺は七原の頬に手を差し伸べていた。


 俺の指先と七原の頬が、だんだん近づいていく。さらに小刻みに開閉を繰り返す、七原の瞼。

 俺が思いっきり指の関節を伸ばした、次の瞬間。


「ぶはっ! 喉が詰まった! 殺す気か!」


 そう言って七原からヘッドバットを喰らったのは、その直後のことである。まったく、理不尽な世の中だ。


         ※


 その後、三佐は七原の足の処置に入った。

 部屋の隅の医療キットを引き寄せ、素早く麻酔注射をする。


「七原警部補、今麻酔をかけたからな。骨に異常がないかどうか、そこから確認する」

「了解です」


 しかし、俺は見た。注射器の側面に全身麻酔用、との言葉が並んでいるのが。


「三佐、それは?」


 すると三佐は、くいくいと俺を指先で呼び寄せた。手で小さくメガホンを作り、囁く。


「言いたいことがあるのだろう、葉崎? 聞いてやる。ただし七原には駄目だ。彼女が意識を取りもどす前に、質問を済ませろ」

「え、ええっと」


 俺は三佐に関することをできる限り思い出そうとしたが、なかなか上手くはいかなかった。

 当然だ。訓練に付き合ってくれた時以外は、ずっと俺には――特に幼かった頃の俺には――時間を裂いてくれなかった。


『三佐は世界を守るために戦っているのだ』という、三佐の部下を務めていた人物の言葉に縋るしかなかった。


 では実際のところ、大河原三佐はどのようにして世界を守っていたのか? 

 彼の下での任務遂行を志した俺は、しかし、そこで衝撃の事態に巻き込まれることになる。


 今の俺を構成したのは、まさにその衝撃の事態によるところが大きい。


         ※


「ああ、やはりな」

「……」


 俺という部下がなんとか言葉を捻り出し、語って聞かせたというのに、三佐の態度は実に淡泊だった。


「あの時のことが、ずっとお前を縛りつけている。そう言いたいんだな?」


 俺は視線を三佐に向けたまま、ぐっと顎を引いた。

 それに一瞥をくれただけで、三佐は七原の足を固定する作業に入ってしまった。


「彼女にはここを脱出してもらう。この足では到底戦えん。ヴィーナス博士に、脱出の算段をつけてもらわなければな」


 俺はふっと息をつき、腕を組んだ。


「その後釜があなた、ってわけですか。大河原三佐?」

「そうせざるを得まい。私の任務は飽くまでも偵察だったのだが……。今、この街で一人っきりで行動するのは自殺行為だ」

「ですね」


 素っ気なく答えてやった。階級的に、こんな受け答えはよろしくない。だが、俺と三佐の間には、『上官と部下』以外の繋がりがある。疑似家族、とでも呼べばいいのだろうか。


「ところで三佐、あなたもヴィーナス博士と連携を?」

「そうだ。逆に彼女からすれば、我々はお得意様というわけだな」


 当然ながら、俺はヴィーナスの日常というものを知らない。何の実験や研究をしているのか……。それよりは、やはり今回の様な非常時における、作戦参謀としての色が濃いかもしれない。


 そんなことを考えているうちに、三佐は七原の足の処置を終えていた。

 七原は、今は目を閉じて穏やかな寝息を立てている。


「俺はこの部屋が当局――っていっても、本当は味方なんだがな、警察組織に特定されるまで約五時間と読んでいる。ヴィーナス博士による、周辺の監視カメラの映像のすり替えと、緊急通話の通信攪乱のお陰だ。取り敢えずお前は風呂に入れ」

「は、はッ」

「それと、上がったらちゃんと七原警部補にも入るように伝えろ。二人共、煤塗れで泥塗れだからな」


 確かに、衛生環境の良し悪しというのは、士気に直結する要素の一つだ。

 俺がふむふむと頷いていると、三佐は隣室に引っ込んだ。自分たちに都合のいいように根回しをすべく、あちこちと連絡を取り合うつもりなのだろう。


 俺はふっと息をつき、七原の寝顔を一瞥してから、部屋の隅に置かれた洗面用具を取りに行った。

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