第12話


         ※


 さっさと身体を洗い、湯舟に浸かって過ごすことしばし。

 本当はこんなにのんびりしている場合ではないのだが、俺はついつい長風呂をしてしまった。


 大河原三佐に久々に会ったことで、過去のことが思い出されたのだ。

 とりわけ、東南アジア某国で俺が三佐に同行した任務のことを。

 その時に絶対に必要だと思ったのが風呂だった。


 毎日やってくるスコール。鬱陶しい木々や羽虫。どこから飛んでくるのか予測のつかない敵の銃弾。

 まあ、敵といっても俺たちの存在を知らないのだから、直接狙われたことはないだろう。

 だが、連中からして『仲間ではない』人間は、すなわち『自分たちの敵』と認識してしまう。否、認識しなければならない。

 結局、危険な任務であることに変わりはなかった。


 一番酷かったのは、敵地の油田とその関連施設に給電するための変電所を破壊する、という任務。

 敵の裏をかくため、俺たちはスコールの真っ只中に前線基地を出た。指揮官は大河原弘毅・一等陸尉(当時の階級)で、俺を含めた合計人数は八名。

 皆が俺の肩を叩き、励ましてくれた。


         ※


 初めて防衛省に連れていかれた時は、奇異な目で見られたものだ。

 実戦部隊の、それも《セントラル》の訓練風景の見学に来ている少年は、一体何者なのか。

 俺自身の存在を無視して、その場で一尉に詰め寄る隊員もいた。こんな子供を連れ込んでどうするのかと。


 しかし、一尉の命令で俺が訓練に参加すると、誰もが目の色を変えた。

 簡単に言えば、一端の実戦部隊の隊員としての素質を認められたのだ。


 中でも優秀だと言われたのは、やはり銃撃。

 流石に大人には敵わなかった。だが、初めて銃を手にして、驚異的な精度の射撃を行った事実は、隊員たちの信頼を勝ち取るのに十分だった。

 今まで俺が拳銃に触れたことがなかったという事実も、彼らの驚きに拍車をかけた。

 

 ここで大きな問題が持ち上がる。大まかに分けて、三つだ。

 一つ目。仮に俺を自衛隊員にするとなれば、俺が年相応になるまで待つ必要がある。

 二つ目。同時に、外郭部隊セントラル直属の隊員は常に人員不足だった。あらゆる能力に秀でた人間でなければ、とても任務は務まらない。

 三つ目。もし世間に知られている部隊に俺を参加させたとしたら、それも大問題を引き起こす恐れがある。こんな幼い少年を戦場に派遣するのか、という世間からのバッシングだ。


 これらを加味した結果、俺の学力(主に言語関係)と戦闘力をできうる限り底上げし、世間から存在を伏せられている《セントラル》の隊員にするのがいいだろう――と、いう結論に至った。


 これで俺は《セントラル》入隊を果たし、戦地へ赴くこととなった。

 しかし、訓練中だったある日、俺は四つ目の問題にぶち当たる。


 俺の身分をどう扱うか。それを決定する過程で、俺自身の意志が尊重されなかった、という問題だ。


 当時の俺は、小学校卒業をするかしないかという年頃だった。だから、大河原一尉が俺の扱い方の決定を任され、その意見が最終段階まで貫かれた、ということらしい。


 それを察してしまった瞬間、俺の平常心は一気呵成に崩壊した。

 突如として胸中に真っ黒い靄状の何かが現れ、俺の四肢から感覚を奪い去っていく。

 動悸がする。頭が痛い。胃袋の底から何かがこみ上げてくる。

 そのまま全身が脱力してしまった俺は、一旦医務室へ運ばれることとなった。


         ※


 結局のところ、俺の存在は《セントラル》の隊員のみの知るところとなり、俺は密かに、一尉の下で研鑽を積むことになった。

 どうして大河原弘毅・一尉が俺の育ての親を買って出たのか、俺は知らない。正直、知りたくもない。

 だが、互いに思うところ、いわば信頼のようなものがある、と言える程度の仲にはなっていたと思う。


 そんな中で――確か一尉の海外派遣に同伴したのはこれで五回目だったと思うのだが――、訪れたのが東南アジア某国だったのだ。


 スコールの重い雨粒に打たれながら、ゆっくりと前進していく俺たち。

 この、視覚も聴覚も利きづらい風雨の中で、『その存在』に最初に気づいたのは一尉だった。

 俺は素早く視線を巡らし、『その存在』に照準を合わせる。


 そこにいたのは、一人の少女だった。俺と比べてもまだ幼く、ボロを纏ってクマの縫いぐるみを手からぶら提げていた。

 この豪雨に見舞われたジャングルで、少女の存在はあまりにも異質だった。自分が敵性勢力と同じ思考回路を持っていたら、見つけ次第即射殺したはずだ。


 だが、現実は違った。

 本当の現実というものは、俺の想像を遥かに越えて過酷だった。


 ハンドサインを出して、部隊の前進を止まらせた一尉。それからすぐに、俺ともう一人の隊員を指さし、続けて少女を手で示した。

 妙な武装をしていないかどうか、確かめてこいということなのだろう。


 正直、戸惑った。ここは俺たちにとって立派な敵地なのだ。偵察ならまだしも、明らかに怪しい対象物の確認をさせるとは、一体何を考えているのか。


 それでも命令は命令だ。

 俺は丸太を乗り越え、先発しようとした。が、すぐに肩を掴まれ、足を止める。もう一人の隊員が、自ら先発すると表したのだ。

 俺は一旦しゃがみ込み、ヘルメット対応型のゴーグルを上げて、大きく頷いた。すぐにゴーグルを装着し直し、先発した隊員と三メートルほどの距離を空けながら進んでいく。


 ぬるり、と泥水がブーツを捉え、嫌な汗が全身から発せられる。

 何か、嫌なことが起こる予感がする。

 

 いや、ここは訓練通りにやればいい。先発した隊員の真後ろから離れ、二方向から少女に接近する。


 俺が自動小銃の狙いを少女から外し、歩幅をより縮めようとした、次の瞬間だった。


         ※


「うわあっ!」


 気づいた時、俺はひどく混乱していた。

 意識は一気に現在にまで引き戻され、しかし何が何だかよく分かっていない。

 一つ確かなのは、先発した隊員がバラバラになって――。


「おい、しっかりしろ、葉崎! ここは安全だ、誰もお前を殺しに来やしない!」

「お、大河原弘毅・一等陸尉……」


 がたがた震えながら、俺は辛うじてその名前を口にした。


「馬鹿言うな、俺は昇格したんだ。今は三等陸佐だよ」

「え? え、あ、あぁ……」


 数回瞬きをしたことで、俺はようやく現在の状況を理解し始めた。

 そうだ。ここはジャングルじゃない。《ヘキサゴン》の住宅地だ。そして俺は任務中。


「大河原三佐……。さっき合流して、あなたのセーフハウスへ……」

「そうだ。そうだぞ、葉崎。また嫌な夢をみたんだな」


 俺は無言で額に手を当て、がっくりと項垂れた。

 この期に及んで、俺は自分が壁に背を当てて座っていることを察した。両足は無様に投げ出されている。


「彼は……、先発した彼は、無事ですか?」


 一瞬、三佐の瞳がぎらり、と輝いた。そして発せられた、なんの気遣いも躊躇いもない言葉。


「いや。あれは典型的な自爆テロだ。残念だが」

「そう、ですか」

「気に病むな。私の判断ミスだ。お前にこんなトラウマを植えつけてしまって、すまないな」

「……」


 いや、待てよ。

 俺は一つの考えに至った。仲間はまだいるのではないか?


 老若男女、その姿はいくらでも想像できた。しかし、もしもう一度出会うことが叶ったら、すぐに俺には認知できる。相棒と呼んでもいいくらいのヤツだ。


「あっ、そうだ!」


 俺は勢いよく立ち上がった。慌てて身を引く三尉。

 だが、俺はお構いなしだ。まさにこのマンションの一室にいるじゃないか!


 ざっと周囲を見渡すが、この部屋にはいないようだ。

 相棒、何をやってる? どこにいるんだ? 俺を一人にしないでくれ、背後から撃たれるのは勘弁だ。


 キュルッ、と背後で音がした。はっとして振り返ると、背後から光が差している。

 摺ガラスの向こうに、部屋があるのだ。相棒はここにいるに違いない。


 俺は三佐の腕を振り払い、初めてそいつをファーストネームで呼んだ。


「薫! ――七原薫!!」


 バン、と勢いよくドアを押し開ける。

 そこにいた人物については、あまり記憶に留まらなかった。『俺の相棒であること』。『七原薫という名前であること』。そして、『ちょうど風呂上りで一糸纏わぬ姿であったこと』。


 なにやら凄い勢いでぶん殴られたような気がしたが、知ったこっちゃない。

 俺はその華奢な姿の人物を、真正面から思いっきり抱きしめた。

 

「ああ、よかった! ここにいたんだな、相棒! てっきり殺されちまったもんだとばかり――」

「この変態! ケダモノ! 史上最低最悪の――、な、何ですって?」


 再び俺の意識は暗転してしまう。どうやら七原に――薫に、気絶させられたらしい。

 それでも構わない。相棒がいてくれるということの安心感を奪われるよりは、ずっと。

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