第10話


         ※


 ここから先は牽制とスピードの勝負になる。俺はそう認識した。

 スピードはジンの方が上だろう。だが、自動小銃を手にしているぶん、俺の方がリーチは長い。

 とはいうものの、ジンにはアイスピック投擲という技もあるので、防御を疎かにはできない。


 パタタタッ、という短い銃声の合間に、背後から筋肉同士がぶつかり合う鈍い音が混ざる。

 七原も必死なのだ。彼女の本気がいかなるものか、興味はあったが振り返っている暇はない。


 俺はと言えば、ジンに掠り傷を僅かに与えたくらいで、弾倉一つを使い切ってしまった。

 ここぞとばかりに飛んでくるアイスピック。これは脅威だが、ジンとて無限にアイスピックを有しているわけではあるまい。装備し過ぎては身体が重くなるし、関節の動きに支障が出る。

 加えて、単純な白兵戦もやるつもりなら、アイスピックの残りはそう多くはないはずだ。


 案の定、ある瞬間を境に、ジンの方から投擲されてくるアイスピックはぱったりとなくなった。俺は自動小銃の弾倉を交換しようと、敢えてゆっくりと予備弾倉に手を伸ばす。

 と同時に、ジンは体勢を低く保ったまま、こちらに向かって駆け出してきた。


 やはりこの瞬間を、ジンは狙っていたようだ。

 先ほどと同様、歪んだ笑みを浮かべながら、アイスピックを腰だめに構えて迫ってくる。


 その走行速度を見ると、本当にコイツは人間なのかと疑わしくなるほどだ。

 しかし、それはこちらとて同じである。

 自動小銃に弾倉を叩き込む。と見せかけて、俺はぱっと手を離した。得物が傷つくのは避けたいところではあったのだが、仕方がない。俺だって、今ここで死ぬわけにはいかないからな。


 落っこちた自動小銃が、かちゃん、と思いの外軽い音を立てる。

 何事かと訝しんだのだろう、ジンも走行速度を落とす。

 その隙に俺はホルスターから拳銃を抜いて、十五発、ありったけの弾丸をジンに撃ち込んだ。


 ジンにとって、普通の人間が相手だったら、ここまで手こずるはずはなかっただろう。

 だがお生憎様、こちらとて光石の恩恵を受けた身だ。


「てめえの速度に追いつけねえとでも思ったか!」


 俺はわざと遮蔽物に隠れず、速度勝負で回避しまくっていた。それが功を奏したのか、ジンはコンクリートブロックを蹴って跳躍し、斜め上方から俺の下へ降下してくる。


 が、ジンの乾坤一擲とも言える『突き』が俺に達することはなかった。

 アイスピックの先端を突き出す直前、ジンの右腕は弾き飛ばされていたからだ。


 ぎょっとした顔のジン。それに構わず、俺はジンの腹部と頭部の二ヶ所に狙いをつけ、残弾を全て叩き込んだ。

 ふっと脱力して落下してくるジンの身体。俺はサイドステップでこれを回避。

 無茶な姿勢で落下してきたジンは、首の骨が折れるくぐもった音を立てた。そしてそれ以降、二度と目を開けることも、立ち上がることも、アイスピックを投擲することもなかった。


「だはあっ!」


 俺は大きく息をつき、膝から上の力を抜きたくなった。だが、もちろんこれで安心できるわけではない。七原が、まだ佐々木と戦っている。

 今度こそ、佐々木はエプロン姿ではなく、コンバットスーツに身を包んでいた。


 すらっとした体躯に似合いの漆黒のスーツ姿。その腰当たりの高さで、ぎらり、と何かが銀色の輝きを放っている。大振りの包丁だ。


 一見したところ、七原の方がずっと優勢に思われた。明らかに多くの打撃を叩き込んでいるし、人体の急所を的確に狙っている。

 だが、佐々木は倒れない。これでもか、これでもかと技を喰らわせても倒れない。

 その異常さは、傍から見ていても感じ取れる。そのくらいの防御力だ。


 ようやく俺は納得のいく仮説に辿り着いた。

 きっと佐々木は、能力付与をされる時に【耐久性】のようなものを選んだのだ。それは【硬化】とも【防御力】とも呼ばれているかもしれない。


 とにかく、この時点で全身の筋肉と骨格がまともに機能しているのは、佐々木の付与された能力のお陰に違いない。


 一方の七原は、汗だくになりながらも攻撃の手を緩めなかった。

 光石の恩恵を防御関連能力に全振りしたのだろう、佐々木の動きは並の人間より遅い。

 だからこそ、七原の攻撃は当たる。当たるのだが、これといった効果はない。


「七原、伏せろ!」


 叫びながら、俺は自動小銃を取り上げ、改めて弾倉を叩き込む。

 初弾を装填する頃には、七原は十メートルばかり、連続バックステップで佐々木の下から距離を取っていた。


「くたばれ!」


 俺はそう叫びつつ、フルオート射撃を敢行した。

 ちょうど腹部の中央を狙い、弾倉一つ分の弾丸を叩き込む。――つもりだったのだが、その途中、俺は違和感を覚えた。銃撃をやめてぱっと横っ飛びし、改めて自動小銃を構え直す。


 何だこれは? 手応えがないわけではないが、人間を撃った時のそれではない。

 そもそも、佐々木に関して俺たちが分かっているのは、もしかしたらほんの僅かなことに過ぎないのかもしれない。


 佐々木はジンのように、自らの得物である包丁を投擲してくることはしなかった。

 両手に握った包丁一本ずつ、それが全装備のようだ。

 しかし問題は、その扱いがあまりにも巧みである、ということ。


「はあっ!」


 七原の下段蹴りで、その場に膝をつく佐々木。そんな佐々木に向かって、七海は駆け寄って踵落としを見舞う様子。だが、俺は叫んでいた。


「下がれ、七原!」


 気配は察していたらしく、七原は素早くバックステップで佐々木から距離を取った。

 七原が立っていた場所に、包丁で十文字が描かれたのはその直後のこと。


 佐々木はのっそりと動いている。その代わり、一旦佐々木のリーチに入ってしまったら、七原が貰うダメージは甚大なものになるだろう。

 角度からして、これ以上の援護は極めて困難だ。どうしたらいい?


「がっ!」


 突然の悲鳴に、俺は思わず自動小銃を投げ捨てた。


「七原!」


 俺が援護できずにいる間に、七原は窮地に陥っていた。それも、だんだん追い詰められたのではなく、佐々木の繰り出した一つのアクションで。

 佐々木の体勢からして、どうやら七原に中段蹴りを見舞ったらしい。


 ふっ飛ばされた七原の身体は、道路反対側のコンビニに勢いよく突っ込んだ。

 窓どころか外壁までもが崩壊し、その下で七原が立ち上がろうとしている。


 が、しかし。

 七原は、とてもすぐに立ち上がれる状態ではなかった。もしかしたら、臓器にダメージが及んだのかもしれない。

 いや、動きからすると足をやられたのか。中段蹴りを喰らう直前に膝を上げて、片足を盾にしたのかも。


 佐々木の動きは相変わらず緩慢だったが、一方の七原はまともに動くことさえできない。なんとかして佐々木の動きを止めなければ。でなければ、七原は――。


「佐々木、動くな!!」


 気づいた時には、俺は拳銃を抜いて声を張り上げていた。

 声が震えなかったことだけが、褒められる部分かもしれない。


 そんな情けない状態だったが、佐々木を振り向かせるのには成功した。

 額を切ったのか、佐々木の顔の左半分は血に染まっていた。だが元々、額は出血しやすい場所だから、これを大打撃とは言えない。

 佐々木自身も落ち着いていて、余裕綽々といった雰囲気すら感じられる。

 

 さっき銃撃した時の感覚を思い出す。

 あれは命中したはずだし、防弾ベストくらいは破っただろう。それなのに、あの感覚のなさ。

 それだけ佐々木の守備についての意識が高い、ということか。そんな相手に、拳銃弾など通用するわけがない。


「ちょうどよかった。あの子――七原薫さんを一人で地獄送りにするのは可哀そうだと思ってたの。あなたがエスコートしてあげてね、葉崎絢斗くん」


 まさか、一般人にやられて一生を終えることになるとは思わなかった。

 ギリッ、と奥歯を噛み締める。ここまでか。


 その時、突如として強大な殺気が膨れ上がるのを感じた。


「上!?」


 俺が目を上げると、その時には佐々木の身体は横向きに吹っ飛ばされていた。

 アスファルトに横たわった佐々木は、立ち上がろうと試みる。しかし、それは叶わぬ願いとなった。

 殺気を感じた場所から、二発目、三発目と、超重量級の弾丸が飛来したからだ。

 

 それらのほとんどは佐々木の上半身に突き刺さり、貫通し、アスファルトに縫いつけていった。


「な、にが……」


 俺が呆然としていると、すとん、と軽い音がした。どうやら、今の銃撃を加えていた人物が、マンションのベランダから下り立ったようだ。


 状況が分からず混乱する俺に、その人物はこう声をかけてきた。


「久しぶりだな、葉崎絢斗」

「……大河原弘毅……三等陸佐……?」

「お前たちのセーフハウスの位置はバレている。今日はこのマンションを借りるといい。私が寝ずの番をする」


 今度こそ、俺は全身が脱力した。

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