第9話


         ※


 自動小銃のセーフティがかかっているのを確かめた俺は、さっさとスポーツバッグに引っ込めた。それを背負いながら、銃痕でズタズタになったアスファルトの上を歩いていく。


 目に入ったのは、地獄のような光景だった。炎の橙色が反対側のビルを炙り出し、漆黒の夜空を侵食している。

 全身を包み込む熱気のせいだろう、妙に暑いな、と思った。

 しかしすぐに気がついた。この暑さの原因は他にある。それはきっと、自分が激昂しているということだ。


 そう思う間に、俺はいつの間にか、敵の乗ってきた車の正面に立っていた。ボンネットが跳ね上がり、窓は全壊。ドアも穴だらけで、とても防弾加工されているようには見えない。

 随分と安値で任務を負わされたんだろう。下っ端だな。気の毒に。


 俺は、ホルスターからするりと拳銃を抜いた。一番近くで横たわっている敵のそばに屈みこむ。すると、微かに腹部が上下しているのが分かった。生きている。意識もあるようだ。

 だったらじっくりと聞かせてやろう、初弾を装填する音を。


 敵ははっと目を見開き、四肢をバタつかせた。一方、俺の心は綺麗に凪いでいる。まるで深呼吸でもするかのように、気軽にかちり、と銃口を敵の額に押し当てる。


「悪いな」


 そう呟いた直後、ピシッ、と鮮血が噴出した。敵の額には大きな穴が開いている。頭蓋を弾丸が貫通したらしい。

 俺が発砲したのは間違いない。しかし感覚は曖昧だ。暑くて意識が吹っ飛びそうになっているから、だろうか。


 ゆっくりと立ち上がると、ちょうど振り返った七原と目が合った。流石に銃声を聞き逃すほど鈍感ではなかったか。

 彼女はこちらに向かって戦闘体勢を取っている。が、俺と目を合わせた瞬間、両腕がだらり、と脱力してしまった。せっかくの気迫が台無しだ。


「え、い、今の銃声……」

「銃声がどうかしたのか?」


 俺は両腕を広げ、なんでもない風を装ってみせた。いや、俺にとっては当然の『後処理』だったのだけれど。


 七原は俺の顔から視線を下ろし、額から出血している敵の亡骸をじっと見つめた。


「あんたがこの人を撃ったの?」

「そうだ。生かして返すよりはいい。後続の警官隊が遭遇する敵が、一人減ったんだ」


 ぱちぱちと、小さな炎が点々と灯っている。それと同じか、むしろ小さいくらいの声量で、七原は呟いた。


「そう、なんだ」


 こちらに背を向け、ふらふらと立ち去ろうとする七原。と、すぐさま足を絡ませ、ばったりと倒れ込んだ。


「おい、どうしたんだ? さっきからおかしいぞ、お前」


 俺は七原を、片手を握って立ち上がらせる。


「おかしい? あたしが?」

「ああ、そうだ。さっきまでの威勢はどこへ行った?」


 顔を上げて俺を見た時、七原の顔から、すうっ、と血の気が引くのが分かった。

 何かを語る七原。俺を諭そうとしている様子だ。が、俺の方もまともではなかったらしい。


 七原の口の動きと聞こえてくる言葉が、時間的にズレて感じられる。

 あまり味わったことのない感覚だが、強いて言えば、照明弾に目が眩んだ時に似ているかもしれない。


 頭がぐわんぐわんと回転する。今度は俺が倒れそうだ。

 やや熱の残る車のボンネットに片手をついて、俺はじっと七原と目を合わせ続けた。

 この不穏な感情を克服するには、彼女の言葉に耳を傾けるしかない。そう思ったのだ。


 しかし、事態はどんどん悪い方へと流れていく。

 身体の重心がどんどん失われてしまう。自分一人では、身体を支えていられない。挙句、吐き気までしてくる始末。とても戦える状態ではない。


「待ってくれ、七原」


 突然明瞭な言葉が響き渡った。それが自分の言葉だと気づくまでに、俺はしばしの時間を要した。


「どうして、いや、何が気に食わないんだ? 俺が誤射したなら謝るけど、少なくともお前が俺のせいで被弾したとは思えないんだ。落ち着いて、最初から説明してくれ」

「いえ、違うのよ。いろいろと」


 ようやく七原の声も聞こえるようになった。だが、『違う』とは何なんだ?

 俺が額に皺を寄せると同時に、目まぐるしく世界が蠢いた。まるで、強制リセットでもかけられているかのように。


 軽い頭痛に見舞われ、ぎゅっと目を閉じる。痛みが治まってから目を見開き、すっと目線を上げると、そこにいたのは七原だった。


 考えてみれば当然だ。俺は頭痛がしている間、一歩も移動してはいないのだから。

 違うことが一つあるとすれば――。


「……泣いてるのか、七原?」

「……」


 七原はぐいっと袖で涙を拭い、深い呼吸を繰り返した。まともに喋れるように、自分を落ち着かせているのか。


 俺は一歩、七原に近づこうとした。しかし、まだ足はバランスの不調を訴えている。


「取り敢えず、あたしのセーフハウスまで行かない? ここにいたら、テロリストと地元警察の両方を敵に回すことになる」


 それはそうだな。

 俺は素早く、こくこくと頷いてから七原の背中に向かって歩み出した。

 身体の調子はいつの間にか元に戻っていた。


 ――一体何だったんだ、今のは?


         ※


 それから、俺は与えられていた携帯端末と格闘した。敵の車内から回収に成功した資料画像をヴィーナスへと転送し、解析してもらうためだ。

 半分ほどを手早く送信し、七原に端末を渡す。どうして一人ずつ転送作業を行っているのかと言えば、敵の増援が来た際にすぐに対応できるよう、見張り役をするためだ。


「終わったか、七原?」

「ええ。それじゃ、今度こそセーフハウスへ向かいましょう」

「了解だ」


 俺は頷いてから、拳銃の残弾を確認する。念のため、弾倉は交換しておこうか。

 俺たちは再び、前方を七原が、後方を俺が警戒する形で、足早にその場を後にした。

 

 その間、ヴィーナスはいろいろと情報を寄越したり、偽装工作に協力したりしてくれた。

 中でも、ファミレス前からセーフハウスまでの道沿いにある監視カメラに偽装映像を流してくれたのは大変有難い。


 再出発から三十分ほどが経過しただろうか。

 デモ行進の喧しさ、ファミレス銃撃事件の騒々しさから、俺たちはすっかり遠ざかっていた。閑静な住宅地に歩み入っている。


「少し歩いただけで、こんなに静かになるもんなんだな……」

「それだけ民間人が暴力に晒されやすい、ってことよ。とにかく、あたしたちの手で光石に関する事案はなんとか片づけましょう」

「そうだな。……あ」


 しまった。ここは『了解』と答えるべきだった。

 規則にうるさい七原のことだ、きっと、言い直せとか、規律を守れとか言い出すんじゃなかろうか。


 という俺の予想は、呆気なく裏切られた。


「セーフハウスまであと少し。でも油断しないで。水分補給する時は、必ずお互いに声をかけること。いい?」

「了解」


 やれやれ、さっき俺の部屋で出会ってから、何回同じことを言うんだよ。

 すこしからかってみるか。


「なあ七原、そんなに俺のことが心配なのか?」

「ええ、その通りよ」

「は?」


 俺はぽかん、と口を開けた。


「な、何て言ったんだ、今?」

「あんたの言う通り、あたしにとってあんたは大切。あんたがいないと、銃火器を手にした相手とは戦いにくいからね」

「おう、そうだよな。お前一人じゃどうにもならねえもんな!」


 と、厭味ったらしい追撃を加える。

 それでも七原は落ち着き払っていた。ぶん殴られるくらいのことを覚悟していたのだが……。ここまでくると、七原の態度は冷淡だと言ってもいいかもしれない。


 どんな心変わりがあったのやら。俺が軽く肩を竦めた、次の瞬間だった。


「ッ!」


 俺は三発を発砲。後方から飛んできた『何か』を撃ち落とした。

 同時に、七原は大きく横っ飛びして、前方から迫る存在に対して警戒態勢を取った。


 この感覚、さっき味わったな。それは構わない。佐々木もジンも生きているのだから。

 問題は、その二人が同時に俺たちに襲い掛かってきたということだ。


「まったく、二名様ご招待とは遠慮願いたいな」

「同意するわ」


 街灯の下に、極度に痩身な男の姿が浮かび上がる。

 俺はしゃがみ込み、片膝をついて再び銃撃。するとジンは片足立ちになって、ワルツでも踊るかのように銃弾を回避した。


「間違いない……」


 こいつらもまた、光石の恩恵にあずかっている。ここで仕留めておきたいが、さて。

 しかし、それは俺たちにだって言えることだ。証拠に、俺はジンが投擲した三本のアイスピックを、銃弾で弾き飛ばしている。


「来いよ畜生、俺が相手だ」


 俺は油断なく銃撃し、その隙に七原が置いたスポーツバッグから自動小銃を取り出した。

 白兵戦の打撃音が背後から聞こえてくる。

 再び投擲されたアイスピックを銃床で叩き落とし、俺は自動小銃を構えた。

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